知恵と知識はキリストのうちに ー日本基督教団 森小路教会 牧師 ー 河北朝祷会より(2016.4.14 第188回)

コロサイの信徒への手紙(2章1~5節)私が遣わされています森小路教会では、毎月聖句を選んで、「今月の聖句」として共に黙想しています。今月の聖句は箴言1章7節の「主を畏れることは知恵の初め」という有名な句です。

そこで特に知恵について黙想しておりましたところ、新約でコロサイの信徒への手紙2章が思い浮かびました。パウロは伝道旅行をしましたが、その際にコロサイやその近くのラオディキヤには寄らなかったようであり、それでも、まだ行ったことがない教会の信徒たちへ獄中から書き送っているのがこの手紙です。

会いたくても会えないもどかしさを感じながら、離れていても彼らの心を励まし、愛を伝え、正しい福音理解を伝えようとしているのです。パウロが伝えようとしているのは神の秘められた計画です。それはキリストに他なりません。少し加えて言いますと十字架の言葉でもあります。

彼はコリントの信徒に宛てた手紙でこのように書いています。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」と。キリストを信じない者には十字架は敗北であるかもしれません。しかし信じる者にとっては勝利であり力であり救いなのです。神の秘められた計画であるキリストを悟るには、キリストの内に隠された知恵と知識が必要です。私どもは一般に知識というとウィキペディアなどで得られる情報量をイメージするかもしれません。しかしここでパウロが言う知識とは、真理を把握する力であり、日常の中で真理や真実を直感的に悟る力です。

また知恵と言いますのも、単なる処世術ではなく、様々な状況において、何を神は望んでおられるか、何が神の前で正しいかを判断することができる応用力です。その知恵と知識はキリストのうちに隠されているというのです。キリストを知るということは、わたしども人間の人生の大切な目的であります。ここでパウロは「秘められている」「隠されている」という言葉を使っていますが、これは明らかに当時の異端であったグノーシス主義たちを意識したものでしょう。

彼らは、自分たちは神を知る知識を所有しているとして、それを内部の秘密としていたのです。彼らは高ぶっていて、巧みな議論によって人々を惑わすのです。ですからパウロは忠告するのです「わたしがこう言うのは、あなた方が巧みな議論に騙されないためです」と。

真の知恵と知識は彼らの中にあるのではない、それはキリストのうちにしかないのだ、そこに秘められているのだということです。キリストの内に秘められた知恵と力を得るには、キリストへの正しい信仰が必要です。またキリストの内にある知恵と知識こそわたしどもの信仰の宝です。

真の知恵と知識を得るには、信仰が前提であり、グノーシス主義者たちのように自分の知力に頼る思い上がった心では得ることができません。ただ自分を低くし、神を畏れることによって、真理であるキリストが見えてきます。そしてそこから真の知恵を得ることができるようになるのです。

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