初聖体の報告

6月11日(日)【キリストの聖体】の9時ミサにおいて、梅﨑・竹延 両神父司式のもと、小学四年生のD・M君が初聖体を受けました。

前日の打合せには、お父さんも参加して頂き、梅﨑神父がたくさんのお話しをして下さいました。

帰る時にM君は、「緊張してきたけど、明日がとっても楽しみになった!」と言っていました。

勉強の期間中にお祖父様が体調を悪くされて、お母さんがブラジルに行かれた中での、ちょっと寂しい初聖体でしたが、当日はお父さんが携帯で写真を撮り、すぐにブラジルに送って、喜びを分かち合うことができました。

お知らせ(5月)

◎クラレチアン宣教会
司祭の黙想会  4月30日(日)午後から5月6日(土)夕方まで
神父様は不在となりますので信徒が交代で留守番をします。
・この間のミサはありません。

◎初金ミサ
・6月2日(金)10時

◎婦人会
・5月5日(金)10時~掃除、定例会
・6月2日(金)ミサ後~掃除、定例会
・婦人会は第3、4、5金曜日も10時から掃除をしております。祝祭日の場合はミサがあり、掃除はその後になります。ご協力をお願いします。

◎壮年の集い
・5月13日(土)
・6月10日(土)
午後5時から掃除と定例会。どなたでも、途中からでもお気軽にご参加ください。

◎初聖体
・6月11日(日)9時ミサにて。
ご希望の方は司祭・青少年委員会まで。

◎教会学校始まりました
 第3日曜日9時ミサ後集会の家にお集まり下さい。 “お知らせ(5月)” の続きを読む

更生の道
主任司祭 竹延真治

まだ枚方レジデンスに住んでいたころ、クラレチアン会の会議に参加される外国人の神父様を車で関西空港まで出迎えにいったことがある。

夜の飛行機で関空に到着したその神父様は、握手だけでなくハグまでし、親愛の情を示してくれた。

助手席に乗った彼は、緊張するわたしを和ませるかのように英語で話しかけてきたが、語学が不得手なわたしは早くこのお客様をレジデンスに送り届け、自室で一人になりたいとアクセルを踏んで帰路を急いだ。

途中、頭上で何かが赤く光ったことは覚えている。

そのすぐ後、転勤があり、今市教会に引っ越した。

まもなく、これこれのナンバーの車を何月何日の何時頃運転していた者は旭警察署に出頭するようにとの通知が旭区にあるクラレチアン会本部に届いた。

指定日時に交通課に行ったら、おまわりさんがわたしの顔と車のナンバーが写った写真を見せてくれた。

阪神高速を52キロオーバーで走行したとのことで赤切符を切られ、罰金八万円の略式命令と三カ月間の免許停止処分が言い渡された。 “更生の道
主任司祭 竹延真治” の
続きを読む

本当の家を探し求めて
マリア・テレサ・ベネディクタ N・N

物心ついた頃から、突然、世界から完全に自分が切り離され「私は誰なのか、この世界は一体何か」という迷子の様な感覚に度々陥っていた私が、これを哲学的に被投性と呼ぶと知ったのは随分後の事です。

名前すら持たないこの内奥からの問いかけに対して、答えを見出せないまま家族や学校の一員として存在する、あくまで仮象の「私」に戻るしかないということに次第に気づく瞬間、それはとてつもなく重たく感じ「この私を生きなければいけない」という逃れられない現実に呆然としながらも、自己一致を揺るがす一種の不安からは解放されるのでした。

大学進学で故郷を離れ、大阪へ。

恩師の導きによってシモーヌ・ヴェイユのキリスト教思想を通して贖罪の概念に惹かれ、留学中はユダヤ人哲学者レヴィナスの思想に導かれて、キリスト教との対話にも開かれていたユダヤ教の恩師との出会いもありました。

二人のユダヤ人哲学者における私の関心は、不幸を受け入れる過程での魂の完全な受動性の中でのケノーシスの型取りとして自己の魂の変容でした。

しかし、当時の私はまだ摂理としての父である神の存在を本当には知りませんでした。 “本当の家を探し求めて
マリア・テレサ・ベネディクタ N・N” の
続きを読む

癒しのメシアニズム M・H

3年前の2月15日、脳性麻痺に起因する頚髄損傷で倒れ、救急搬送されて半年あまり入院していた。

無理な手術を回避し、車椅子に乗れるようになること、iPadをタッチペンで入力できるようになることを理学・作業療法の目標にしたリハビリを受けて退院し、以来在宅生活を送っている。

