知恵と知識はキリストのうちに ー日本基督教団 森小路教会 牧師 ー 河北朝祷会より(2016.4.14 第188回)

コロサイの信徒への手紙(2章1~5節)私が遣わされています森小路教会では、毎月聖句を選んで、「今月の聖句」として共に黙想しています。今月の聖句は箴言1章7節の「主を畏れることは知恵の初め」という有名な句です。

そこで特に知恵について黙想しておりましたところ、新約でコロサイの信徒への手紙2章が思い浮かびました。パウロは伝道旅行をしましたが、その際にコロサイやその近くのラオディキヤには寄らなかったようであり、それでも、まだ行ったことがない教会の信徒たちへ獄中から書き送っているのがこの手紙です。

会いたくても会えないもどかしさを感じながら、離れていても彼らの心を励まし、愛を伝え、正しい福音理解を伝えようとしているのです。パウロが伝えようとしているのは神の秘められた計画です。それはキリストに他なりません。少し加えて言いますと十字架の言葉でもあります。 “知恵と知識はキリストのうちに ー日本基督教団 森小路教会 牧師 ー 河北朝祷会より(2016.4.14 第188回)” の続きを読む

「思い巡らす」 -カトリック枚方教会信徒 M. S ー 河北朝祷会より(2016.3.10 第187回)

私は、厳格な律法の教育を受けた熱心なユダヤ教徒のサウロが、キリストに出会って裏切りともいえる回心をしたことに興味を抱きました。サウロは、ユダヤの唯一の神の律法を守ることが「義」であり、それを遵守しないキリスト者を異端とし、その撲滅に奮闘します。

撲滅するための権限が与えられていたサウロは、ダマスコへ遠征の途中、突然、天からの光に照らされ地面に倒れます。倒れたサウロに主は、「なぜ私を迫害するのか」と問いかけ、そして、「わたしは、お前が迫害しているイエスである」と語り、ダマスコへ行くことを命じます。地面から立ち上がったサウロの目は見えなくなっていて、同行の者の助けを借り、3日後ダマスコに到着します。 “「思い巡らす」 -カトリック枚方教会信徒 M. S ー 河北朝祷会より(2016.3.10 第187回)” の続きを読む

こだわり  長崎 壮神父

長崎神父写真

もう十数年前のことであるが、ある有名ラーメン店を取材した番組を見た。小さな店内は開店と同時にすぐに客でいっぱいとなり、順番を待っている客が店の外に並べられている椅子に座っている。皆が無言でうつむいている姿はこれからおいしい物を食べるのを楽しみに待つ姿には見えない。小さな子どもや香水がきつい人の入店はお断り。さらに雑誌や新聞を読みながら食べているとラーメンの「道」を究めたとされる 『こだわり』の強い店主の非常に厳しい視線が客に注がれ、客は否が応でも食べることに集中させられる。

食いしん坊の自分は道を究めた名人の味を一度試してみたいと思う一方、 狭量とも思えるその名人の『こだわり』に複雑な思いを抱いたまま、ついぞその店を訪れることはなかった。 “こだわり  長崎 壮神父” の続きを読む

いつくしみ フェリックス神父 

イスラム国と称する集団の数々のテロ事件、シリア等のあちらこちらの戦争や紛争ニュース。また国内でも守口の殺人、増え続けるオレオレ詐欺事件等々。頭が痛いというより心が裂かれるような心情です。

なぜそれほど悪いことをしないといけないのか。テレビで犯人が逮捕された時の映像を見ると、顔は淡々としています。誰もが理解に苦しむことでしょう。そんなことをする人たちには心があるのだろうかと疑うほどです。よく言われる共通点は、サイコパスという精神病です。この言葉の意味をウィキペディアで調べると「反社会的人格の一種を意味する」と書いてあります。感情を失い、人と共感できない人のことです。相手が苦しもうが、命を失うことになろうが、自分として何にも感じません。愛情、憎しみ、痛みはありません。 “いつくしみ フェリックス神父 ” の続きを読む

「恐れるな」 ルカ 五章一~十一節 ー日本基督教団マラナ・タ教会牧師ー 河北朝祷会より(2016.1.13 第186回)

わたしたちは大そう疲れている時があります。そんな時に、イエス様のお声を聞いても頭も体も動かないかもしれません。徹夜で働いたのに何もとれなかった漁師のペトロは、まさにそういう状態にありました。それでもお言葉ですからと、御命令に従い、驚きひれ伏す経験をします。そして、「恐れることはない」というイエス様の決定的な言葉に出会いました。

