今年の復活祭で、私は洗礼を受け、枚方教会の一員となりました。
これまでの人生を振り返ると、神様はずっと私に呼びかけてくださっていたのだと感じます。
私に初めてお祈りを教えてくださったのは幼稚園の先生でした。
親の転勤に伴い広島市のキリスト教幼稚園に通ったことがきっかけです。
地域の子どものほとんどがそこの幼稚園に通っていてお祈りは当たり前のように日常にありました。
その後、公立小学校へ進学すると、当然ながらお祈りの時 間はありません。
しかし、私は誕生日の前日には必ず自己流のお祈りを続けていました。
「天にまします我らの父よ」この最初の言葉だけは忘れることはありませんでした。
広島市では平和教育が盛んに行われておりましたが、それらは今思えば、キリスト教の教えにも通じるものであったように思います。
成長するにつれて、美術、音楽、映画、文学、漫画など芸術へ強い関心を持ちましたが、モーツァルトから手塚治虫まで印象に残る作品にはキリスト教の影響や要素があるものが多かったです。
人より遅れて入学した大学では保育と教育を学びました。
そこで多くの教育者や福祉に関わる人達がキリスト教の精神から影響を受けていたことを知りました。
「どうしてここまで人に尽くせるのだろう」と驚くのと同時に自分自身のミッションについて考えるようになりました。
やがて結婚し、子どもを授かり「自分と同じようにキリスト教の幼稚園に通わせたい」と息子はうみのほし幼稚園に入園。
そして保護者向けの聖書講座へ参加するようになりました。
同じように幼稚園の保護者から洗礼に至った方々と共に学ぶ時間はとても充実したものでした。
幼稚園時の降誕劇の影響で「イエスの降誕」ばかり覚えていましたが「イエスの生涯」や「死と復活」を学ばせていただいたことで、ますます教えに惹かれていきました。
そしてそれらはずっと求めていたものでした。
私はどこか後ろめたい人生を送っていました。
ですが神様は「ずっと待ってくださっている」と思えるようになりました。
今まで苦労したと思っていたことも、趣味嗜好さえも、今の生活があるのも、全てが神様からの呼びかけと導きだと確信したのです。
しかし、受洗への決心は簡単にはつきませんでした。
子育てと仕事に追われる毎日で、まだまだ聖書の勉強も不十分。
「今、受洗してよいのだろうか。子育てが落ち着いてからでもいいのでは」と迷っていました。
そんな頃に購入した嶽本野ばらの新刊『天橋立物語』を読みました。
なんと、その物語はカトリック系高校を舞台にした作品だったのです。
偶然ではなく神様からの呼びかけだと思いました。
竹延神父様の言うとおり「若い時に主を求める」決心をしたのです。
そして迎えた洗礼式では、多くの方が洗礼志願者である私の為にも祈ってくださっていたことを知り感激いたしました。
皆様の祈りと歌声を聴いて「こうやって教会は続いてきたんだな」と心動かされました。
神父様方、代母様、聖書講座の皆様、信徒の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
受洗した翌月に、甲賀の忍者の里に家族で出かけた際に思いがけず「キリシタン遺物」の鐘が展示されているのを発見して「今日も神様は私に呼びかけてくださっている」と胸がいっぱいになりました。
今は洗礼を受けてよかったと心から思っています。ミサでご聖体をいただく度に「また頑張ろう」と力をいただいています。
