本への招待 NO.13
使途信条(信仰宣言)教皇フランシスコとマルコ・ポッツア師との対話

教皇フランシスコとマルコ・ポッツア師との対話
阿部仲麻呂訳・解説
ドン・ボスコ社 B5版 1300円(本体)

教皇様は身近な使徒信条を通して語りかけておられます。本文を引用して紹介します。


陰府(よみ)に下り

ミサの中で使徒信条を唱えていますがイエスが何故「陰府に下る」必要があるのか、引っ掛かりを感じていました。

人祖アダムの罪を十字架上で贖い、復活の前に人祖アダムを地獄の状態から引き上げる必要があったのですね。

『チッタデッラ・チェーロの中央部に位置する小さな礼拝堂には、イエスが地獄に降下して、アダムの手を取って引き上げる姿が描かれたイコンがあります。これこそがイエス特有なふるまい方です。つまり、イエスはわたしたちを地獄の状態から引き上げるために降りて来ます。なぜならば、わたしたちをご自分に戻すために。』(P61) 

聖霊を信じ

聖霊の働きによって聖書を理解でき、教会共同体の一致には聖霊の働きが不可欠であると言われています。

聖霊の働きの体験の分かち合いが必要であるのではないでしょうか。

『聖霊がいらっしゃれば、イエスは今日も生きているお方としてわたしたちに実感されるのです。もし聖霊がいらっしゃらない場合、キリスト教は喜びのない単なる道徳主義になり下がります。聖霊がいらっしゃるキリスト教こそが、いのちの充実を味わう道となるのです。実に聖霊は、人の心の中で調和をもたらすだけでなく、人の外にも調和をもたらします。聖霊はわたしたちを一致させて教会共同体を活性化し、それぞれ異なる部分を一つの調和のとれた建物にまで構成します。』(P89) 

罪のゆるしを信じます

自己中心の私たちは自分の罪を許してほしいと願い求めますが、誰かの罪をゆるすことの難しさに気付いて、ゆるすことが大切なのです。

『わたしたちが自分自身の内側に籠りきりとなり、心を閉ざしたままで、誰かをゆるすことができないとき、それはどれほど悲しいことなのでしょうか。つまり、わたしたちが恨みや怒りや復讐心に支配されたままで、自分たちの人生を自ら悲惨なものにし、いつくしみにあふれる生き方に喜んで賛同することを妨げているからです。』


からだの復活を信じます

死への準備をし、復活を信じる準備が大事であると言われています。

『今のうちに復活のいのちを信じておけば、信じようとしない自分の心の中の残りの一部分を納得させる訓練を始めることができるでしょう』

永遠のいのちを信じます

天国とはお花畑という物質的な世界ではなく、霊的な世界であるとおっしゃっています。

『天国に住むということは、神や聖母をはじめとして、すでにその状態に到達している人々の姿を、平和のうちに深く味わうことにほかなりません。天国とは、創造主に向かって絶え間なく歌い続け、創造主の姿を楽しみ、自分自身の関心を創造主にゆだねることです』(P183)   
教皇様とマルコ神父との絶妙な対話、翻訳者の阿部神父の組み合わせによりこの本の格調の高さを感じます。

お勧めしたい本です。(A)