イエスの生い立ち
ヨゼフの許婚マリアは結婚前に身ごもり、律法の厳しいユダヤでは姦淫の罪人です。
天使ガブリエルが聖霊によって神の子を身ごもったことを告げ、マリアは「私は主のはしため、お言葉のようになりますように」と素直に受け入れます。
ヨゼフには主の天使が夢の中に現れて同じようなことが告げられます。
二人は迫害から逃れるためにその土地から離れます。
月が満ちてベトレヘムで宿屋を探すが部屋がないと断られ馬小屋でイエスを産み布でくるみ飼葉桶に寝かせました。
ユダヤの世界では罪人として冷たくされていました。
ヘロデ王が2歳以下の子供を皆殺しにするとヨゼフは夢の中で告げられエジプトへ難民として逃避、悲惨な生い立ちでした。
成長して公生活を始める
イエスは社会の指導者等に大食漢で大酒のみで徴税人や罪人の仲間(マタイ11・19)、悪霊に取りつかれ、学問のない者と蔑まれていました。
安息日を守れない羊飼いは罪人、足萎えや重い病人は罪の結果として罪人、漁師は魚を捌く時血に触れるので罪人、ローマの命令で税を取る徴税人は嫌われ者、これら社会の底辺の人達の仲間でした。
「私は罪人を招くために来た」と彼らの仲間になり彼らに寄り添い、癒し、時には奇跡によって救いました。
弟子の大半は罪人の漁師、徴税人や羊飼いでした。
罪人とされている彼らを受け入れる社会こそが真の平和な社会であると神はイエスの行動を通して示されたのではないでしょうか。
イエスに憧れている私達はイエスが貧しく罪人の仲間とは受け入れ難いのですが、聖書にはそう書かれています。
アダムの罪を贖う
ピラトはイエスを捕えたが「この男に罪を認められない、鞭を打って釈放しよう」と曖昧な態度を取ります。
ピラトを知事に任命した有力なセイアヌスがローマで失脚して後ろ盾を失い自分の力で知事の職を守らねばなりませんでした。
税の徴収が危うくなる一揆や暴動を恐れ、イエスを処刑すると信奉者たちが暴動を起こすのではないかと云う不安を持っていました。
ローマの圧政からの解放を期待していた民衆は「ホザンナ」とイエスをエルサレムに迎え入れましたが、期待が外れ「十字架につけろ」の声に変わりこれを聞いたピラトはイエスの死刑を決意しました。
イエスは人祖アダムが永遠(無限)の神に犯した有限の人が償えない永遠の罪(原罪)を贖うためにエルサレムに入城したのでした。
イエスは軽蔑され唾をはかれ、茨の冠を被され、十字架上では犯罪人から罵られ悲惨な死を遂げました。
神であるイエスは御自分の血と引き換えに人祖アダムの罪を贖って、人類は永遠の罪(原罪)から解放されました。
復活祭で「キリストは私たちのために血を流して、永遠の父にアダムの罪の負債を返し」と歌います。
神は万物を創造された後、ご自分にかたどって愛するものとして人をお造りになった。
人は神の道に外れますが預言者を通して愛を語りかけられ、そして人間の社会にイエスを送り、言葉と行動で神の愛を示され、御自分の血を以ってアダム(人)の罪を贖われ最高の愛を示されました。
今も人間は罪を犯しますが、有限の罪ですから有限の人間が償う事ができます。
カトリックでは7つの秘跡の一つ、赦しの秘跡があります。
神父がイエスの代理者として信者から罪の告白を聞いて赦しを与え、何らかの償いをするよう指導されます。