わたしは、60歳半ばにもなる今でも母に対する愚痴を信徒に向かってこぼす。
その多くは、「母のエリート教育のおかげで自分の精神性はズタズタになり、こんなおかしな神父(というより人間)になってしまった」という内容のものだ。
齢を取ってくるにつれ、最近のできごとについては忘却がひどいのに、昔の思い出はあふれるようによみがえってくる。
だが、その中には母に感謝すべきこともあるのだ。先日はこんなことを思い出した。
まだわたしが小学生だったころ、ある寒いクリスマスイブの夜遅く、母とわたしたち兄弟は所属する町の教会で夜半のミサに与った後、最寄りの駅から自宅に戻るためにバスを待っていた。
バスがなかなか来ないので母はわたしたちを連れてタクシー乗り場に向かおうとした。
バスを待つ人の列の後ろに、見覚えある白髪で痩身の老人を見かけた。
母は、歩み寄って、「いっしょに乗りませんか?」と声をかけた。その人は、わたしたちと同じ集落に住む韓国人の老人で、一人で住み、リヤカー引いて廃品回収を生業とされていた。
“クリスマスの思い出
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クリスマスの思い出
イルヴィン神父送別会
9月22日(日)、日本語研修のため枚方教会に1年間滞在されていたザベリオ会のイルヴィン神父の送別会が催された。
イルヴィン神父は11時ミサを司式され、メキシコから来日されたご両親も参列された。
また、インドから日本に司祭を派遣する準備のため来阪された「神のみ旨会」管区長のジョニー神父も一緒にミサをささげた。多くの信徒が送別会に参加し、心優しい神父との別れを惜しんだ。
信仰のしるし
助任司祭 梅﨑 隆一
イエスは使徒たちを宣教に遣わすにあたり、「異邦人の道に行ってはならない、むしろ、イスラエルの失われた羊のところへ行きなさい」と言われます。
世界で最初のユダヤ人はアブラハムでした。彼が神によって選ばれたのは、全ての民が神の祝福に入る為でした。
やがて、アブラハムから多くの子孫が生まれました。イエスは、まずユダヤ人が悔い改めて回心し、回心したユダヤの民が神の祝福を、生き方で示すことになると考えていました。
しかし、そんなイエスの考え方に転機が訪れます。
それは百人隊長とシリア・フェニキアの女との出会いでした。
“信仰のしるし
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スカウト礼賛(らいさん)
主任司祭 竹延真治
2012年に大阪教区のスカウト担当司祭の任命を受けた。
前任者が引退を当時の大司教様に申し出た時、少年時代にボーイスカウトの経験があるわたしに白羽の矢が立ったのだ。
スカウト経験があるとは言っても実際には中1でボーイスカウトをやめている。
遅くまで「おねしょ」の癖が治らなかったわたしは、キャンプ生活自体が針の上のむしろで、実際にテントで宿泊した夜にしくじってしまったこともある(神の助けか、その夜は土砂降りの雨が降りテント内に浸水、みんなの寝袋もびしょ濡れになりバレなかった!)。
「おねしょ」以外にも不器用で動作が鈍く、友達づくりが苦手なわたしは、ボーイスカウトをそれ以上続けることはできなかった。
スカウトを途中でやめたことで大変な劣等感があるから、わたしは「誰か他の神父様を任命してください」と司教様にお願いしたが、引き受けてくれる司祭が他にみつからず、やむなく教区のスカウト担当司祭を引き受けることになった。
就任直後、スカウトを自分の教会から追い出そうとする司祭が出てきた。
「国旗掲揚をするスカウト活動は軍隊のようだからうちの教会には置けない」というのだ。
幸いに司教様の仲裁を受けて何とか解決を見たが、これをきっかけにわたしはスカウト活動の歴史と意義を勉強しはじめた。 “スカウト礼賛(らいさん)
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振り返ってみる
助任司祭 梅﨑隆一神父
「神の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う」(マタイ13-45)。
このたとえ話の目的が「商売とは何か」を語ることであれば、「その真珠を高く売って、元手を回収し、更に大きな儲けを手に入れた。」という結論になると思います。
しかし神の国のたとえ話ですから、商人は儲けのためではなく、真珠そのものを手に入れるために、自分の持ち物をすっかり売り払ったということではないかと思います。
「真珠があまりにも素晴らしいもの」だったので商人であることを辞めてしまったのでしょう。
持ち物をすっかり売り払い、人生や命をかけても悔いの無い生き方って何だろう。
そんな問いを持つ私は神様に呼ばれ、36年前に私は、カバン一つに荷物を入れて修道院に入りました。
呼ばれた確信はありますが、私は弱いので同じ気持ちをずっと維持して生きることができません。
神の国の真珠とは社会の常識から見たらありふれたものです。
「子どもとお菓子を分け合って、幸せな気分になること」
“振り返ってみる
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ああ、いとしの聖霊降臨祭!
