空の人となった私は機内で、憧れつつ実現不可能と思っていた聖地(イエス様が生まれ育ち亡くなった地イスラエル)に今、確かに向かっているのだと言い聞かせていました。
テル・アビブ空港でガイド役の佐々木氏に迎えられ、バスは闇の中を宿泊地エルサレムへ。
夜が明ければいよいよ、これまで写真と想像だけで脳裏に焼き付けて来た景色を眼前にするのです。
夜が明けて私の目に入って来たものは、夢の中の感覚でした。
ふと、死んだら神さまの前でも、こんな感覚なのかとの思いがよぎるのでした。
最初に向かったのは「オリーブ山」。
変容のとき 助任司祭 昌川 信雄
パンとブドウ酒が祭壇上に奉納されるたびに心に浮かべる『兄弟たち』がいます。
私たちが酷暑を避け活動を中断し夏休みをとっていた間にも、ひと時もベッドから離れられずに病と闘っておられた方々です。
その方々にご聖体を捧持するとき一度は耳元でこの話をするようにしています。
「ミサに与れず寂しいあなたのところに、イエス様が毎日ミサをたてに
来られますよ。
司祭が教会でミサを奉げる毎に、イエス様が来られ、あなたのベッドを祭壇にし、あなたの体をパンとブドウ酒の「奉納物」として聖変化し、あなたを尊いものに『変容』なさいます。
ありったけのご馳走 助任司祭 昌川 信雄
“天上の御馳走は、大皿の『めざし一匹』で満足! ”
地上ではそうはいかないので、イエス様は天に帰られたとき、私たちの地上のテーブルに、ありったけの御馳走を盛ってくださいました。
それが、主の昇天に続く祭日尽くしの典礼です。
6月の祭日
2日 主の昇天
9日 聖霊降臨の主日
16日 三位一体の主日
23日 キリストの聖体
24日 洗礼者聖ヨハネの誕生
28日 イエスのみ心
29日 聖ペトロ・聖パウロ使徒
楽園を閉ざされた人類が楽園に戻る道は、神にしか造れなかったので、父は子を世に送り、十字架(体を捨て心で造る楽園への道)を歩ませて、私たちの罪による死(自我に住む悪霊の支配)に対する完全な勝利(復活)をもって人類が楽園に戻る道を開かれたのです。
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