皆がひとつとなる典礼  長崎  壮神父

復活徹夜祭の復活賛歌、聖金曜日の盛式共同祈願などは助祭が参加するミサでは助祭の役目となる。昨年助祭に叙階されたのが四旬節だったため、叙階後間もなく聖週間の典礼のなかでこれらの助祭の役目を任された。今年も司祭叙階が復活祭後であったため、助祭として復活賛歌を二度歌う貴重な体験をさせてもらった。

はじめに復活賛歌を歌うことになった昨年、歌が苦手なことを自他ともに認めている私は聖週間に東京修道院に信者の友人を呼んで練習につきあってもらった。練習の時には一緒に歌ってもらえるとなんとか歌えるのであるが、独唱となると心もとない。聖土曜日に早めに教会に行ったら、聖歌隊を指導している信者さんが稽古をつけてくれた。

「練習で出来ても、いざ本番となったら・・・」との不安を隠せない私にその信者さんは笑顔でこう言った。「長崎さん、歌おうとしないで祈るつもりでやってください」  このアドバイスに少し肩の力が抜けたものの、香部屋に入った後も、 ミサが始まるまで復活賛歌の楽譜を見ながらひとり練習している私を見かねてか、 これまた侍者の青年が「長崎さん、歌おうとしなくていいですよ。主の復活を皆に宣言して来てください。あとは聖霊に任せればいいですから」と言ってくれた。

このふたりは別段申し合わせてそのようなアドバイスをしてくれたわけではないが、それだからこそ、よけいに二人を通じて神様が私を励ましてくれているような気がした。さて、復活賛歌の練習の成果はどうだったか、肝心な音程の方はやはり大きく外れていたようである。しかし、ミサ後に率直にものを言ってくれる友人の何人かが、かわるがわるに音痴の助祭にねぎらいの言葉をかけてくれた。

その内容は総じて「あなたの音程にはヒヤヒヤしました。だけどそのおかげでいつもの年よりも強い祈りの心でミサに与ることが出来ました」といったものだった。聖霊は人間の努力でできること、それを怠ったことの埋め合わせはしてくれない。しかし心を込めて祈る時、一致の霊である聖霊は私たちの心をひとつにまとめあげ、それを御父への捧げものとして届けてくれる。

今年は待降節から新しい『ローマ・ミサ典礼書の総則』に基づいて所作等の変更が行われ、枚方教会でも指針に沿っていくつかの点を変更することになる。ただ、その目的は典礼の画一化ではなく、ミサを味わうことや、共同体での見直しや学ぶ機会にすることにある。枚方教会の典礼が皆のこころをひとつとする典礼、これまで以上に神様に心を向けることができる典礼となるように皆で考えを出し合っていきたいと思う。

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