光と喜びに包まれた日
ジャンヌ・ダルク F・M

 

去年の暑い夏の夕暮れ時のことです。

私は、カトリック枚方教会の門を叩きました。

身内にカトリック信者はおらず、知人にもいません。聖書を見たことも、手にしたこともありませんでした。

私は四人兄弟の一番上で、いつも「自分がしっかりしなきゃ」と思いつつ、情けないと言われる日々を過ごしていました。

家にいることが辛いなと感じる事も多く、「自分は何のためにうまれてきたのだろう」と自問自答を繰り返す日々。

家にいて、孤独感を感じていました。

時として孤独は良いものですが、時として孤独は厳しいものです。

もし神様が本当にいるのなら、この苦痛から抜け出せるのになんて考えていました。

そんな時、夢をみたのです。

はっきりとは覚えていませんが、なんとも不思議な夢でした。

大好きだった祖母が十字架らしきものを手にしていた夢でした。

目が覚めた時、十字架といえば、キリスト教しか思い浮かびませんでした。

無知な私に分かった事は、それだけでした。

十字架が気になり、仕事帰りに教会へ立ち寄ったのが、神様との出会いでした。

今思えば、神様からのメッセージだったのだと思います。

後期にはなってしまいましたが、こうして入門講座を受ける事を決意しました。

初めて見る聖書、初めて聞く言葉。

そして、聖書の御言葉にふれた時、「ああ、神様は本当にいらっしゃる。いつもそばにいてくださるんだ」と、過去の「神様なんていない」という心が変わった瞬間でした。

洗礼を受ける事は、家族に告げたものの、あまりいい反応はしてくれませんでした。

それでも、私は神様に出会い、信じる事ができたからこそ、洗礼式に臨む事ができました。

私の洗礼名であるジャンヌ・ダルクは戦争で活躍した人という印象が強いですが、ジャンヌは優しさと愛、そしてたぐいまれなる強い信仰心の持ち主でもあります。

私は、強く優しくありたいと思い、洗礼名をジャンヌ・ダルクにしました。

復活徹夜祭当日はとても緊張していました。

しかし、光の祭儀が始まり、暗闇の中に照らされたろうそくの灯火がとても美しく、いつのまにか緊張感は薄れていきました。

神父様と代母様に支えられ、洗礼式は喜びに満ちていました。

沢山の信者の方々に「おめでとう」とお声がけいただき、とても嬉しかったです。

今日、この日のために私は産まれ、生きてきたのだと思いました。

洗礼までの道のりが長かったぶん、喜びはとても大きなものでした。

最後、受洗者やその親族との記念撮影がありましたが、ほんの少しだけ寂しさを感じてしまいました。

私だけ、祝ってもらえる身内がいなかったからです。

ですから、少し複雑な表情をしていたかもしれないです。

しかし、ほとんど人のいない聖堂内に最後まで残り、高校時代の恩師である先生がスマホを片手に写真を撮ってくださった事は忘れません。

無事に洗礼式をおえることができたのは、神父様、代母様をはじめとする沢山の方々の支えがあったからです。

ありがとうございました。

まだまだ未熟で幼い私ですが、これから様々な分かち合いを通して学び、カトリック信者として生きていこうと思います。

よろしくお願いいたします。