お知らせ(7月)

バーベキュー大会 7月12日(土)17時から
 集会の家横 花壇広場
 参加費:千円(小学生以下無料)
 申し込みは壮年会まで。どなたでも参加歓迎します。   

平和旬間
 8月6日(水)~15日(金)
 テーマ 「希望と平和の巡礼者となろう~苦しむ人、悲しむ人とともに歩む道~」

・平和旬間行事
 8月10日(日)13時から集会の家で行います。
・内容 絵本「戦争の作り方」の映写と朗読。
なぜ戦争が作られてしまうのか?という絵本の問いかけを通して、日常生活を振り返り、気楽に今の社会、私たちのことをおしゃべりする集いです。

◎死者追悼祈念ミサ
・8月10日(日)11時
・追悼者名簿を奉納しますので、お申込み下さい。
人数に拘わらず2千円です。
“お知らせ(7月)” の続きを読む

見えない神様を信じるということ ガラシャ J・A

  

私は、この春、ついに洗礼を受けました。

ずっと神様から遠く離れて生きてきた私が、なぜ今、信仰の道に入ったのか。

その経緯を少しお話しさせていただきたいと思います。

私は「うみのほし幼稚園」で幼少期を過ごし、その後も小学校から高校までカトリック系の学校に通いました。

毎日の祈りや宗教の授業、ミサといった日常の中で育ちながらも、正直に言えば、私はずっと神様を信じていませんでした。

そんな私が大学に入って間もない頃、ふと手に取った小説がありました。

三浦綾子さんの『氷点』です。

当時の私は「面白い小説だな」と思いながら読みましたが、そこに込められた深いテーマや作者の信仰心にはまったく気づけていませんでした。

物語の展開に引き込まれ、登場人物たちの感情に胸を打たれながらも、それ以上に踏み込むことはありませんでした。

それから10年が経ちました。

あるとき「好きな本は何ですか」と尋ねられ、私は『氷点』と答えました。

「読んでみたい」と言ってくれた友人に本を貸す前に、「もう一度読んでみよう」と思い、再びその本を開いたのです。

ちょうど30歳を迎えた頃でした。

10年ぶりに読む『氷点』は、まったく違う印象を私に与えました。

登場人物たちの苦しみや葛藤、赦しといった感情が、まるで自分自身の人生に重なるように感じられました。

そして、何より心に響いたのは、三浦綾子さんの言葉の背後にある「人間とは何か」「赦しとは何か」という深い問いかけでした。
“見えない神様を信じるということ ガラシャ J・A” の続きを読む

3月21日
高槻教会
阪急高槻行バスで約30分、駅から西へ城北通を南に行き国道171号線へ出て北大手交差点を渡り真直ぐ右側(徒歩5分)。金曜日は巡礼者のために10時~40分の告解、11時ミサがあり与った。

高山右近像
右近の居城高槻城跡碑


夙川教会
阪急夙川駅南側ロータリーから広い通りに出て右折、西方向へ徒歩3分。聖堂前の堂々とした階段、右にエレベーター。左の塔の7・12・17時に鳴るカリヨンは日本最古。聖堂のステンドグラスが美しい。教会の歴史などは事前にHPのビデオの視聴をお奨め。 
梅田教会 阪急夙川から梅田へ梅田駅から徒歩10分。祭壇の後ろは窓ガラス。帰路は地下鉄中津駅で淀屋橋へ行き、特急で枚方市駅へ
“” の続きを読む

教会学校遠足

6月15日(日)、玉造教会と大阪歴史博物館へ行ってきました。

玉造教会が初めての子もおり、大きさに驚いていました。

同じように遠足で来ていた池田教会の方が聖堂を案内してくれました。

前田万葉枢機卿がちょうど取材を受けておられ、26聖人の絵の修復について説明してくださいました。

びっくりサプライズで子供はもちろん大人達も大興奮でした。
“教会学校遠足” の続きを読む

教会学校聖堂ツアー

5月18日(日)9時ミサ終了後、梅﨑神父のガイドで聖堂ツアーがおこなわれました。
香部屋では、教会で使われている祭具や司祭服などが保管されているのを改めて知りました。

