外国人になる 長崎壮神父

三ヶ月にわたるスペイン研修での最初の滞在先、ヴィックの街は様変わりしていました。六年前に初めて訪れた時にはあまり見かけることのなかったアフリカからの移住者が増え、日曜日に目抜き通りで開かれる市場の露店主も約半数がアフリカ出身のムスリムの経営者のようでした。

一昨年開催されたクラレチアン会の総会では、「多文化、異文化の共生」という言葉がキーワードのひとつになりましたが、総会文書の字面だけではわからなかった多文化共生社会がどのようなものなのか、そして世界は着々と多文化共生の時代に向かっていることを肌で感じました。

外国人の私の目にも写ったヴィックの街の変貌を地元の人はどのように受けとめているのでしょうか。たまたま研修の講師を務めたひとりの司祭がヴィックの出身でした。彼は司祭叙階後にローマのクラレチアン会の霊性研究所で教鞭をとるなど、四十年以上を宣教師として海外で生活し、教職から身を引いた後に故郷に戻ってきたわけですが、彼がヴィック出身であることを知っている人たちからは大抵「故郷に戻れてよかったですね」と声をかけられるそうです。その場合、彼は「自分にとっての故郷ヴィックは心の中にあります。多文化共生が進んだ今のヴィックの町では私は原住民です」と答えることにしているとユーモアを交えて話してくれましたが、クラレチアン会員として時代の変化を冷静に見てその要請に応えることの大切さを私たちに伝えたかったようです。

ところで、この多文化共生社会について、研修科目のひとつとして神学生養成の観点から学ぶことができたのも私にとって時宜に適ったことでした。なぜなら司祭、修道者召命の減少が深刻になっている昨今、今後は召命の多い近隣のアジア諸国に神学生の派遣を頼まなければならないことが予想されるからです。

そして研修の分かち合いの中で、外国で生活することの難しさとして言葉の問題のみならず、孤独感や疎外感といった問題が挙げられたことには考えさせられました。以前であれば日本に派遣されてきた神学生には先ず日本語を徹底的に学ばせ、日本文化に慣れてもらえるようにと、いわゆる一方通行の養成をしてきたのですが、今後は海外から来る神学生に対して彼らが寂しさを感じないように迎える側である私たちも彼らの母国の文化を尊重し、一方通行ではなく相互に学び合う姿勢が求められることでしょう。

私自身もこの研修の中でコミュニケーションで不自由を感じる「外国人になる」体験をしたことで、国内では日本語だけで事足りてしまうという、日本に生まれて日本で生活している者としてのありがたさを感じると同時に、多文化共生への意識の低さに気づかされました。そして研修を終え、枚方修道院のドアを開けた時に出迎えてくださった二人の外国人司祭の「お帰り」という日本語の響きが温かく感じられたこと、そしてふたりの先輩への感謝と尊敬が増したことも「外国人になる」体験のたまものだったと思っています。

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