目に見えるもののみ信じる、科学好きだった私が、なぜ受洗しようと思い立ったかを話します。
それは、気づきからでした。自分自身の力ではなく、何かの力が働いていると思うような体験が、何度もあったからです。
しかし、洗礼を前に、代母のマリア・グラチアU・Kさんから、受洗は私の決意ではなく、神様がお決めになったのだと言われました。
私が、カトリックの良さだと思うことがあります。
まず「共同体」と呼ぶことです。生まれや国籍や言語を越えて、同じ共同体のメンバーとして、少なくともミサで、一体感を感じられるところです。
そして、葬儀の時に、涙ではなく、天に昇るのを見送るというような、明るい光を感じるところです。
改めまして、私がカトリックと出会った話をいたします。
家の近くに女子修道院があり、9歳の頃、そこの日曜学校に誘われたからです。
母親がプロテスタントの信者だったため、教会に行くことは、自然だったのかもしれません。
しかし、ある時「あなたたちには、お父様が二人おられます、天におられるお父様と、お家におられるお父様。」と言われました。
その真意が、幼い子に理解できるはずもなく、それから教会には行きませんでした。
大学で、スペイン語を学び始めましたが、嫌々大学に通っておりました。
卒業前、まだスペインに行く人が少なかった頃に、実際に見てみようと、短期間スペインに行き、スペイン語嫌いは、少しましになりました。
ある時、卒業後就職したところを退職後、日本語も英語もできない、バスク人の通訳を頼まれました。
大学では習わなかった「バスク」という地に興味を持ち、自分の目で見ようと、バスクに行きました。
バスクは、フランシスコ・ザビエルやイグナチオ・デ・ロヨラの出身地でもあり、敬虔な信者さんが多いところです。
そこで最初に覚えたバスク語は、「主の祈り」でした。
食事前に、必ず唱えたからです。本当に良い人たちと出会い、助けてもらってきました。
いつも思います。
もし、フランシスコ・ザビエルが来日していなかったら、私はスペインや、バスクに出会っていなかったでしょうし、夫と出会うこともなかったでしょう。
これら全て、神がお決めになり、なされたことなのですね。
さて、私が枚方教会に初めてお邪魔してから、もう40年近くになります。
結婚式も枚方教会で挙げていただきました。
けれど、私が洗礼を受けたのは、2001年です。
夫から、私が謎に思っていたことについて、それが真実かどうかは関係なく、信じることが大事なんだと言われました。
自然と何かが舞い降り、受洗にいたりました。
その夫が、約十年前、厳しい病気になりました。
竹延神父様が病院まで来てくださり、病者の塗油をしてくださいました。
それから、何度も入院(殆どが検査)しましたが、今は元気にしております。
本当に「奇跡」を見せていただきました。
神に感謝。