入院中に外でコロナ禍が広がり、どこの病院・施設でも面会が制限された。

入院したおかげでコロナ禍から守られていたとも思うが、手が動かなくなり、iPadの入力もままならなくなったうえに、マスクの装着が常識となり、聴覚障害がある私には読唇が難しくなったため、外部とのコミュニケーションが途絶してしまった。

これらのことが精神的にもっとも辛いことだった。

コロナ禍はいのちのみならず、人間の絆をも断ち切ってしまうことを実感している。

今日、24時間介護体制での在宅生活を支えてくれるのは週延べ25名ほどのヘルパーである。

食事、洗濯、通院、そして紙オムツの交換、外出時の付き添い。(入浴は週2回、デイサービスセンターに通っている)。

幸いなことに、彼らのうち何人かはキリスト者であり、その中にカトリックのKさんがいる。

退院して2週間ほどたった土曜日の夕方のこと、私のiPadが突然鳴った。 “癒しのメシアニズム M・H” の続きを読む

長崎神父しろきたBへ

4月16日(日)のミサを最後に長崎神父が枚方教会からしろきたBに異動されました。

ミサ後に花束と記念品が贈呈され、赤川さんからお礼の言葉が述べられて全員の拍手で感謝の気持ちを伝えました。

聖週間の典礼と行事

受難の主日「枝の主日」 4月2日(日)9時・11時

ミサの始めに、「主のエルサレム入城の記念」が行われた。長崎神父が入堂する際に、各自それぞれ枝を持った信徒を祝福された。

第2朗読の後、「マタイによる主イエスキリストの受難」がキリスト、語り手、登場人物、及び群衆に分かれて朗読された。

聖木曜日「主の晩餐」 4月6日 午後7時


キリストの聖体制定を記念するこの夕べ、ミサの中で洗足式が行われた。キリストが弟子たちの足を洗い、「仕える者」の模範を示された姿に因むもので、長崎神父が6人の信徒の足を洗われた。

信徒の足を洗う長崎神父


拝領祈願の後、ご聖体は司祭館の仮安置所に移され、祭壇上の全てが取り除かれた。 “聖週間の典礼と行事” の続きを読む

四旬節黙想会 3月19日
聖クラレチアン宣教会 長崎壮神父
ともに祈り、ともに歩む共同体へ

3月19日に四旬節黙想会が行われ、聖クラレチアン宣教会で、当教会主任司祭(当時)の長崎神父に午後から講話をいただきました。

長崎神父は、この春の異動で枚方教会を一旦去られましたが、枚方教会の信徒に向けての黙想会は、これが初めてでした。

なごやかに講演される長崎神父

講話はおよそ70人の方が熱心に耳を傾けました。

「ともに祈り、共に歩む共同体へ」と言うタイトルで、途中休憩を挟みながらこの3年のコロナ禍の信仰生活とはという事を織り込みながら、
1.ミサを信仰生活の中心に置く。
2.分かち合い 交わり
3.宣教的な教会へと歩む
と言う3つの事を福音、ミサ、教会、宣教会の中での実例、そこに表現されている事を例にして、更に私たち枚方教会の共同体としてどうそれぞれのテーマを実現するためにチャレンジしていくかについてご自分の言葉で語られました。 “四旬節黙想会 3月19日
聖クラレチアン宣教会 長崎壮神父
ともに祈り、ともに歩む共同体へ” の
続きを読む

不幸の乗り越え方
クラレチアン宣教会 梅﨑隆一

コロナ禍の状態が四年目に入り、ウクライナでの戦争は一年が過ぎ、トルコでの地震で沢山の方が被災されました。

悲しいニュースが遠く離れたものであったとしても、日常の生活を送っている私たち、また子どもたちの心にも大きな影を落としています。

こうして私たちは人が永遠に生きられることがないことを、見せつけられています。

哲学者梅原猛は青年時代、第二次世界大戦中、人生が短いものであると覚悟していた。

そして死を見つめる実存哲学を深めたが、やがてその考えに不満を感じる。

(実存主義には)「二羽の小鳥が、寒い夜に、互いに羽を寄せて、暖めあうような、そんな心がたりないのである。二羽の小鳥が羽を寄せ合って寝るその一瞬に、しばし、死のことを忘れてもどうしてそれが悪いのか、その哲学は、人をあまり冷たい目で見すぎている。」(梅原猛著『学問のすすめ』)

そこから彼は「闇のパトス」という論文を書き、死の哲学から解放され、不安や絶望に変えて笑いを根源的な人間の感情と考え、研究を始めます。 “不幸の乗り越え方
クラレチアン宣教会 梅﨑隆一” の
続きを読む