マイ スウイート ホーム  長崎壮神父

昨年の待降節に修室の書架の埃を払って何年ぶりかでC・ディケンズの名作『クリスマスカロル』を読んでみました。それまで頑な心であった主人公スクルージがクリスマスの夜に不思議な体験をしてそれまでと生きかたが変わったという物語です。

ところでクリスマスの喜びも覚めやらぬ中、ある婦人がクリスマスの夜に起こった不思議な体験を分かち合ってくれました。この信者さんはクリスマスイヴの夕方のミサに出られ、遅くならぬうちにと家に戻られたそうです。ところが帰宅すると御主人の姿が見当たりません。どうやら御主人はひとりで車で出かけられたようでした。待てど暮らせど帰らぬことに心配を募らせていると、ご主人の携帯から自宅に電話があったそうです。雨の降りしきる夜闇の中、御主人は自分がどこを走っているのかもわからなかったそうです。

ようやく御主人が自宅に到着したのは夜中の二時過ぎで奥さんもやっと胸を撫で下ろし眠りについたそうです。そして不安で心もとない体験をした当の御主人は、クリスマスの翌日、奥さんに伴われて車の免許証を役所に返還したそうです。普通免許だけでなく、大型免許も付いていたのでお役所の方も返還するのはもったいなさそうにしていたそうですが、御主人の決意は変わりませんでした。

御夫婦にとってはせっかくのクリスマスイヴに大変な思いをしたわけですが、私はこの話を聞いたときにこの御主人は幼子イエスを尋ねてきた東方の三博士と同じ体験をしたのではないかと思いました。

自分たちの救い主を探して東の国からはるばるとベツレヘムの幼子イエスを尋ねてきた博士たち。救い主に出会うことができたならどんな宝を差し出しても惜しくなかったその博士たちと同様、この御主人も夜闇をひたすら走り続けた末に今まで当たり前のように思っていた家庭こそ光の出処であることを見つけたのです。そして自信もあり、好きな車の運転も今が潮時と静かな喜びのうちに手放すことができたのです。

教会はクリスマスのそのすぐあとに聖家族を記念し祝いますから、降誕節は家族の絆についても深く考えさせる時期です。そういった時期に光を求め、見つける体験をしたことはこの家庭にとって神様からの特別な贈物だったような気がします。

冒頭に触れたディケンズの『クリスマスカロル』は確かにフィクションですが、毎年クリスマスのときに神様は世界中のどこかの家庭や人を選んで特別なプレゼントを贈ってくれるという確信がこの作者にはあったような気がします。
そして言うまでもなく私自身もこの確信をまた一段と深めることができました。