私は、一事に励む人の姿に憧れます。
今日の聖書箇所に出てくるシメオンという人は、一事に励む人でした。
「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」というお告げを受けていたのです。
ですから、彼の使命とは、救い主を待ち望むこと、その一事でした。
しかし、シメオンは、いやいやそうしたわけではありません。
「この一事に励む」
世界福音伝道会 洛西キリスト教会牧師 奥村拓也
河北朝祷会より (2019.12.12 第228回)” の続きを読む
大阪府枚方市のカトリック教会
私は、一事に励む人の姿に憧れます。
今日の聖書箇所に出てくるシメオンという人は、一事に励む人でした。
「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」というお告げを受けていたのです。
ですから、彼の使命とは、救い主を待ち望むこと、その一事でした。
しかし、シメオンは、いやいやそうしたわけではありません。
御言葉は人となり私たちのうちに住まわれた
夜半のミサは、午後9時からの国際ミサが無くなくなり2回となった。
この時間のミサ、本来は子どもと家族のために設けられたのだったが、高齢者が増えてこのミサへの参加者が大勢を占めるようになって来た。
ミサはフリオ神父の司式で行われた。
ミサの中で教会学校の子ども達が、影絵でイエス誕生の物語を演じて大きな拍手を浴びた。
教皇フランシスコは2019年11月23日から26日まで、日本を司牧訪問された。
教皇の来日は、聖ヨハネ・パウロ2世教皇以来38年ぶり。
教皇フランシスコは長崎・広島を訪れて、「核兵器は、安全保障の脅威から私たちを守ってくれるものではない。」と、世界に対して強いメッセージを発せられた。
日本に対して共感と愛着を抱き、やっと日本を訪れることが出来たと語る教皇フランシスコ。
その司式のミサが、11月24日に長崎県営野球場、25日に東京ドームで行われた。
枚方教会の参加者から3人の方の感想を頂いた。
ペシャワール会の代表である中村哲医師が、2019年⒓月4日に現地ジャララバードで銃弾を受けて亡くなられました。
アフガニスタン難民のため、医療、井戸掘削、灌漑用水路開拓など人道的平和的な活動を続けて来られた姿は、私たちの信仰の鑑でした。
コンサートは12月15日(日)午後1時半から聖堂にて行われ、長崎神父の挨拶の後、社会活動委員がペシャワール会について、「現地の人の生活を大切にした中村医師の活動は、民衆の大きな協力を得て来た。タリバンさえも協力者だった。だからペシャワール会の活動は継承されて行く。私たちも支援を続けたい」と語りました。
鷲山かおりさんのオープニング演奏に続き、聖歌隊が待降節に相応しい歌3曲を披露。
鷲山さんはサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」などを温かい音色で披露し、新参加のソプラノ矢吹征子さんがシューベルトの「アベマリア」などを歌われました。
アンコールとして、中村さんと共に亡くなられた5人の方を追悼する「アメイジング・グレイス」が演奏され、最後は皆で「きょしこの夜」を合唱して会を閉じました。
義援金11万5900円をペシャワール会に送ります。
12月12日はグァダルペの聖母の祭日、枚方教会では10時からミサがあり、その後の祝賀会の中で、聖母出現の様子を小さな劇にして披露し、皆で分かち合いました。
10年前にフリオ神父様に連れられてメキシコを旅し、「グァダルペ大聖堂」のあるテベヤクの丘を訪れた時に、「GUADALUPAN」という本を買いました。
待降節に入った12月1日に恒例の待降節黙想会が行われました。
今年は、行事の都合もあって、3名の方に分かち合いをして頂きました。
ここ数年間は、1名は春に受洗した方にキリスト教との出会いを中心にお話をして頂き、そして他の信徒の方には、それぞれの生活や体験などの中から共に分かち合いたい話題をお話して頂いています。
12月8日(日)に枚方市駅前で、11時から2時半まで1時間ごとの交代制で街頭募金を行いました。
「台風15号19号による風水害被災障がい者支援」の募金です。
教会学校、スカウト、信徒の皆さんの大きな協力を頂き、「NPOゆめ風基金」に25万5813円を送金することが出来ました。
この募金にはラテン共同体からの特別な献金もありました。
11月24日王であるキリストの祭日に、今年7月16日に司祭叙階されたクラレチアン宣教会のグエン・バン・ナン神父の、枚方教会での初ミサと歓迎祝賀会が行われ多くの信徒が参加した。
ナン神父は9時と11時の二つのミサを司式され、よく透る声の美しい日本語で、挨拶を兼ねて次のように説教された。
11月10日(日)
教会バザーは大きな変換点を迎えました。
私たちの教会は信徒の皆さんの頑張りでこの行事を続けてきましたが、来場者数の減少とスタッフの高齢化や人手不足、寄贈品の激減「売るものがない状態」などで、全体を縮小せざるを得ないことになりました。
私が『あわれみ』の意味に気づきをもらったのは、あるおばあさんからでした。
彼女は、危篤の夫と共に緊急洗礼を受けた人でした。
夫の死後、家を訪問したとき、おばあさんは遺影に向かって「おじいちゃん、ごめんな、堪忍な、ゆるしてな・・」と手をすり合わせていました。
私が「おばあちゃん心配しないでね。おじいちゃんは今天国で幸せ。おばあちゃんも天国に行ったら二人して幸せですから!」と言いましたら彼女は「なんで私みたいなもんが天国にいけるねん!」と振り返り、その後驚くべき言葉を口にしたのです。