「聖書と典礼」の 分かち合いクラス  ーカトリック枚方教会信徒 T.Nー 河北朝祷会より(2017.4.13 第199回)

このクラスは、昨年復活祭の受洗者で仕事に就いている新しい信徒を中心に、長崎神父さんが5月から始められた毎週水曜日午後8時からのクラスです。主日のミサのテーマの理解目的は、各主日のミサのテーマをできるだけよく理解し、信徒としてその週の生活目標を立て、 祈りを大切に過ごすことです。そのための方法として、翌週の主日の「聖書と典礼」の公式祈願(特に集会祈願)と3つの聖書朗読箇所をよく読み、そのテーマに各人が思いを馳せ、神父さんの指導のもと、イエスの考えと行動を黙想し、それぞれの考えを分かち合います。

4月9日受難の主日の「聖書と典礼」をご覧頂きますと、集会祈願には、「わたしたちが、主とともに苦しみを耐えることによって、喜びをともにすることができますように」とあります。フィリピの教会への手紙には、「人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」との言葉があり、福音書のマタイによる受難には、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉があります。

わたしはこれらの言葉から、このミサのテーマは、主の教えに対して徹底して従順であることであると考えました。四旬節の主の教え四旬節は回心の時であり、洗礼志願者へのメッセ―ジも多々あります。

第1主日では、イエスは、「退け、サタン。あなたの主を拝み、ただ主に仕えよ」と書いてあると、悪魔の誘惑を退けます。

第2主日では、主の変容の場で、光輝く雲が3人の弟子を覆い、「これは私の愛する子、私の心に適う者、これに聞け」という声が聞こえ、弟子たちはひれ伏しました。

第3主日では、井戸端でのサマリアの女との会話で「私が与える水はその人の中で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」とイエスは言い、女は「その水をください」と応えました。

第4主日では、シロアムの池で盲人を癒される前にイエスは、「私たちは私をお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。…私は、世にある間、世の光である」と言われました。

第5主日では、イエスは死後4日目のラザロを復活させ、あなたが私をお遣わしになったことを人々に信じさせてくださったと、主に感謝されました。

私にとって主の教えに徹底して従順であることは不可能のようです。しかし、身近な隣人のために考え、話し、行えるように努めたいと思い、毎朝の祈りの中で、私のしたいこと、しなければならないことだけではなく、あなたのお望みになることができますようにと祈っています。

聖コルベ殉教の地へ巡礼ところで私は、3月27日から4月4日まで、ポーランド巡礼ツアーに参加し、聖コルベ神父のことを目と心で観てきました。ヨハネ福音書に「友のために命を捨てること、これ以上の愛はない」というイエスの教えがあります。1941年2月に同僚4人とともにゲシュタポに逮捕され、アウシュヴィッツ収容所に送られた神父は、脱走発覚で処刑に指名された10人中の1人の身代わりになることを申し出て、8月14日餓死刑のすえ殺されました。この殉教の情報は同僚の囚人から8月30日にフランシスコ会の修道院に入りました。正に主を証しした人でした。