仕事内容は毎週日曜に子どもたちと野外活動を行う仕事です。平日は大学生のボランティアとミーティングや打合せ、現地への下見、指導者研修、デスクワークに取り組む日々です。知識の学習だけでなく、体験を持って良い行動を促したり、振り返りをしたり、気づきを持つような教育プログラムを展開しています。
先日、冬休みにも長野県までスキーキャンプに小学生~高校生約170名を引率して参りました。暖冬の影響で12月にも関わらず雨が降り、スキー講習ができない日もありました。またスキー講習を行うにあたり、冷え込んでくるとアイスバーンになったり、逆に暖かさで雪が溶け出したり、またその雪解け水が凍ってアイスバーンになったりと刻一刻と変化する自然と向き合い、キャンプを行なっています。
このように人間の思い通りにならない自然の中で実施するキャンプにはまさしく詩編19編に神様を感じずにはいられません。詩編19編(新共同訳)「天は神の栄光を物語り 大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え 夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく 声は聞こえなくて その響きは全地にその言葉は世界の果てに向かう。」ではこの詩篇19篇の内容を見ていきたいと思います。「天は神の栄光を物語り」とは、夏の夜空に輝く天の川を見て、鳥肌が立つような体験、それだけではなく畏れを指しています。
宇宙が無言のことばで「神の栄光」を物語っているというのです。街灯がない田舎やそのような時代には、そのような感動の機会は今より多くあったことだと思います。私たちが活動する自然の中でもそうです。
ある子どもが満点の星空の元、テントで寝る時、「高級ホテルに泊まるより贅沢やわ」と話していました。「昼は昼に語り伝え」とは、夜になって今までの世界が暗やみに消えたように見えても、翌日には同じ状態が再び継続して見られることに驚きを現す表現です。
いつもキャンプで子どもたちと朝を迎え、朝の集いをする時には、新しい朝を迎えることができた事を感謝してお祈りの時間を持ちます。夜は夜で、夜空の星に関しても同じことが言えます。しかし私たちの世界では、車が急に動かなくなったり、愛する人が突然いなくなったり、リストラにあったり、会社が倒産したり、などということがあり、明日への不安を抱かざるを得ないことが多くあります。ところが、神の御手のわざは、変わることなく存在し続けています。
昼と夜の繰り返しは、自然ではなく、神の命令が今日から明日へと語り継がれているしるしです。このことを預言者エレミヤは、「主はこう仰せられる。もしあなたがたが、昼と結んだわたしの契約と、夜と結んだわたしの契約とを破ることができ、昼と夜とが定まった時に来ないようにすることができるなら、わたしの僕ダビデと結んだわたしの契約も破られる」(33:20・21)と書き記しました。主は、昼と夜の繰り返しや季節の移り変わりを通して、ご自身の真実を私たちに語り続けておられます。
私たち野外活動も四季の季節の移り変わり、春は野草狩り、夏は川遊び、秋は紅葉狩りやハイキング、野外料理で季節の旬を頂き、冬はスキーや雪山ハイキングでその移り変わりを子どもたちと味わいます。世界は、ことばや理屈が多すぎるように感じます。何の説明もつけずに、この世界の驚異を味わうときが必要ではないでしょうか。自分が世界を把握しようとするのではなく、これらの被造物を通して、神さまが発しておられる、ことばにならないことばを味わって見るべきだという事です。
わたし自身、都会の中に暮らしていて、この数日、何を見、また何を聞いてきたか自問すると、人間の知恵と力が作った巨大な建物、また、他の人の成功や失敗、また自分への賞賛や中傷ばかりに心を向ける自分に気づきます。そのような時に祈りを通して、そこには自分の存在価値が、まさにこの世の価値観だけで「どんぐりのせいくらべ」のなかでなされていることに気づきます。
キャンプを切り口に神様の愛に感謝する事を仕事にできている事は喜びであります。なかなか日曜の礼拝には出られませんが・・・教育的なキャンプの歴史を紐解くと、1849年から1879年アメリカのコネチカット州にてウイリアムガンによってガナリースクールキャンプが実施されました。当時の子どもたちの心には南北戦争で活躍した兵士たちへの憧憬が強く残っており、野山を行軍し、テントで毛布にくるまって寝るといった軍隊生活の疑似体験へのあこがれが子どもたちを積極的にキャンプへ向かわせた遠因となったそうです。
キャンプが興隆した南北戦争時代には、様々な価値観や考え方が犇めく時代であり、都市化が進んでいった時代であります。1800年初頭には人口が6万人だったニュ ーヨ ーク市は 、1860年にはその10倍以上の80万人に膨らみ、まさに 、アメリカが田園社会から都市文明へと変遷の歩みを始める時でありました。これは、アメリカの自然に対する感性が危機に瀕している事を示しています。
そして時代は遡りますが、都市化が始まったのは、やはり産業革命が起こったのちのイギリス、ロンドンでした。1844年、YMCAがロンドンに生まれました。今までの田舎生活から都会に出てくる青年たちの生活は過酷な労働とそれを忘れるためのお酒で乱れたものになっていました。そんな社会にあって、青年たちの心の救済のため、祈りの会を持ったのがはじまりです。本日のもう一つの聖書の箇所です。ヨハネ17:21「父よ 、あなたがわたしの内におられ 、わたしがあなたの内にいるように 、すべての人を一つにしてください 。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください 。そうすれば 、世は 、あなたがわたしをお遣わしになったことを 、信じるようになります 。」(YMCAのモットーです)
YMCAが日本に伝わったのは1880年、東京での展開です。大阪YMCAはそこから38年後の1882年 天満教会仮会堂で創立、初代会長は宮川経輝牧師でした。日本にYMCAが来た時代も、明治維新を経て転換期の真っ只中でした。ロンドン、ニューヨーク、東京など、YMCAは世界の都市部に点在します。それは人間の集う所には様々な課題が存在するからだと思います。YMCAが自然の中での教育キャンプに取り組み続ける理由としては自然の崇高な美を見る者は 、それを作り出した偉大な力の存在を認め、これに感服する謙虚な心をもつようになるからだと思います。人
は自然の中、キャンプ生活の中では、日々の面倒も忘れ 、明日を思い煩うこともない。人生の余分な意味は消え失せて、山と川、魚と自分、全てがむきだしの存在となり、それはちょうど、礼拝の中でひとり神に向き合うのと同じ状況であると思います。この朝祷会でも神様に祈る豊かな時間を共にできます事に感謝いたします。