人生後半の生き方 回想のすばらしさ
日本は急速に高齢化が進んでいます。私たちの教会も例外ではありません。こうした現実のなかで、孤独に打ちひしがれた高齢者たちが国の活力を阻害し、若者の嫌老感を拡大しているというのです。カトリック信者は、そばにいてくださる神(インマヌエル)を信じ、そして教会で多くの人達と共にミサに与っているので孤独感は無いと思うのですが、さにあらず、他の人達と交わることが苦手で、壮年会や婦人会に入るのをためらい、入れば入ったで益々孤独感を募らせるという人もいらっしゃるのです。
「人は年をとると孤独という自由を手に入れる」と考えて、前向きに生きるという呪縛を捨て、来し方を回想してみよう、後ろを振り返ってみようと発想を転換して、人生後半の生き方を豊かなものにしようではないかと勧めるのが、この本です。
この本の中には、著者のキリスト教信仰に対する理解の至らなさを思わせるような記述もあるのですが、それは問わないこととして、高齢者が豊かに生きるヒントが多く示されていて、さすがノーベル賞が期待される五木寛之さんと興味をそそられます。
例えば登山、頂上を極めるだけで完結するのではありません。無事下山してこそはじめて登頂達成となるのです。人生もそう。老齢期はその下山の時と著者は言います。登るときは頂上を目指して力強く歩きますが、見えているのは目先のデコボコ道だけ。でも下山する時は遠い山々も広い視界の中に浮かび上がって、大自然の豊かさを満喫することができます。老齢期は、来し方を広い視野で振り返る恵みの時です。孤独の中での回想は、誰にも妨げられないで人生に大きな豊かさをもたらすと語られています。
私たち信者は、常々神様に対する信仰の目で自分を回想できる恵まれた人生を送っていますから、老齢期を特に取り上げて考える必要を感じなくてもよいかも知れません。しかし信者として、回想すなわち「悔い改め」と考えるならば、高齢者になって、目先のデコボコにこだわっていた悔い改めではなく、若い頃には見えなかった人生の足跡を、広い視野で回想して悔い改めることができるなら、神様の本当の自由に与って豊かな老齢期を送ることができるのではないでしょうか。
他の人と交わることによって与えられる恵みは沢山あるでしょうが、孤独によって得られる恵みもまた多いと、この本は教えてくれます。なおこの本は言い及んでいませんが、もしも孤独から得た賜物を、交わりの中で他の人と分かち合うことができるなら、私たちの豊かさは一層大きなものになるに違いありません。
この本にはまた、高齢化した社会の抱える諸問題についても多くのページを割いています。例えば、若者の嫌老感の拡大や年金問題などについて、老齢者自身が気付き行動することの大切さが熱く語られていて啓発させられます。人間社会を深く洞察して、多くのベストセラーを生み出した著者ならではの問題提起です。その心意気を感じることができます。
しかし気楽に読める新書版ですから、一読してみては如何でしょうか。