長崎神父しろきたBへ

4月16日(日)のミサを最後に長崎神父が枚方教会からしろきたBに異動されました。

ミサ後に花束と記念品が贈呈され、赤川さんからお礼の言葉が述べられて全員の拍手で感謝の気持ちを伝えました。

聖週間の典礼と行事

受難の主日「枝の主日」 4月2日(日)9時・11時

ミサの始めに、「主のエルサレム入城の記念」が行われた。長崎神父が入堂する際に、各自それぞれ枝を持った信徒を祝福された。

第2朗読の後、「マタイによる主イエスキリストの受難」がキリスト、語り手、登場人物、及び群衆に分かれて朗読された。

聖木曜日「主の晩餐」 4月6日 午後7時


キリストの聖体制定を記念するこの夕べ、ミサの中で洗足式が行われた。キリストが弟子たちの足を洗い、「仕える者」の模範を示された姿に因むもので、長崎神父が6人の信徒の足を洗われた。

信徒の足を洗う長崎神父


拝領祈願の後、ご聖体は司祭館の仮安置所に移され、祭壇上の全てが取り除かれた。 “聖週間の典礼と行事” の続きを読む

四旬節黙想会 3月19日
聖クラレチアン宣教会 長崎壮神父
ともに祈り、ともに歩む共同体へ

3月19日に四旬節黙想会が行われ、聖クラレチアン宣教会で、当教会主任司祭(当時)の長崎神父に午後から講話をいただきました。

長崎神父は、この春の異動で枚方教会を一旦去られましたが、枚方教会の信徒に向けての黙想会は、これが初めてでした。

なごやかに講演される長崎神父

講話はおよそ70人の方が熱心に耳を傾けました。

「ともに祈り、共に歩む共同体へ」と言うタイトルで、途中休憩を挟みながらこの3年のコロナ禍の信仰生活とはという事を織り込みながら、
1.ミサを信仰生活の中心に置く。
2.分かち合い 交わり
3.宣教的な教会へと歩む
と言う3つの事を福音、ミサ、教会、宣教会の中での実例、そこに表現されている事を例にして、更に私たち枚方教会の共同体としてどうそれぞれのテーマを実現するためにチャレンジしていくかについてご自分の言葉で語られました。 “四旬節黙想会 3月19日
聖クラレチアン宣教会 長崎壮神父
ともに祈り、ともに歩む共同体へ” の
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不幸の乗り越え方
クラレチアン宣教会 梅﨑隆一

コロナ禍の状態が四年目に入り、ウクライナでの戦争は一年が過ぎ、トルコでの地震で沢山の方が被災されました。

悲しいニュースが遠く離れたものであったとしても、日常の生活を送っている私たち、また子どもたちの心にも大きな影を落としています。

こうして私たちは人が永遠に生きられることがないことを、見せつけられています。

哲学者梅原猛は青年時代、第二次世界大戦中、人生が短いものであると覚悟していた。

そして死を見つめる実存哲学を深めたが、やがてその考えに不満を感じる。

(実存主義には)「二羽の小鳥が、寒い夜に、互いに羽を寄せて、暖めあうような、そんな心がたりないのである。二羽の小鳥が羽を寄せ合って寝るその一瞬に、しばし、死のことを忘れてもどうしてそれが悪いのか、その哲学は、人をあまり冷たい目で見すぎている。」(梅原猛著『学問のすすめ』)

そこから彼は「闇のパトス」という論文を書き、死の哲学から解放され、不安や絶望に変えて笑いを根源的な人間の感情と考え、研究を始めます。 “不幸の乗り越え方
クラレチアン宣教会 梅﨑隆一” の
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お知らせ(3月)

◎異動
〈大阪北地区河北ブロック〉
 Fr.長崎壮(枚方主任⇒しろきたB共同モデラトール) 
 Fr.竹延真治(しろきたB共同⇒枚方主任)
 Fr.梅﨑隆一(枚方協力⇒枚方助任)
 Fr.昌川信雄(香里主任⇒教区外)
 Fr.トラン・サン・ニュ・イ(香里助任⇒しろきたB共同)

◎教会学校
3月19日(日)9時ミサ後
4月16日(日)9時ミサ後
・毎月第3日曜日に開かれています。
・初聖体(6月11日)の為、第2・第4日曜日9時ミサ後に勉強会を実施中です。 “お知らせ(3月)” の続きを読む

ふるさと前橋追懐
長崎壮神父

上毛三山のひとつ赤城山の裾野がゆるやかに展けたところに私のふるさと前橋の街は広がります。

群馬県は県の西部に富岡製糸場、東には絹織物で有名な桐生市がありますが、県庁所在地の前橋市も明治のはじめから製糸業で栄えた町で、私が中学を卒業する頃までは街にはまだ製糸工場が残っていました。

