「あわれみ (ルカ19・5-6)」 カトリック枚方教会 司祭 昌川 信雄 河北朝祷会より (2019.11.14 第227回)

私が『あわれみ』の意味に気づきをもらったのは、あるおばあさんからでした。

彼女は、危篤の夫と共に緊急洗礼を受けた人でした。 

夫の死後、家を訪問したとき、おばあさんは遺影に向かって「おじいちゃん、ごめんな、堪忍な、ゆるしてな・・」と手をすり合わせていました。

私が「おばあちゃん心配しないでね。おじいちゃんは今天国で幸せ。おばあちゃんも天国に行ったら二人して幸せですから!」と言いましたら彼女は「なんで私みたいなもんが天国にいけるねん!」と振り返り、その後驚くべき言葉を口にしたのです。

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木を捜して登る
ーザアカイ、急いで降りてきなさいー
助任司祭 昌川 信雄

この度、38年ぶりの教皇の日本訪問は、信仰者ばかりでなくメディアも巻き込んでの大行事でした。

『教皇のお通り』を一目見たさに、長崎へ、広島へ、東京へと先回りして木に登った「ザアカイ」たちには、真に恵みの場となったことでしょう。

一か月後には、教皇に代わって、主ご自身が全世界の一人ひとりを訪問される『降誕祭』です!

世界はこぞって「イエスのお通り」を一目見よう(?)と、それぞれの木に登る準備でしょうか。

街と商店はイルミネーションの、若者たちは恋人への、大人たちはパーティの、両親たちは子どもへのプレゼントの準備に心はずませるようですが、私たち信仰者は「待降節」の木に登るための準備なのです!

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七五三のお祝い

11月3日(日)

11時のミサの中で、七五三のお祝いが行われ、次の姉弟2人が祝福を受けました。

・マグダラのマリア M・O  3歳
・ヨハネ M・T  1歳

ご両親の愛情と、神様からの祝福と恵みに満たされ健やかに成長されることを皆さんと共に祈りました。

Oちゃんは、来年「うみのほし幼稚園」に入園されます。

大勢の友達と一緒に、元気に園庭を走り回ったり、遊戯機で遊ぶOちゃんを見られるのは嬉しいことです。

〔奇跡の主〕を ラテン共同体と共に祝う

賑わった応援の催し

「奇跡の主」のお祝いが枚方教会で行われるようになって11年目だが、ラテン共同体が全て手作りで行っている。

その費用を賄うための応援の催しが9月29日(日)集会の家で行われた。

募金と共に南米の郷土料理や飲み物が販売され、多くの信者が参加して賑わった。

「奇跡の主のお祝い」

10月27日(日)第11回奇跡の主のお祝いが例年に続き行われた。

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河内キリシタン祈念祭 (河内キリシタン発祥の地で祈る)に参加して F・T

10月26日(土)、大東教会主催の河内キリシタン祈念祭に参加しました。

飯盛山のふもとの信愛の森で野外ミサの予定でしたが、前日の大雨で山道の足元が悪く、大東教会でのミサになりました。

19教会から約60名の参加があったそうで、枚方教会からも10数名が参加しました。

今回は5回目で、昨年までは河内出身の日本205福者殉教者である三箇アントニオと妻マグダレナの取り次ぎを祈るミサを行なってきましたが、今年から河内キリシタンの信仰そのものが素晴らしいと、「河内キリシタン祈念祭」という名称に変更されました。

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人を生かす死 いのちの伝達
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

カトリック教会の典礼暦では十一月を死者の月としています。

日本では死者をお盆の期間に追悼しますので、枚方教会でも日本の習慣に合わせてお盆の期間に当たる聖母被昇天の祭日に死者追悼祈念ミサをお捧げしましたが、教会の死者の月も大切にしていただきたいと思います。

今年の八月は例年以上に暑さが厳しく枚方教会では葬儀が多く行われ、私たちの信仰の先輩方を天上の教会へと送り出したことは悲しいことですが、天国に旅立った親を見送ったご家族からは故人への感謝とともに、故人から引き継いだ信仰を大切にしていこうという気持ちが強く感じられました。

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「言葉は肉体となり」 大阪正教会 神父 松島 雄一  河北朝祷会より (2019.10.10 第226回)

正教会が礼拝で用いる福音書は美しくレリーフが施された「金貼り」です。

「みことば」を伝えるのに、そんなご大層な装飾など不要とおっしゃる方もいるかも知れませんね。

確かに伝道とは「みことば」の伝達です。

しかし、それは聖書に書かれているテクストとその意味を正確に伝えるということではありません。

みことばを福音=「喜ばしい報せ」として、すなわち「父のみもとに行くための」唯一の「道」として、その道の行く手を照らしだす「真理」の光として、また正教会の復活祭賛歌を借りれば、神の御子がその「死を以て死を滅ぼし」て「墓にある者」に与えた「いのち」として、人々に伝えようとするなら、みことばは単なる言葉にとどまっていることはできません。

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アベイヤ司教と行く 聖地巡礼の旅 助任司祭  昌川 信雄

空の人となった私は機内で、憧れつつ実現不可能と思っていた聖地(イエス様が生まれ育ち亡くなった地イスラエル)に今、確かに向かっているのだと言い聞かせていました。

テル・アビブ空港でガイド役の佐々木氏に迎えられ、バスは闇の中を宿泊地エルサレムへ。

夜が明ければいよいよ、これまで写真と想像だけで脳裏に焼き付けて来た景色を眼前にするのです。

夜が明けて私の目に入って来たものは、夢の中の感覚でした。

ふと、死んだら神さまの前でも、こんな感覚なのかとの思いがよぎるのでした。

最初に向かったのは「オリーブ山」。

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どうしてみんなが同じ言葉をしゃべらない? ―大好きな子どもに向けて― クラレチアン宣教会 フリオ・トレス神父

秋晴れの心地よい季節となりましたが、枚方教会の皆様は、いかがお過ごしでしょうか。

過ごしやすい季節とはいえ、季節の変わり目は、体調を崩しがちです。朝夕の冷え込みに注意して、自己管理も今からしっかりと心掛けていただきますよう、お願い致します。

さて、本誌「グァダルペ」10月号の巻頭言を担当するに当たり、私は今回、子どものことを考え、みことばを使い、子ども向けの神さまのお話をすることに決めさせて頂きました。

たいへん単純なお話ですが、大人の方々にも、少しでもお役に立てればと思います。

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