ラテン共同体と共によろこび祝う エル・セニョール・デ・ロス・ミラグロス(奇跡の主)

 

 

 

南米ペルーのカトリック信者にとって最も親しまれている「奇跡の主」の祝いは、現地では毎年10月第1土曜日、18、19、28日、11月1日の5日間行われているが、中でも28日は最も盛大に行われる。枚方教会でも行われるようになって記念すべき第10回を迎えた今年は、10月28日(日)に実施された。

現地と同じ日の開催となったこの日、台風接近で大雨だった昨年とは打って変わった晴天に恵まれて、伝統の紫色の衣服で参加した人々の喜びの輪が大きく広がった。

お祝いのミサはアベイヤ司教の主司式、ハイメ、フラデラ、長崎3司祭の共同司式で、スペイン語と日本語を交えて行なわれた。聖櫃前に設置されたスクリーンには、ミサの次第がスペイン語と日本語で表示され、参加者の理解を助けた。

アベイヤ司教は説教で、当日の福音について、「盲人のバルトロマイはイエスに『わたしを憐れんで下さい』と叫び続けた。イエスの『何をしてほしいか』との問い掛けに『目が見えるように』と答えると、イエスは『あなたの信仰があなたを救った』と言われた。神を信頼して声を上げ続け、道を歩まれるイエスに従う信仰を、わたしたちも持たなければならない」と話された。奇蹟の主を、ひたすら信じて讃えるこの日の行事に相応しいお話だった。

ミサが終わると、祭壇に飾られていた奇跡の主の御絵が、聖堂前でアベイヤ司教によって祝別され、幼稚園園庭に運ばれ神輿に乗せられた。御絵の飾り付けられた神輿の前で、民族衣装の男女によってお祝いのダンスが披露された後、神輿を担いだ行列が園庭を練り歩く。枚方教会の大勢の信徒たちも共に神輿を担いでお祝いに参加した。また、神輿を囲んで日本の花笠音頭を踊り、交流の輪を作った。

集会の家では、郷土料理などの飲食コーナーが設けられ、民族音楽などの色々な催し物を楽しみながら親交を温めることが出来た。

 

「奇跡の主」の祝いとは

「奇跡の主」の祝いが、何故大きな行事になったのだろうか。
1651年ペルーのリマで、ある黒人奴隷が日干し煉瓦作りの粗末な壁に、十字架上のイエス像を描いた。このイエス像の描かれた壁は、1655年11月の大地震の際にも全く損害を受けなかった。その後1670年に、この壁に描かれたイエスに祈りを捧げたアントニオ・デ・レオンの病気が快復したことから、アントニオの周囲にいる黒人たちを中心にして、信心が広まって行ったと言われる。

カトリック教会は、この信心を異端的として禁止していたが、1687年10月にリマでまた大地震が発生した。数千人の死者が出るという大惨事の中で、この壁はまたしても崩れ落ちることなく無事に立ち続けた。これを切っ掛けにしてカトリック教会も容認するようになり、壁に描かれたイエス「奇跡の主」への信心は爆発的に広がった。そしてこのイエス像が模写されて神輿が作られ、聖行列(プロセシオン)が行われるようになった。

十字架上のイエスの苦悩を偲び痛悔の心を表す紫色の衣装を着けて、人々は「奇跡の主」に感謝の祈りを捧げて祝う。紫の衣装に因んで、リマの10月は「紫の月」とも呼ばれている。