教会での聖霊の働きについて ―聖イレネオ司教の教え―  フラデラ神父

5月20日に聖霊降臨の主日を迎え、聖霊に満たされた教会の誕生を祝いました。
復活されたキリストは、弟子たちに聖霊を送ることを約束され、五旬節の日に聖霊を受けた弟子たちは、聖霊による洗礼により、人々を神の子へと生まれ変わらせる権能を授けられました。教会はその権能を受け継いで来ました。

枚方教会ではこの時期に堅信式に向けての準備が始まると聞きました。私たちにとって堅信の秘跡は聖霊降臨のようなものです。そこで古代教会の教父聖イレネオの聖霊の働きについての教話を聞いてみたいと思います。

主は神の子へと生まれ変わらせる権能を弟子たちに与えられた際、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに、父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」と言われた。
同じ主は終わりのときに、僕とはしために預言させるため彼らにこの霊を注ぐ、と預言者を通して約束しておられた。それゆえ、聖霊は人の子となった神の子にも降った。それは、霊が彼とともにあることで人類のうちに住み、人々のうちにとどまって憩い、神の形づくった身体としての人間のうちに住むためであった。聖霊は人間のうちに住んで、その中で父の意志を行ない、彼らを古さからキリストの新しさへと導くのである。

ルカは、主の昇天の後、五旬節の日にあたってこの霊がすべての民族をいのちへと導き入れる権能をもって弟子たちに降ったと言っている。こうして、弟子たちは一致して、あらゆる言語で神を賛美し、そして霊は互いに遠く離れていた諸部族を一致へと連れ戻し、全民族の初穂を父にささげたのである。
だから主も、わたしたちを神にかなう者とするはずの弁護者を遣わすことを約束された。水分がなければ乾いた小麦粉からは一つのパンもできないように、天からの水がなければ、わたしたちが多くの者でありながらキリストにおいて一つとなるということは不可能であったのである。また、乾いた大地が水気を吸い込まなければ実を結ばないように、わたしたちも最初は干からびた枯れ木であったので、上からの豊かな雨がなかったら、生命という実を結ぶことは決してなかっただろう。

わたしたちの身体は洗礼の水洗いによって、魂は霊によって、不滅性にまで至らせる一致を受けたのである。
神の霊、「知恵と識別の霊、思慮と力の霊、認識と敬虔の霊、神を畏れ敬う霊」が天からの露として主に降った。そして、この同じ霊を主はそのまま教会にお与えになった。すなわち、弁護者を天から全地に遣わされたのである。その地には、主の言葉によれば「悪魔も稲妻のように」投げ落とされたのである。それゆえ、わたしたちには神の露が必要である。それは、わたしたちが悪魔である稲妻によって焼き尽くされてしまわないため、また、実を結ばないままで終わることのないためである。そして訴えるもの、すなわち投げ落とされたサタンのいるところに、弁護者にも共にいてもらうためである