注目すべきことは、捕れないはずの魚が一杯捕れたことではありません。御言葉に従い神の御業に接したとき、ペトロが瞬時にひれ伏し全てを捨ててイエス様に従ったことです。 “「恐れるな」 ルカ 五章一~十一節 ー日本基督教団マラナ・タ教会牧師ー 河北朝祷会より(2016.1.13 第186回)” の続きを読む

ゆるし、ゆるされ、恵みの年に  昌川 神父

人類が、豊かさを優先した代償としての地球上の異変にも拘らず、今年も主の降誕と、神の母マリアにお奉げする新しい一年を迎えられたことは、このまま人類が生き方の責任を取って滅びに向かえば良いのではなく、 真の幸せに向かうべく『ゆるしと祝福』への招きだと、『神の慈しみの特別聖年』を感謝せずにはいられません。

人類は、物質的にも知的にも豊かさが増したとき、神は要らないと考えるようになり、手当たりしだい『富』を追い求める人になりました。そして皮肉にもその豊かさの中で今『生きがい』を探している人がなんと多いことでしょうか。 “ゆるし、ゆるされ、恵みの年に  昌川 神父” の続きを読む

 「神のうちの真のいのち」のローマ巡礼に参加   ー昌川 信雄神父ー 河北朝祷会より(2015.12.10 第185回)

私は10月に「ローマ巡礼」に参加し、ローマ、ポンペイ、アッシジ、ロレートを巡りました。ヴァスーラ・リデンという名前の、ギリシャ人の両親からエジプトで生れその後ヨーロッパに移住した女性の宗教家(東方正教会)が主宰した巡礼です。

参加者は総勢約750名で、東方教会とカトリックが半々弱、他にプロテスタントの方々でした。巡礼のテーマは「分裂ではなく一致を」でした。これから、巡礼中に、スウェーデン国教会(ルター派)のウェステルガルド牧師がされた講話を読ませていただきます。(掲載は紙面の制限があり一部の要約) “ 「神のうちの真のいのち」のローマ巡礼に参加   ー昌川 信雄神父ー 河北朝祷会より(2015.12.10 第185回)” の続きを読む

皆がひとつとなる典礼  長崎  壮神父

長崎神父写真

復活徹夜祭の復活賛歌、聖金曜日の盛式共同祈願などは助祭が参加するミサでは助祭の役目となる。昨年助祭に叙階されたのが四旬節だったため、叙階後間もなく聖週間の典礼のなかでこれらの助祭の役目を任された。今年も司祭叙階が復活祭後であったため、助祭として復活賛歌を二度歌う貴重な体験をさせてもらった。

はじめに復活賛歌を歌うことになった昨年、歌が苦手なことを自他ともに認めている私は聖週間に東京修道院に信者の友人を呼んで練習につきあってもらった。練習の時には一緒に歌ってもらえるとなんとか歌えるのであるが、独唱となると心もとない。聖土曜日に早めに教会に行ったら、聖歌隊を指導している信者さんが稽古をつけてくれた。 “皆がひとつとなる典礼  長崎  壮神父” の続きを読む

当然な祈り  ー枚方キリスト教会牧師ー 河北朝祷会より(2015.11.12 第184回)

私と祈り

クリスチャンになって40年。その大半において、祈りは「よく分からない」と思ってきた。「祈りなさい」と聖書にあるので、一応は祈るのだが、聞かれることもあり、聞かれないと思うこともあり、どうも捕らえどころがない。祈りが聞かれるには、どれほど強い信仰が必要なのだろうか、と思ってきた。エフェソ3章14‐19節には、あまりにもスケールの大きな祈りがある。ここでは、祈りに全く自信がなくても、確信をもって祈れることを教えてくれる。 “当然な祈り  ー枚方キリスト教会牧師ー 河北朝祷会より(2015.11.12 第184回)” の続きを読む

終油の秘跡?  病者の秘跡?  フェリックス 神父

あるお嫁さんが、教会に行って主任神父様に、姑さんが臨終だったので、秘跡を授けに来てくださるようにお願いしました。それを聞いた神父がこのように答えました。

「私が行ったら終油の秘跡になります。助任の若い神父が行ったら病者の秘跡になる。どちらに行ってほしいですか」と。お嫁さんが、「やはり、主任神父様に来ていただきたい」と答えたそうです。病人が助かる見込みがある間に神父を呼ばないで、医者があきらめた時だけ呼べばいい。まさに死ぬ寸前の秘跡。死にそうな人を天国に送り込むためのフリーパスのようなこと。 “終油の秘跡?  病者の秘跡?  フェリックス 神父” の続きを読む