7月12日(日)18時から、延期されていた洗礼式が長崎神父とフリオ神父により執り行われた。
ご家族とその関係者に見守られての、厳かな素晴らしい洗礼式だった。
イエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた聖書個所が長崎神父により朗読されて「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と告げられた父である神の声が、自分に対しても告げられているとかみしめて頂きたいと話され、また信者になられた皆様は、ご家族にとっても教会にとっても喜ばしいことと激励された。
大阪府枚方市のカトリック教会
先ず、この状況下でも聖母被昇天と死者追悼ミサが行われた事に感謝します。
6月のミサ再開後、お互いの接触を少なくするため、毎年対面でしている追悼ミサの申込を今年は案内と封筒をセットにし、2千円を封筒に入れて献金箱に入れて頂くようにしました。
ミサに来られない方も多い事から、どれ程の申込があるか不安でしたが、最終126件の申込がありました。
当日は翌日の主日のミサがあるにも関わらず、神父様方に3回のミサを行って頂き、密にならぬよう無事終える事が出来ました。(S・S)
今年の平和旬間はコロナにより北地区の合同行事は中止、各小教区での活動となり、祈りを深める良い機会になりました。
枚方教会は8月6日のミサで平和旬間の祈りを開始し、8月9日(日)には、国連難民高等弁務官として人間の安全保障を打ち出された緒方貞子さんのDVD「すべての人々に尊厳を・・緒方貞子が遺したもの」を視聴、四十数人が参加されました。
カトリック信者である緒方さんの現場からの言葉「見てしまったからには、何かをしないとならないでしょう?できることから始めよう。」この緒方さんの思いがいろいろな形で拡がることを祈願します。(O・I)
3月から中止されていた公開ミサが6月13日(土)19時から再開されました。
ミサの再開に当たっては、長崎神父から各家庭に手紙を送付され、種々の注意事項連絡と共に、それぞれの家庭をA地区(8時30分)、B地区(10時)、C地区(11時30分)の3地区に分けられ、日曜日のミサを地区ごとに3回実施されました。
この対応により土曜日の夜のミサを含めて主日のミサ4回のいずれかに参加することができ、枚方教会の信者は毎週ミサにあずかれることになりました。
神父さま方のご尽力に感謝します。
ミサ参加に当たっては、①マスクの着用、②記名カードに記入、③献金、④手指の消毒、⑤紙コップの置かれた席に着席、の手順により感染防止の対応がなされ、スムーズな流れでミサが行われました。
ミサ再開に向けて準備をして頂いた方、また各ミサ後の清掃・消毒にご協力いただいた方に感謝いたします。
引き続きご協力の程よろしくお願いします。
初代教会の頃から何らかの分裂を経験したカトリック教会は、後代になって、広範囲にわたる不一致を経験しました。
カトリックに対抗するものとしてプロテスタントと言われる教会の分裂です。
しかし、プロテスタントの人々も信仰によって洗礼において義とされ、キリストに合体され、それゆえに正当にキリスト信者の名を受けています。
カトリックとプロテスタントの信者は、キリストにおいて当然兄弟なのです。
言うまでもなく、教理、規律、信仰の表し方などで少なからぬ違いがあり、これが一致のために重大な障害となってきました。
キリストを信じるという共通の立場に立って、この障害の克服を目指しているのがエキュメニズム運動です。
第二バチカン公会議の「エキュメニズムに関する教令」は次のように述べています。
「今日、世界の多くの地域で、多くの人が聖霊の恵みの息吹により、祈りとことばと行動によって、イエス・キリストの望む一致の完成に到達するために努力している。
そのためこの聖なる教会会議(公会議)はすべてのカトリック信者に対し、時のしるしを知って、エキュメニズムの事業に賢明に参加するよう勧告する。」
今、全国各地で行われている「朝禱会」は、1957年1月に、「大阪クリスチャンセンター」でプロテスタント諸教派の方々が、共に祈り分かち合う集いを持たれたことから始まりました。
当初は「大阪朝食祈祷会」という名でしたが、しばらくして「大阪朝禱会」と改められました。
ここに神戸、京都、奈良など遠方からの参加者も加わり、毎月の集いが100人を超える大きなものになっていきました。
そして大阪以外にも設立の機運が高まり、やがて全国へと広がりを見せたのでした。
次のような綱領も作成されました。
1.朝禱会は、イエス・キリストを信じるすべての人々に開かれた超教派の祈りの運動である。
2.朝禱会は、共にキリストの愛に生かされている者たちの一致を求め、福音の前進と主にある平和を祈る。