主任司祭 竹延真治
わたしは素直だが、ひねくれてもいる。
「クリスマスおめでとうございます!」と、12月24日のクリスマスイブや翌日の主の降誕の主日には信者の皆さんに向かって挨拶するにはするが、本心は「何もめでたくなんかないワイ!」と思っていたりする。
クリスマスがおめでたいとすれば、わたしの場合は、心からあふれてくる信仰の感情によるのではなく、ただ、教会行事が無事に無事故で終わったからだけなのである。
そんなわたしだが、クリスマスがとっくの昔に過ぎ、正月も終わろうとする頃に、突然「幼子イエスが自分の中にやってきてくださった」ことがしみじみと思い起こされる夜を迎えることもある。
スペインでは、クリスマスではなく、1月6日の主の公現の日に子供たちにクリスマスプレゼントを渡す習慣があるという。
典礼暦と、そこで祝われる祝日が心から実感できる日との間に時間差があるのは、ひょっとしたらわたしだけではないのかもしれない。
復活祭についてはさらにこの時間差は増してくる。
長い悲しみの期間の四旬節を過ごし、聖金曜日にイエスの受難を思い起こすことで負の感情はいやが上にも増してくるのに、その直後の復活祭で、打って変わって「御復活おめでとう!」と心から喜ぶような豹変(ひょうへん)はわたしにはできない。 “ああ、いとしの聖霊降臨祭!
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祈りとお話 梅﨑隆一神父
「あなたがたは異邦人のようにくどくどと述べてはならない。
異邦人は言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。」(マタイ6・7)。
異邦人は窮地に立たされたときに、様々な神々の名前を唱え、本当の神様の名前を唱えることができたときに願いが叶うと考えていた。
ですから本当の名前を唱えることができ、自分の願いが叶った時には、その名前を誰にも話さずに自分だけの秘密にしたそうです。
ヨナ書の中でもヨナが乗っていた船が嵐に遭った時、ヨナは船底で寝ていたのですが、船長がヨナのところにやってきて「寝ているとは何事か。さあ、起きてあなたの神を呼べ、神が気づいて助けてくれるかもしれない」(ヨナ1・6)と言っています。
そして名前を呼ばれた神は出て行かなければならないと考えられていた。ですから異邦人にとって祈りとは神々を支配する方法であったと言えます。
教会の子どもたちに「お祈りって何?」と質問したら、判を押したように「神様とのお話」という答えがかえってきます。
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メキシコ ザベリオ宣教会 イルヴィン神父
枚方教会の皆様、初めまして。わたしはザベリオ宣教会のイルヴィン・グティエレスと申します。
1988年9月13日にメキシコ共和国グアナファト州レオン市で生まれました。
わたしが長男で、弟が2人います。次男はイヴァン、末っ子はイサック。
イヴァンはエンジニアで、近くにあるアグアスカリエンテス市で働いています。
イサックの方は設計士で、レオン市に暮らしています。
両親ともにみんなが仲良くて、本当に良い家族に恵まれて感謝しています。
わたしは小さい頃からミサに与るのが大好きでした。
なぜかと言うと、主任司祭は信者さん一人ひとりを温かく迎え、とても親切な神父でした。
そのような神父様に憧れて神学校に入ろうと考え始めました。 “メキシコ ザベリオ宣教会 イルヴィン神父” の続きを読む
原罪から解かれたけれど
梅﨑隆一神父
教会の教えでは、人は洗礼の後、原罪から解かれるとあります。
ですからキリスト者は人生のある時からマリア様のように、無原罪になります。
それなのに、教会の中に罪が散見されるのは何故なのか。
原罪の原因はアダムとエバが、「(善悪の知識の木の実を)取って食べるな」という神様の声ではなく、「食べれば神のようになれる」という、この世で作られた最も賢い存在の声に聴き従ったこと。
また神の言葉をないがしろにするという罪を犯したのに、その罪を認めなかったためです。
こうして原罪がアダムとエバから生まれた全ての人に影響を与えています。 “原罪から解かれたけれど
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夏が来れば思い出す♪
主任司祭 竹延真治
「遥かな尾瀬」ではなく、近くのレジデンスでのことを。
東京の神学校に入学した最初の夏休み、わたしはクラレチアン会が担当する教会ではなく、枚方のクラレチアン・レジデンスを帰省先に選んだ。
デ・グランデス神父というアルゼンチン出身の巨体の老神父が一人いる修道院なら、小教区とちがって信者さんは誰もいないので、そこでゆっくり勉強ができるぞ、と思ったからだ。
神学校で使っている教科書や参考図書を段ボールに詰めて東京からレジデンスに送った。
レジデンスに荷物が届き、玄関先でそれを開いていると、デ・グランデス神父が近づいてきて言った。
「竹延、おまえはアホか。夏休みに勉強しようと思てるのか。夏休みは休む時じゃ。勉強なんかするな!」と。 “夏が来れば思い出す♪
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