クリスチャンの成長 〈エフェソ4章11-15節〉 ー小牧ホープチャペル牧師ー 河北朝祷会より (2018.11.8 第215回)

「キリストを信じたら、罪が赦されて天国に行ける」とは素直に信じられても、エフェソ書のこの箇所は、なかなか事実だとは思えなかった。

11節では、キリストが〈ある人を牧者、教師とされた〉とある。その結果、12節では、〈聖なる者たち〉すなわち(クリスチャンたち)が、〈奉仕の業に適した者とされ〉、〈キリストの体〉(教会)を〈造り上げてゆき〉、とある。

確かに、歴史の中で、そのようにキリストの教会が世界に広がり、存在している。
しかし、13節に進むと、〈ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです〉とある。ものすごい成長である。

私自身の35年の司牧生活の中で、牧師の働きをさせてもらっている感謝は常にあったが、しかし、その大半の期間、「なぜクリスチャンは、自分も含めて、多くの場合、成長が遅いのだろう」と思ってきた。クリスチャンは、キリストを信じて救われた当初は、神からの喜び、平安を持ち、確かに質的に変わっていることを自他ともに感じる。しかし、2-3年のうちに、その成長のペースが鈍化してしまうことが多い。そして、不満や心配や焦りや怒りや、そのようなものに翻弄されている自分自身を見出し、「クリスチャンもそんなに急に成長するわけはない」という確信すら持ってしまう。

しかし、13節では、クリスチャンたち〈皆〉が、〈神の子〉キリストを〈信仰〉、すなわち信頼し、原語が「エピグノーシス」の〈知識〉は、頭で理解する「グノーシス」より、キリストご自身を人格としてよく知っていることになる。だから信頼できる、そこにおいて一つになれると言われている。そして、成熟したクリスチャンとなり、さらに〈キリストの満ちあふれる豊かさにまで成長する〉と、ものすごい成長が約束されている。これは、私たちの人格が磨かれるというよりも、キリストがすばらしいご自身を私たちに表してくださることになる。

このような約束に励まされて、クリスチャンとしての成長に問題があると感じていたある人のために、祈り出した。そうすると、その人が、何か変わっていかれているように感じた。私はうれしくなって、さらに祈った。数年のうちに、キリストを人に証していかれる、柔和なクリスチャンになっていかれた。

夫婦仲が良くないクリスチャンご夫妻のために、個人的に祈り始めた。しばらくのうちに、神様がそのご夫婦に働いておられると感じるようになった。折に触れて祈らせてもらったが、家庭でのいろいろな課題もあって、人の痛みを自分の痛みとして感じられる、愛深いご夫妻に変わっていかれた。

70代半ばの婦人の方が、「もう高齢なのであまり奉仕はできない」と言われ、確かにしんどそうであった。私は自分一人で、神さまの力がその方を強くしてくださるように、祈らせてもらった。翌週お会いした時には、その方から心のしんどさを感じなかった。夏休みの子どもプログラムでは、大変な台所の奉仕を、中心になって全体をまとめてくださった。

私たちが、神に信頼して、お願いする時に、神は約束しておられるすごいことをされ、ご自身が聖書の言葉通りのすばらしい方であることを表してくださる。