3.朝禱会は、御言葉に聴き、賛美を献げ、心を合わせて祈り、食卓を共にして交わりを深める。
1980年頃から第二バチカン公会議の勧告を受けて、カトリックからの参加者が増えました。
エキュメニズムの具体的な実践として評価された朝禱会は、各地のカトリック教会が集いの場として提供されるようになりました。
枚方教会では、マルセリーノ神父が設立に積極的に関与されて、「大阪河北朝禱会」として1999年(平成11年)に発足し、4月8日に第1回の集いが持たれました。
以後朝禱会は、毎月(8月を除く)第2木曜日の午前7時から枚方教会において開催されているのです。3~6月はコロナの影響で中止しましたが、7月は9日に開催の予定です。
朝禱会は約1時間の集いで、「第1部・祈り」、「第2部・交わりと食事」となっています。
第1部は、讃美歌(聖歌)、聖書朗読、主の祈り、奨励(講話)、平和を求める祈り(アッシジの聖フランシスコ)、各自の祈りで構成されています。
また第2部は、軽い食事をしながら自由に分かち合います。
参加は自由です。どなたでも気軽に参加してください。
キリスト教一致祈祷週間最終日の前日(1月24日)午後7時から、マラナ・タ教会主催の「メサイア」が枚方教会聖堂で開催された。
通常「メサイア」は、大編成のオーケストラと200人を超える合唱団で大きなコンサートホールで演奏される。
ベートーベン「第九」と共に年末のクラシック界2大イベントとなっている。
今回はかなりの小編成で、久下牧師によれば「素人の合唱グループ」とのこと、また会場も音楽会にふさわしい場所ではないのかと危惧していた。
しかし本来、メサイア誕生の秘話としては、慈善や慰安のために小編成での合奏合唱が行われたようで、この演奏会はその精神に合致していると合点した。
そしてM・Y氏の指導のもと、半年以上かけられた熱心な練習と、団員がワンチームとなって培われた成果が爆発したような一夜となった。
使徒パウロは私たちに語ります。
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(コリントの信徒への手紙二5章17節)
「キリストと結ばれる者はだれでも」とパウロは言います。
これを自分のこととして受け止められる方は幸いです。
しかし、このように受け止められる方はあまり多くなくて、「私は何年も前に洗礼を受けたけれども、新しく創造された者どころか、古くてダメな人間だ」と考えるクリスチャンが多いように思います。
私たちがキリストに会って新しく創造者であるということを受け止めるためには、次の18節以下を正しく理解する必要があります。
新年会当日は、25年前に起きた阪神淡路大震災の日、参加者(神父様4名を含め34名)で、1分間の黙祷を捧げ冥福を祈りました。
新年会は、Tさんのアコーディオン伴奏で「アーメン・ハレルヤ」を合唱後、Kさんの乾杯の音頭で始まりました。
91歳の誕生日を迎えられたフラデラ神父様に、3人の神父様から祝いの言葉と思い出話、感謝の言葉があり、ウイットに富まれているフラデラ神父様は、「私の冥福を祈って下さい」と応えられました。
それに反応したベテラン信徒は、フラデラ神父様からマイクを取り上げ「ダメです。頑張って下さい」と話して、マイクを返しました。
フラデラ神父様が話そうすると、またマイクを取り上げ話し出すということが繰り返され、神父様はおどけたようにマイクのコードを指でカットするしぐさで応戦します。
“令和2年婦人会新年会元日のミサと車の祝別新年を迎えて、元日のミサが0時、10時、12時に行われ、「神の母聖マリア」祝い、世界平和を祈願した。
ミサ後には車の祝別が行われ、運転者や同乗者も交通安全を祈願して神父様方から祝福を受けた。祝別された車の所有者からは、それぞれ献金して頂いた。
新成人の祝福1月12日(日)は「主の洗礼」の祝日、11時のミサ中に新成人の祝福が行われた。
司式をされた長崎神父は、この「主の洗礼」の日に教会はなぜ成人のお祝いをするのか、その共通点について説明された。
2年前の2月12日、死を迎えようとしている妻の枕元で私はテゼの歌を歌い続けていました。
「イエスよ、御国においでになるときに、イエスよ、私を思い出してください」。
十字架上のイエスの両側に同じように十字架に付けられた犯罪人の一人が、「お前はメシアだろう。自分と我々を助けてみろ」とイエスを罵ったのに対して、もう一人が「お前は神を恐れないのか、我々は自分のやったことの報いを受けているが、この方は何も悪いことをしていない。」と言った後にこの言葉を続けます。
妻の枕元でこの歌を歌いながら御国のことを思い巡らしていました。
“ルカによる福音書23章3―243節