12月2日に恒例の待降節黙想会が行われ、4人の方に分かち合いをして頂きました。3名の方の内容をご紹介します。
Aさん
今年の5月夜遅くに家内が脳梗塞で市立枚方病院に入院しました。昨年7月に続いて2回目で、手続きを終えて帰宅したのは早朝でした。緊張と不安で眠れないままテレビを点けると、NHK交響楽団の演奏が始まるところでした。ベートーヴェンの第5番〈運命〉で、久しぶりに全曲静かに聞き終わった時には、気持ちがリセットされて元気が湧いてきました。神様に有難うと言いました。私にとっては神様からの励ましの応援歌に思えました。
2010年に大切な出会いがありました。H先生とシスターTです。先生を団長とするツアーに家内と二人で参加しました。8月に、ドイツ、オーバーアマガウの受難劇鑑賞と聖地イスラエルの旅に出発しました。11年は白神山地を歩く旅、12年は平泉、十和田湖、奥入瀬渓谷、八甲田山の旅に。13年は五島列島でした。
お二人の細やかな心使いで、楽しく有意義な旅を楽しむことができました。日常の物事から離れた非日常の旅の中で、温かくもあり厳しくもある大自然の中に自分を置いて、人智の及ばない大きな息吹を感じることができました。すべてを超えた神様の恵みに気付く旅、私にとっては気付きのための訓練の旅であったと思います。
Bさん
カトリックと無縁な私が、ふと訪れた教会は枝の主日。マルセリーノ神父様に声をかけられたご縁が始まりでした。
神様を信じているのか解らない劣等感で悩んだ時期を代母さんが支え続けて下さり、フリオ神父様にお話しする機会を下さいました。「祈れない私、怠惰な私が、神様に恥ずかしい、申し訳ない…信者であることを取り消したいです。」
そんな私に仰って下さった神父様のお言葉、「私が貴女の代わりに祈ります。だから貴女は祈れなくて大丈夫です。」この言葉に、祈りに、どれだけ心が解放され助けられ、感謝したことでしょう。このことが無ければ、ここに私はいないかもしれません。
マリア様の御遣いとして行動させて頂けるレジオマリエの参加から、その枝、朝ミサ、カミナンテスなど、大先輩方との交流から、神様への多彩な喜びを感じさせて頂けるようになってきています。
神様は、私のペースで招いて下さいます。この招きに向かって感謝の思いを馳せて歩んでいきたいと思います。
Cさん
高校の時にカトリック教会との出会いがあり、同時期に手話との出会いがありました。簡単な気持ちで手話を習い始めて50年が経ってしまいました。
言葉に対しては気を使い、いつも終わった後に、うまく伝わったかということを、よく思い悩みました。40歳になった時に神様に問いかけながら考えたのですが、人の気持ちを推し量る、そして決めつけるということは、ごう慢なことではないか・・・。人にどう見られるかに捉われない。人の捉え方はそれぞれなのだからということに気が付いたのです。
そうしたら、心が軽くなりました。そして、いろんな事が楽しめる、チャレンジできるという風に自分自身が変わってきたのです。
目の前に神様が用意して下さったものに真面目に取り組む、一つ一つクリアしていくという風に変わりました。 そして仕事も次々に神様が用意して下さり、それを一つずつこなしていると、困った時には神様が助けて下さっています。