5歳頃までよく泊まりに行っていた祖父母の家で、「旧約聖書物語」を読み聞かせてもらったり、マリア様の御絵をいただいたりしたのが始まりでした。
祖母の実家には立派なパイプオルガンがあったのでクリスマスには教会の皆が集まり礼拝をしていたというのですから、曾祖父母はおそらくプロテスタントだったと思われます。
お墓にも十字架がついています。
そんな曾祖父が祖母のために選んだ学校はカトリックの学校でした。
祖母は殉教者ゲオルギオのフランシスコ修道会の寄宿舎で大学に入るまでの一二年間を、終末以外はドイツ人シスターとともに過ごしたそうです。
ただ神道の家の跡継ぎに決められていたため洗礼は許されませんでした。
母も聖母被昇天修道会の中学校で過ごしたにもかかわらず神道のままでした。
それでも母も私自身も思い悩むと聖書を読み、その中の御言葉にいくどとなく助けられてきました。
大学院を出て結婚をしたのですが結婚式当日に発覚したとんでもない嘘の数々によって継続困難な婚姻生活にどう終止符を打つか悩んでいる最中のことでした。
ちょうどその時ウィーン国立音大の講習会のためにウィーンに滞在していました。
カプツィーナ霊廟を訪ね聖堂でお祈りをしていたときに、一人の修道士に話しかけられました。
よほど絶望的な顔をしていたのでしょうか。
つたないドイツ語で聞き取れたのは「Christusistbeidir」だったと思います。
「キリストはあなたとともにおられます。」
そして小さな香料の入った布袋をくださいました。
寮に戻って紅茶にそれをふっていただいてから近くのシュテファン教会に行くと突然素晴らしいオルガンの演奏が始まりました。
今思うとオルガンの音を聴いたその瞬間が現実から逃げずに全てを解決しようと思えた瞬間でした。
帰国してすぐに弁護士の先生と綿密に打ち合わせ、その諸問題を三年がかりで解決しました。
それをきっかけにピアノだけでなくオルガンの勉強もはじめたのです。
このことで後にヤマス神父様に「ぜひオルガニストに」と言われるまま信仰講座を受けるきっかけも作ってくれました。
ホッとできたのもつかの間、次は健康上の問題が起こりました。
ヨブ記を何度も読み返したことを覚えています。
ちょうど生徒さんのお母様が枚方教会の信徒の方でヤマス神父様にお話を聞かれたらと御ミサに誘ってくださいました。
ようやく体調もかなり良くなった頃に信仰講座を受けることにしました。
そのときに私たち親子を励まし、一緒にお勉強してくださったのが七尾さんをはじめテレーゼの会の方たちでした。
母も今しかないという覚悟で私とともに洗礼を受けることを決意しました。
こうして幾度となく大変な時期を乗り越えてこられたのもキリスト教とのつながりがあったからだと思います。
母の病から帰天、私の事故や病とまだまだ続きましたが「乗り越えられない軛は与えられない」と信じてポジティブに生きていこうと思います。