集会の家でミサ視聴

コロナ感染対策のため聖堂内の人数制限がありますので、クリスマス等、聖堂に入りきれない場合に集会の家でもミサが視聴できるような設備が導入されました。

聖堂内にカメラを設置し、ピアノの部屋のテレビやプロジェクターでミサ中継を見ることができます。

事務室の拡張

事務室の拡張工事が行われ、広さは従来の約2倍で大きな窓も取り付けられました。

助任司祭室で行われていた会計専用パソコンも設置し、少人数での打合会もできるようになります。

-七五三のお祝い- 婦人会

11月8日(日)10時のミサの中で七五三のお祝いが行われました。

主任司祭長崎神父様に子供達を祝福していただき、信徒の皆様と共に祝う事が出来ました。

御家族の大きな愛情を受け育まれてきた子供達は教会の宝であり希望です。

神様からのお恵みを頂いて健やかに成長されますようにと祈ります。

ミサの終わりに神父様よりお祝いの品を頂き子供たちは大喜びでした。   

(M)

聞いて寄り添う 特別な年の待降節に
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

今年は敬老の日にフリオ神父とともに車で奈良県の飛鳥に小旅行をしてきました。

稲穂が揺れる風景に包まれ、古代日本の原風景とはこうであったのだろうと想像しながら飛鳥寺、橘寺、川原寺跡、石舞台古墳と巡りましたが、最初に訪れた飛鳥寺では日本に現存する最古の仏像である飛鳥大仏がありました。

北魏様式という中国の影響を受けているこの仏さんの表情はいかにも福々しい東大寺の大仏とはだいぶ違い、細面でより人間的なお顔です。

興味深いことは、今まで見たどの仏像も共通しているのは耳が縦に長いことです。

耳が象徴的に大きく造られたことには、「自分の苦しみを聞き、わかっていただきたい」という仏さんへの人々の素朴な願いが投影されているように感じます。

聖徳太子の十人の話を同時に聞き分けたという逸話もこういった人々の思いから生まれたのかもしれません。 “聞いて寄り添う 特別な年の待降節に
主任司祭 長崎 壮” の
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子供のミサ 幼稚園講堂で

9月20日(日)9時から子供のミサがうみのほし幼稚園講堂で行われました。

コロナ後のミサ再開後は当分の間、感染予防のためうみのほし幼稚園講堂にて、毎月第3日曜日の9時からフリオ神父司式による子供のミサが行われています。

ボーイスカウトとガールスカウト及びそのリーダーたちがメインですが、スカウト以外の子供たちも家族と一緒に参加できます。

講堂に入る前の消毒だけでなく検温も行われており、三密を避けた新型コロナ対応も十分に行われています。

9月20日の福音はマタイの「ブドウ園の労働者」のたとえの箇所で難しい内容でしたが、フリオ神父は子供たちや信者でない人にも分かるように、やさしく解説されていました。

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キリスト教との出会い
使徒ヨハネ Z・R

私は七月十二日に受洗しました。なぜ私が洗礼を受けるつもりになったのか、その理由をお話しようと思います。

私は入信するにあたって、もちろんパウロのような電撃的な回心を体験したわけではありません。

些細なきっかけらしきものがいくつかあって、それらが重なり合いながら、私を受洗に導いたのだろうと今振り返って思います。

それらの動機の一つは外的なものでした。

私の家族全員が、つまり妻と子供たちがすでに入信して信仰の内におり、私だけがまだ信仰の外にいたという事実です。

信仰は、人が生きていくうえで何を尊いものと考えるか、という価値観へじかに通じています。

人生の終盤を迎える時に、私も家族と同じ価値観のもとで生きたいと――しかし信仰は共有できるものではないと承知しつつ――願ったこと、それが卑近な理由としてありました。
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聖堂に除菌・抗菌システム導入

10月12日(日)11時半ミサ後の12時30分からコロナウイルス感染予防対策として、聖堂内にバイオプロテクト CTシステムが導入されました。

このシステムは、うみのほし幼稚園に3ヶ月前に既に導入されているもので、費用を抑えるために幼稚園での更新時に合わせての施工となりました。

教会では15時からもミサが行われるため、幼稚園での作業を中断して12時30分から15時の間に作業をして頂きました。

このバイオプロテクトを素材表面にスプレーすると、オルガノシラン化合物の働きにより対象物に固着します。

乾燥後は素材表面に微細なトゲ状のスパイクを形成します。

このスパイクにより、ウイルスや細菌を物理的かつ電気的な刺激により破壊し、死滅させる効果を発揮します。

化学的に微生物を死滅させる他の殺菌剤や抗菌剤と異なり、これは物理的に死滅させるので、薬剤耐性菌を発生させることがありません。 “聖堂に除菌・抗菌システム導入” の続きを読む

「枚」の字を持つキリシタン大名
ジョアン 津軽信枚(つがるのぶひら)

「枚方」を正確にヒラカタと呼んでくれる人は、大阪を離れると滅多におられない。大抵はマイカタかマキカタである。

しかし、この字をヒラと読ませるれっきとした大名がいたのである。

桜のシーズンになるといつも名の挙がる青森県の弘前城、その城を創建したのが津軽藩主の津軽信枚である。

信枚は11歳のときに洗礼を受けたキリシタン大名であった。

「枚」をヒラと読むのは、昔は今よりもっとポピュラーだったのかも知れない。キリシタン時代を偲びながら信枚の事績を辿ってみよう。

1590年に豊臣秀吉によって津軽に封ぜられた津軽為信(信枚の父)が大坂を訪れた時、イルマン・ヴィンセンテからキリスト教の話を聞いた。

その時すでに秀吉によってキリスト教は禁じられていたが、それでも京都や大坂ではオルガンティノ神父はじめ数人のイルマンたちが活発な宣教を行っていて、武家の間でも信者は増えつつあったのである。

為信は教理を聞いて受洗の決心を固めていたが、急いで津軽に帰らなければならなかったため、自分の決心のしるしとして、その時11歳であった三男の信枚を大坂に残し、キリスト教の勉強をするようにと命じた。

少年信枚は熱心に勉強して教理に精通するようになり、1596年に洗礼を受け、ジョアンと呼ばれた。 “「枚」の字を持つキリシタン大名
ジョアン 津軽信枚(つがるのぶひら)” の
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聖アントニオ・マリア・クラレット司教記念ミサ

10月24日(土)10時から、クラレチアン宣教会の創立者である聖アントニオ・マリア・クラレット大司教の帰天された日を記念するミサが、長崎神父、フリオ神父、フラデラ神父により執り行われました。

ミサには当教会の「クラレット信徒運動の会」メンバーを中心に約30名が参加されました。

例年であればミサ後に集会の家で茶話会が行われるのですが、今回はコロナウィルスの関係で中止となりました。

クラレットの偉大な業績を讃えると共に、クラレットの生き方を少しでも倣うことができますように祈ります。