ペシャワール会の中村哲医師を偲んで

ペシャワール会支援チャリティーコンサートへのご協力、有難うございました。

会の代表中村哲医師は、昨年12月4日に現地アフガニスタンで銃弾を受け亡くなられました。

キリスト教信者であった中村さんの活動は私たち信徒の模範、中村さんを偲んでその活動を振り返ってみたいと思います。

「ペシャワール」は、パキスタン西部にある都市で、峠を一つ越えるとアフガニスタン、中村医師殺害事件のあった「ジャララバード」です。

中村さんは1983年にペシャワールに行かれ、アフガニスタン難民キャンプの惨状に接し心を抉られます。

ソ連のアフガニスタン侵攻で多くの人が難民となりました。

中村さんは「ペシャワール会」を設立し、懸命に難民の救済に当たられます。

ところが、いくら医療活動を行っても死んでいく人が絶えない、原因は水の不足と食糧難で栄養失調状態が常態化していることでした。

そこでまず水を確保するため井戸を掘る事業を始めました。

しかし2000年に大旱魃が発生し、農地であったところまでが砂漠状態になり、井戸ではとても対応できない状態に陥りました。

その対応として、この地方を流れるクナール河から水を引く用水路建設を計画されることになったのです。

ところが2001年にアメリカの世界貿易センタービルが破壊される事件が起き、アメリカ軍は首謀者ビン・ラディンが隠れているアフガニスタンに侵攻しました。

難民はますます増加しましたが、この事業は多くの現地人が協力し、空爆が続く中で続けられました。

そして用水路は10年間に延長25kmとなり、周辺は65万人が生活出来る緑の大地に変身しました。

用水路取水口が完成

この事業を支えたのは日本からの寄付、枚方教会も20年間協力してきました。

「戦争で平和は実現できない、人々の生活の安定こそ平和のもと」という固い信念の中村さんが事業を成功させられたのには、「現地の人たちと共に」という強い信念がありました。

例をあげますと、用水路の堰や護岸は、工作機械を持ってきてコンクリートで固めるのが普通のやり方でしょう。

しかしこれでは現地の人は殆ど手出しが出来ません。

中村さんは針金で編んだ籠に石を詰めてそれを積み上げていくという工法を用いました。

石を割って籠に詰めそれを積むという作業は、現地の人たちはお手の物で、みんな楽しく働けます。

その上に手当がもらえる、だからこの事業によってみんなの暮らしが良くなります。

中村さんの、現地の人たちを尊重する心からの発想でした。

だから、たとえ中村さんがおられなくても現地の人たちだけで事業が継続出来るのです。

これこそ中村さんが強く望まれたことでした。

愛の人中村さんのご冥福を祈り、ペシャワール会への支援を続けて行きたいと思います。

(社会活動委員会)

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