大阪女学院の沿革と精神 ー同学院業務部職員ー 河北朝祷会より(2016.11.10 第194回)

11月10日大阪女学院と言えば、歴史的にも中学校・高等学校が有名ですが、今回は大学・短期大学の教育についてお話しします。今朝の聖書の個所(フィリピの信徒への手紙第1章9~11節、コヘレトの言葉第3章11節)は、礼拝形式で行われる大学・短期大学の入学式と卒業式で読まれる聖書の個所です。特にフィリピの信徒への手紙は、本学のミッションステートメントに定めた教育内容・目標と密接に関連しています。

大阪女学院は132年間キリスト教と聖書の言葉をベースに女子教育を続けてきました。大学・短期大学は、大学開学時に改めて建学の精神を確認し、高等教育機関としてのミッションステートメントを定めました。

大学・短期大学のミッションステートメント:『本学は、キリスト教に基づく教育共同体である。その目指すところは、真理を探究し、自己と他者の尊厳に目覚め、確かな知識と豊かな感受性に裏付けられた洞察力を備え、社会に積極的に関わる人間の形成にある。』

「沿革と初期の歴史上の人物」

1884(明治17)年1月7日「ウヰルミナ女学校」開校。米国カンバーランド長老教会外国宣教局(mission)のミッションスクールとして創設。創設者はA.D.ヘール宣教師で、弟のJ.B.ヘール宣教師と協力して大阪市西区にあった川口外国人居留地で開校した。校名は最初の寄付者 William Saunders のWilと、その妻 Ermina の mina を組合わせ、「ウヰルミナ女学校」と名付けた。

1886(明治19)年9月初旬大阪女学院のいまひとつのルーツである「大阪一致女学校」が米国北長老教会宣教局のミッションスクールとして、川口外国人居留地に開校した。

1892(明治25)年4月1日 大阪一致女学校の校名を「浪華女学校」と改称。

1904(明治37)年4月1日 ウヰルミナ女学校と浪華女学校が合併。

1939(昭和14)年からの皇民化政策で、創氏改名を迫った政府が、校名の変更を強制することが必至となり、やむなく校名を大阪女学院高等女学部と改称した。

1947(昭和22)年4月 学制改革で「大阪女学院中学校」設置。

1948(昭和23)年4月「大阪女学院高等学校」設置。

1968(昭和43)年「大阪女学院短期大学英語科」開学。

2004(平成16)年「大阪女学院大学 国際・英語学部」開学。

2009(平成21)年大阪女学院大学大学院「二十一世紀国際共生研究科」開設。平和・人権システム専攻博士前期・後期課程を同時開設。

A.E.モルガン校長は、1893年より通算18年間、ウヰルミナ女学校の校長を務め、教育の目的を次のように記しました。「ミッションスクールの目的は、教育だけでなく、キリスト教教育です。これら二つの言葉が結ばれて、一つの理念になったものです。このような成果は、官立学校では得られません。・・すべてにおいて、私たちが目指すことは、なんらかの方法で働く義務を悟り、正直に仕事をすることを誇りとし、日常生活の雑事を越えて、物事を見抜く力のある人間を形成することです」

現在も大阪女学院大学・短期大学は、このモルガン校長の言葉を建学の精神とし、『キリスト教教育・人権教育・英語教育』を三つの柱として、女性を育てる教育活動を続けています。