私が初めて教会を訪れたのは小学校2年生のクリスマスのことでした。
その前年に妹が亡くなり、母は心を病んで自分を責めて泣いてばかりいました。
時々、幼い弟だけを連れて一日家を空ける日が何度もありました。
死んだ人が乗り移るという人の所へ通っていたそうです。
そんな日は、私は一人で、ただ母の帰りを待っていました。
あのクリスマスの日も私は一人ぼっちでした。
子供達がサンタさんの話をする輪から離れてポツンとしていると、近所のおばあさんが声をかけてくださいました。
私が悪い子だから、昨年からサンタさんが来ないと言うと、教会にサンタさんが来るから会いにいこうと誘ってくださいました。
母が許可したと嘘をついて、私は初めて教会という所に行きました。
温かい灯が、小さな弱い私を優しく包み込んでくれました。
今でも目を閉じると鮮やかに蘇るその灯は、私の信仰の原点であったように思います。
子供達の劇を見て、涙があふれでてきました。
あの赤ん坊は皆にあんなに愛されているのに、自分は誰からも必要とされていないように思えたのです。
おばあさんが私の頭をなでて「さとちゃんはえらいね。いっぱい我慢しているものね」と言ってくださった瞬間、私は「嘘をついて、ごめんなさい」「おかあさん、おかあさん」と声をあげて泣いてしまいました。
おばあさんに連れられて帰宅すると、私を心配して近所中大騒ぎになっていました。
母が走りよってきて、私を痛いほど強く抱きしめてくれました。
サンタさんに会う前に教会を急いで出たし、やっぱりプレゼントは届かなかったけれど、私が欲しかった本当に大切なただ一つのものは、最初からいつもそばにあったのです。
再び教会に行くことはありませんでした。
父が許してくれなかったからです。
おばあさんは、会う度に優しく声をかけてくださいました。
そして、いつも最後に同じ事を繰り返しおっしゃいました。
「天には神様がいて、あなたを大切に思っていてくださり、朝がくる度に新しい恵みをたくさんくださるから、いつだって、何があったって、大丈夫なのよ。
大人になって、自分で自分の事が決められるようになったら、また教会にいらっしゃい。
おばあちゃんはその頃には天国にいて、そこにはいないけれど、あの日生まれたイエスという名前のあの赤ん坊が、何十年たったとしても、あなたを待っていてくださるからね」と。
本当に何十年もたってしまった2017年に、私は枚方教会で洗礼をうけました。
それから4年余りの月日を真っすぐに歩いてこられましたのは、枚方教会の皆様が私を温かく迎えいれてくださり、いつも優しく寄り添ってくださるおかげです。
本当にありがとうございます。
聖書に、おばあさんが言っていた言葉をみつけました。
「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。あなたの真実はそれほど深い。」
(哀歌3章22~23)
今の厳しい状況の中で、信仰という賜物をいただけたのは、本当に幸せな事だと思っています。
ここに導いてくださった全ての出会いに心から感謝いたします。
朝ごとに新たになる恵みに力と希望をいただきながら、これからも信仰の道を誠実に歩いていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。