スカウト礼賛(らいさん)
主任司祭 竹延真治

2012年に大阪教区のスカウト担当司祭の任命を受けた。

前任者が引退を当時の大司教様に申し出た時、少年時代にボーイスカウトの経験があるわたしに白羽の矢が立ったのだ。

スカウト経験があるとは言っても実際には中1でボーイスカウトをやめている。

遅くまで「おねしょ」の癖が治らなかったわたしは、キャンプ生活自体が針の上のむしろで、実際にテントで宿泊した夜にしくじってしまったこともある(神の助けか、その夜は土砂降りの雨が降りテント内に浸水、みんなの寝袋もびしょ濡れになりバレなかった!)。

「おねしょ」以外にも不器用で動作が鈍く、友達づくりが苦手なわたしは、ボーイスカウトをそれ以上続けることはできなかった。

スカウトを途中でやめたことで大変な劣等感があるから、わたしは「誰か他の神父様を任命してください」と司教様にお願いしたが、引き受けてくれる司祭が他にみつからず、やむなく教区のスカウト担当司祭を引き受けることになった。

就任直後、スカウトを自分の教会から追い出そうとする司祭が出てきた。

「国旗掲揚をするスカウト活動は軍隊のようだからうちの教会には置けない」というのだ。

幸いに司教様の仲裁を受けて何とか解決を見たが、これをきっかけにわたしはスカウト活動の歴史と意義を勉強しはじめた。 “スカウト礼賛(らいさん)
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ああ、いとしの聖霊降臨祭!
主任司祭 竹延真治

わたしは素直だが、ひねくれてもいる。

「クリスマスおめでとうございます!」と、12月24日のクリスマスイブや翌日の主の降誕の主日には信者の皆さんに向かって挨拶するにはするが、本心は「何もめでたくなんかないワイ!」と思っていたりする。

クリスマスがおめでたいとすれば、わたしの場合は、心からあふれてくる信仰の感情によるのではなく、ただ、教会行事が無事に無事故で終わったからだけなのである。

そんなわたしだが、クリスマスがとっくの昔に過ぎ、正月も終わろうとする頃に、突然「幼子イエスが自分の中にやってきてくださった」ことがしみじみと思い起こされる夜を迎えることもある。

スペインでは、クリスマスではなく、1月6日の主の公現の日に子供たちにクリスマスプレゼントを渡す習慣があるという。

典礼暦と、そこで祝われる祝日が心から実感できる日との間に時間差があるのは、ひょっとしたらわたしだけではないのかもしれない。

復活祭についてはさらにこの時間差は増してくる。   

長い悲しみの期間の四旬節を過ごし、聖金曜日にイエスの受難を思い起こすことで負の感情はいやが上にも増してくるのに、その直後の復活祭で、打って変わって「御復活おめでとう!」と心から喜ぶような豹変(ひょうへん)はわたしにはできない。 “ああ、いとしの聖霊降臨祭!
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夏が来れば思い出す♪
主任司祭 竹延真治

「遥かな尾瀬」ではなく、近くのレジデンスでのことを。

東京の神学校に入学した最初の夏休み、わたしはクラレチアン会が担当する教会ではなく、枚方のクラレチアン・レジデンスを帰省先に選んだ。

デ・グランデス神父というアルゼンチン出身の巨体の老神父が一人いる修道院なら、小教区とちがって信者さんは誰もいないので、そこでゆっくり勉強ができるぞ、と思ったからだ。

神学校で使っている教科書や参考図書を段ボールに詰めて東京からレジデンスに送った。

レジデンスに荷物が届き、玄関先でそれを開いていると、デ・グランデス神父が近づいてきて言った。

「竹延、おまえはアホか。夏休みに勉強しようと思てるのか。夏休みは休む時じゃ。勉強なんかするな!」と。 “夏が来れば思い出す♪
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わたしのふるさと 竹延真治神父 

表題のテーマで原稿依頼を受けたものの、締切日を迎えて思考がストップしてしまいました。

以前、「河内のクリスマス」という題で大阪刑務所の受刑者向けに書いた文章をそのまま再掲させていただきます。

わたしの実家は河内平野のど真ん中で養豚業とアヒル屋を営んでいた。

大雨になると家も豚舎も水に浸かるような環境や、粗野な河内弁を話す人々の中にあって、わたしの母とその子供たちだけがクリスチャンであることにずいぶんと違和感を持って育ってきた。

クリスマスというのはテレビドラマに出てくるようなもっと上品でハイカラな人々が祝うものだというイメージがあった。

「豚やアヒル(合鴨)がそばにいたり、住む家がすぐ水に浸かったり、河内弁が飛び交うようなところにはキリスト教は向かないのだ。河内にはクリスマスは似合わない!」とわたしは思い込んでいた。

ところが、十数年前にある牧師さんの講演を聴いて、河内地方がキリシタンの聖地であることを知りびっくり仰天した。 “わたしのふるさと 竹延真治神父 ” の続きを読む

更生の道
主任司祭 竹延真治

まだ枚方レジデンスに住んでいたころ、クラレチアン会の会議に参加される外国人の神父様を車で関西空港まで出迎えにいったことがある。

夜の飛行機で関空に到着したその神父様は、握手だけでなくハグまでし、親愛の情を示してくれた。

助手席に乗った彼は、緊張するわたしを和ませるかのように英語で話しかけてきたが、語学が不得手なわたしは早くこのお客様をレジデンスに送り届け、自室で一人になりたいとアクセルを踏んで帰路を急いだ。

途中、頭上で何かが赤く光ったことは覚えている。

そのすぐ後、転勤があり、今市教会に引っ越した。

まもなく、これこれのナンバーの車を何月何日の何時頃運転していた者は旭警察署に出頭するようにとの通知が旭区にあるクラレチアン会本部に届いた。

指定日時に交通課に行ったら、おまわりさんがわたしの顔と車のナンバーが写った写真を見せてくれた。

阪神高速を52キロオーバーで走行したとのことで赤切符を切られ、罰金八万円の略式命令と三カ月間の免許停止処分が言い渡された。 “更生の道
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