福音宣教を考えよう  指導司祭 松村繁彦神父

9月21日(土)午後5時から香里教会において枚方・香里壮年合同黙想会が開催された。

枚方教会からは女性3人を含めて20人が参加。黙想会の後はバーベキューでの懇親会を楽しんだ。

黙想会では松村神父が、現代の福音宣教について話された。

福音宣教は以前の布教とは基本的に異なっていて、信徒は新しい福音宣教の在り方をもっと深く認識しなければならない、従来型の布教はかえって教会を滅ぼすものだと強く訴えられて、参加者の回心を促された。

〔講話要旨〕

福音宣教は教会の使命

第1次世界大戦後の1919年にベネディクト15世は、福音宣教の必要性を訴える使徒的書簡「マキシムム・イルド」を発布された。

百年後の今年、それを記念してフランシスコ教皇がその再強化を推進されている。

第2バチカン公会議は、福音宣教を現代化として位置付ける。

イエス(みことばの受肉)をそれぞれの文化の中に開花させること(インカルチュレーション)こそ、福音宣教と捉えるのだ。

その手段として「対話」が重要であり、その対象は教会内ではなく人類そのものである。

布教と福音宣教の違い

布教とは上から教え込むことであり、信仰はこうでなければならないと教え込まれた。

例えばフィリピンで作られたバナナをそのまま日本で食するようなものである。

福音宣教は、言わばカレーライスである。

カレーはインド発祥であっても、日本の食文化として定着している。

福音が日本文化の中に生きていなければならない。

これまでの日本での信仰教育は、日本人の生活の中に生きるものではなかった。

信仰の本質を伝えてはいても、活力のない指示されるものだったのだ。

福音宣教とは福音化すること

福音化とは、キリストの福音に喜びを感じ、それを共有して生き、分かち合うことである。

個人的にも教会的にもまた社会的に見ても福音に生きるものでなければならない。

福音宣教のために、イエスが福音そのものとの認識と、キリストに生かされている確信がなければならない。

そして既成概念を捨て、教会の外に出て、他者を考えの中心に置くスタイルを身に着けたい。

信仰を知り生きる

何よりも先ず神の恵みへの理解が大切だ。

種は蒔かれている。

しかも栄養のあるところに蒔かれている。

成長を思い起こそう。

実りを確認し、それを他者と分かち合おう。

イエスのように、イエスと共に見て、共感し、分かち合いたい。そこに喜びがあり、福音宣教がある。

(文責 K・T)

     挨拶される長崎神父

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