平成二十四年に父を見送り、昨年の五月に母が帰天致しました。
「出会い」を語るのに「別れ」から始めますことをお許しください。
けれど、クリスチャンの二人が出会い、共に神様の祝福を授からなければ、私はこの世に生まれず、父母に出会えなかった。
神様とも出会えなかったのです。
だからそこからお話をさせて下さいませ。
私を出産する際にも大きな出会いがあったそうです。
私を妊娠中に切迫流産の危険に陥り、緊急入院と絶対安静。
両親は私を諦めざるを得ない試練にさらされました。
昭和四〇年当時のことです。
ところが、適切な手術が出来るお医者様が、偶然に見つかったのです。
信じられない出会いを経て、文字通り命を賭し、母は私をこの世に授けてくれました。
両親は、私に「愛」という名前と「洗礼」を授けてくれました。
イエス様との出会いは、まさに父と母が、出会いの奇跡と大きな試練を経て、与えてくれたものなのでした。
私は、物心がつかないうちから「イエス様」や「お祈り」など、全く自然で身近なものとして育ちました。
それなのに、例にもれず、思春期以降は、教会から足が遠のいてしまったのでした。
長いながい時を経て、私が枚方カトリック教会の門をくぐったのは、父の葬儀でした。
十年近くに渡り難病と闘い、入院生活をしながらも、フリオ神父様との出会い、暖かい交流についてなど、父はよく話しておりました。
その葬儀のミサで、私はフリオ神父様と初めてお会いできたのでした。
そして、その後何年目かの、帰天日の御ミサで、当時の長崎神父様に、遅まきながら「堅信礼」の祝福をお願いするこにしました。
フリオ神父様、長崎神父様との出会い…共に父母が授けてくれたものと、心から感謝しています。
母は晩年、心ならずも施設で暮らすことになりましたが、愚痴ひとつ言わなかった。
不都合や不満もきっと多いはずの境遇の中でさえ、「ここに居られて感謝です」が、母の口癖でした。
愚痴どころか、同じ施設内の患者さんに神様の話をして励ましたり、神様に関わる本を差し上げたりと、常に信仰生活を忘れない人でありました。
その母も、昨年春、急な腎不全がきっかけで、あっという間に天に召されました。
病床で、スマホを耳元にあててあげて、長崎神父様のお声を聞くことができた時の、母の顔を忘れることはできません。
命を賭して私を愛してくれた両親との「別れ」が、神父様方はもちろん、堅信礼の代理母となっていただいたK様、信徒の皆様との「出会い」を導いたのは、皮肉な事なのでしょうか?
いいえ、私はそうは思わない。
全身全霊で愛を注いでくれた両親との別れを通して、神は私と信仰を「再会」させられたのだと感じます。
実に劇的にかつ自然の摂理をもって、神は私をその御腕に改めて導かれた。
父の洗礼名はヨセフ、母はマリア・マグダレン。
その名の通り、何の見返りも求めず、ただひたすらに我が子を守り、慈しみ、命がけで愛した両親との出会いと別れ。
いつか、私もこの生に別れを告げます。
日々、祈りの中で語りかけています。
「世界一大好きだったお父さん、そして昨年旅立ったばかりの愛するお母さん、聞こえますか?こんなおばさんになっちゃった娘ですが、ずっと見守って欲しい。お父さん、お母さん、ありがとう。また会う日まで…」。