十字架の道行の絵画が壁に掲げられていることも教えてもらいました。

告解室が、赦しの秘蹟を受けられる場所だとは知ってはいましたが、中を覗いたのは初めてで、興味津々でした。

聖櫃(せいひつ)がご聖体を保管しておく場所であり、聖木曜日には空になっているということも教えてもらいました。


“教会学校聖堂ツアー” の続きを読む

洗礼式と子供侍者

5月18日(日)9時ミサにて6名の子供達の洗礼式がおこなわれた。

同時に、久しく待ち望まれていた子供侍者が3名誕生し、聖堂内は祝福と喜びで満たされた。

初聖体おめでとう

6月22日(日)『キリストの聖体』の9時ミサにて5月に受洗した6名の子供達が初聖体を受けました。

終了後に子供達は「パンは思ったより味がしなかった」「人がいっぱいで緊張した」「楽しかった」「イエス様のからだのパンはおいしかったけれど、本当にイエス様が一緒にいてくれてる気がした。

洗礼の時におでこに水をかけてもらった時も同じ気持ちがした」という感想をよせてくれました。

河内キリシタンの希望 主任司祭 竹延真治

大東市には三箇(さんが)という所があり、三箇五丁目には菅原神社がある。

中世には水月院というお寺も存在したが今は廃寺となっていて、わずかに墓所だけが菅原神社の脇に残っていて、数基の古びた墓碑が並んでいる。

その墓碑の一つには、次のような句が刻まれている。

「城は灰 埋もれて土と なりぬとも 何をこの世に 思い残さん」

三箇の真正面にそびえる飯盛山の山上で、1563年に73名の武士がヴィレラ神父より洗礼を受けた。

全盛期には河内には6千人ものキリシタン(カトリック信者)がいたのだという。

その中の中心人物が三箇サンチョという武士で、彼の居城がいまの菅原神社あたりにあったと言われている。

三箇は、当時、大きな池の中に浮かぶ島で、フロイスの『日本史』によれば、サンチョはクリスマスや復活祭には池に船を浮かべ、投網を投げて魚を獲り、信者・未信者を問わず御馳走を大盤振る舞いしたのだという。

まさしく三箇サンチョは河内キリシタンのドン(首領)であり、彼の慈愛に満ちた生き方が多くの河内人を信仰に導いたのだろう。

しかしながら、その河内キリシタンは20年しか存続できなかった。

豊臣秀吉のバテレン追放令や国替え政策で河内のキリシタンは滅亡した。

その最期はほとんど伝わっていない。
“河内キリシタンの希望 主任司祭 竹延真治” の続きを読む

司祭叙階25年目 梅﨑隆一神父

司祭への召し出しとは、神の呼びかけに答える事だと教えられていました。

しかし、私が終生誓願を立てる前に問題になったのは「あんな馬鹿な人が神父になっていいのですか」という事実でした。

馬鹿なのは昔から知っている事で、特に高校生の頃、通っている学校の事で馬鹿にされました。

大学に入っても「あんたが大学に入ったのは、私の推薦書のお陰だ」と念押しされたり、今でも「梅﨑神父の話す英語を聞くと(レベルが低いので)安心する」とも言われます。

馬鹿である事は知ってはいても、人から言われて悲しくないわけがありません。

それよりもショックなのは、修道者、司祭を決めるのは、神ではなく、賢く力のある人が権利を勝ち取る事であるという考え方です。

人の賢さが決め手になるなら、召命に限らず教会の決定にも神のみこころなど必要ありません。

やがて司祭になり1年も経たずにうつ病になり、病気が治らないまま仕事をさせられていて、6年目にインドに行けと言われた。
“司祭叙階25年目 梅﨑隆一神父” の続きを読む