平和について考えよう ー福音宣教の立場からー 寄稿者Y.A

シャローム

私達クリスチャンは「平和」と言った時シャロームShalomというイエス様が使っていたヘブライ語を思い出します。昔、ロサンゼルスのホテルでマリッジエンカウンターのバッジを付けたユダヤ人男性に、日本のことを拙い英語で話しかけました。後にニューズレターが送られて来て、各記事の末尾にLove and Shalomと書かれ、今もShalomを使っていることを知りました。

昭和30年中頃、Shalom aleichemテンポのよい歌を黒人歌手が歌っていました。Peace be with you「平和があなたと共にあるように」という祈りの歌です。英英辞書にShalomは出会いや別れの挨拶で、Peaceと同時にcompleteness(完全であること)とあります。本田神父はシャローム(平和)を「傷ついた部分がどこにもない」と言っておられます。シャロームは、私達の言う単なる「平和」ではなく日本語にはない大きな概念のようです。

福音宣教
福音宣教は「見て」「感じて」「伝える(行動する)」とアベイヤ司教が昨年の婦人会黙想会で話されました。
例えば、シリアの内戦で子供が犠牲になった写真をテレビなどで「見た」「可愛いそうと感じた」。そして思いめぐらして祈る。今は何もできないが、このプロセスを重ねていくと、福音宣教の心や平和への思いが心に醸成されていき信念となって、身近に問題が起こった場合の行動基準となります。「見ない」「感じない」という無関心では福音宣教はできないと思うのですがどうでしょう。

平和
戦争中の体験から、戦争がないことが平和の絶対的な条件と私は思っています。
300万人と言われる人が亡くなった戦争は、何があっても避けなくてはいけないと思います。73年間続いた平和を大事にしましょう。

平和憲法

日本は世界に誇り得る平和憲法を持っています。
戦争放棄を訴えた第二章第九条は素晴らしいと思います。理想で非現実的で改正すべきという意見があり、逆に理想だから守るべきという考えもあります。「読んで」「考えて」「自分の信念を持つ」この3つのステップは大切です。読まず吟味もしないで他人の意見に左右されては駄目です。日本人で憲法を知っている人は多くないように思われます。
人間の命や尊厳に関わることであれば、共同体の中でも議論すべきだと思うのですがどうでしょうか。相反する意見を持つ人が互いに議論し自分の考えを確認することは、共同体では大切なことだと思います。憲法をよく読んで関心を持ちましょう。
子供や孫たちを守るために

日本国憲法
第二章 戦争の放棄
第九条
【戦争の放棄戦力及び交戦権の否認】
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。