わたしのふるさと アルゼンチン S・N・N 

前回はパラグアイについて書きました。今回はアルゼンチンについてお話しします。

アルゼンチンは南北に4000キロ、面積は日本の約7・5倍、ブエノス・アイレス州の中に、日本がほぼ入ります。人口は、4600万人で、牛の数の方が多いのです。

北の方には、イグアスの滝、南は南極に近く、「パタゴニア」と呼ばれる大氷河がある土地があります。

文化面では、ご存じ「タンゴ」の国ですし、サッカーでは、マラドーナやメッシというヒーローが誕生しました。

何より、フランシスコ前教皇の国と言った方がいいでしょうね。フランシスコ前教皇もサッカーが大好きでした。

また、「母をたずねて三千里」のマルコ少年がイタリアから母親を探しに渡ったのも、アルゼンチンです。この話でおわかりの通り、イタリア系移民が多いため、アルゼンチンのスペイン語は、イタリア語のように聞こえます。

日系人は、7割が沖縄系ですが、親世代は沖縄語を話していた上、近くに日本人学校もありませんから、パラグアイと違い、日本語が話せる日系人は、多くありません。しかし、最近は、カラオケ等で日本 の歌が流行り、日本語が全く話せない日系人の青年、子どもが歌を上手くなりたい一心で日本語を学んでいます。非日系のアルゼンチン人も歌謡コンクールに出場し、上位に入賞したり、また日本のアニメも大人気で日本語を学んでいるアルゼンチン人もいます。

パラグアイで苦労した私の家族でしたが、アルゼンチンの首都郊外で、花造りをしていた姉夫婦を頼り、そこで、家族全員、朝から晩まで働きました。その当時、私は全くスペイン語がわからず、小学校に行っても宇宙語のようでした。

私の親は、「アルゼンチンに行ったら、美味しいじゃがいもがお腹いっぱい食べられるよ」と言いました。確かに美味しかったです。牛肉も世界一美味しいと言われます。しかし、それらを買うことは、経済的に大変でした。

中学校に入学してしばらくすると、病気になり働くことができなくなった義兄一家が実家にきました。私は家族を支えるため、日本大使館に住み込みで働きました。夜間中学・高校・大学と二刀流でした。田舎に住んでいたので、電話の出方もわからず、料理もできず、どんどん痩せていきました。週末に家に帰ると、家族も心配していましたし、職場でも同様でした。大使館が、お昼を作ってくれる方を採用してくれ、ようやく一日一食ありつけました。

その後、商務部の仕事をしていた時、70年大阪万博誘致に関係するようになりました。関係者に「日本に行けていいですね」と言うと、「君は日本に行ったことがないのか」と聞かれ、行けるはずがないじゃないですかと答えると、後日、万博のアルゼンチン館で働かないかと誘われ、半年の予定で来日しましたが、56年になりました。

万博が終わると、東京のアルゼンチン大使館で数年働き、枚方へ。今では、枚方居住が一番長くなったふるさとです。