生家は前橋市の中心部、近くには詩人萩原朔太郎が「広瀬川白く流れたり」と謳った広瀬川が流れ、その河畔には前橋文学館や美術館があります。

前橋は朔太郎のほかにも伊藤信吉をはじめとする幾人かの詩人のふるさとでもあり、蛙の詩人・草野心平も新聞記者としてこの地に住んでいました。

幼稚園から中学校まで群馬大学附属に通いましたが附属小は制服制帽。

赤城おろしのからっ風の厳しい冬でも半ズボンで、太腿の内側は擦れて痛く私服で通う市立の子たちが羨ましかった。

長兄や当時の人気漫画ドカベンの影響もあって野球好きになりましたが、附属小には少年野球チームはなく、市立の小学校の子供ばかりから成るチームに入れてもらい日暮れまで大声を出して野球に打ち込んだことを懐かしく思い出します。 “ふるさと前橋追懐
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コロナ禍に於ける出会い
コルカタのテレサ Y・N

昨年十二月職場ではコロナによるクラスター、数日後にはオーバーシュートとなり防護具装着等々対応に追われる日々が続きました。

そんな中、重度の認知症他幾つかの疾患のある方への対応に入らせていただいた時のことです。

それは短い間でしたが目を見てゆっくりと頷くだけでしたが何か温かく心休まる時が流れていて、その方が「ありがとう」と言われ、「私こそありがとうございます。コロナに負けず必ず元気でいて下さい」と短い言葉を交わし瞼が熱くなりました。

そんな職場での日々、私生活でも予定していた活動は全て参加しない選択を余儀なくされ、楽しみにしていた子や孫との集いも中止にして、安心して会える日まで楽しみを少し先に延ばすことを伝えました。

そんなコロナ禍での出来事を通して、家族や多くの方々の優しさとお力をいただき、私は望むことをさせていただいていると改めて気づくことができました。

いつどんな状況でも必ず良いことはある。日常の中で曇った私の目からは見えない大切なものを見えるように神はいつも導いてくださっていると思います。 “コロナ禍に於ける出会い
コルカタのテレサ Y・N” の
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新年を迎えて

◎元日のミサと車の祝別

新年を迎え、元日のミサが0時、10時、12時の3回行われました。

元日は「神の母聖マリア」を讃える祭日でもあり、併せて世界平和が祈願されました。

各ミサ後に幼稚園の園庭に車の祝別を希望される方々が集い、車と同乗者の安全を祈願して、それぞれの車と同乗者に神父様から祝福して頂きました。

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主の御降誕ミサ

◎夜半のミサ

12月24日(土)夜半ミサが午後4時30分と午後7時30分に行われました。

多くの方がミサに参加され、聖堂は満席状態で、集会の家では今回新たにロビーにも設置したプロジェクターで視聴をする方もおられました。

午後7時30分からのミサ前には聖歌隊「ステラマリス」による合唱でクリスマス・キャロルが歌われ降誕祭のムードを盛り上げてくれました。 “主の御降誕ミサ” の続きを読む

馬小屋の聖家族を見つめて
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

枚方教会の皆さん、主のご降誕とともに新年の喜びを申し上げます。

主イエス・キリストの誕生をともに祝った降誕祭から教会の暦では降誕節が始まります。

その降誕節には「聖家族」や「神の母聖マリア」、そして「御公現」といった祝日があり、教会の一年の暦の中でも一番家庭的で温かな雰囲気に包まれます。

皆さんも年末年始は帰省などにより普段会えない家族で過ごす機会も増えることでしょう。

そのような家庭的な雰囲気の中にいる皆さんは、馬小屋の情景、そして幼子イエスの無垢な姿から今年あらたに心を動かされるような体験がありましたでしょうか?

毎年暦通りに繰り返される馬小屋への黙想は、ともすれば見飽きた映画やドラマのようにマンネリ化してしまいがちですが、私たちがそこから新たなインスピレーションを受け、年毎に幼子イエスへの親しみが増すとともに、家庭を守るマリアとヨセフの姿に倣い、愛において豊かになっていくことができればと願っています。

この馬小屋の幼子イエスと聖家族について、静養のためクラレチアンレジデンスに移られたフラデラ神父様は特別の思いを持たれていたようです。

経年劣化のため、ところどころ塗料が剥がれた枚方教会のマリアとヨセフを憐れに思われたようで、「枚方教会のマリア様とヨセフ様は関西医大で治療を受けられた方がよい」とおっしゃられ、聖堂の幼子イエスをくるむ布が薄いのを見られると、「イエス様が寒そうで可哀想だ。もっと温かそうなものを」と嘆かれていました。 “馬小屋の聖家族を見つめて
主任司祭 長崎 壮” の
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