私はイラン出身でS・S・Mと申します。
現在57歳で、家族と共に日々生活を送っています。
私はイスラム教の家に生まれ、学校でもイスラム教の授業があって勉強しました。
しかし幼い頃から近所のクリスチャンの人と付き合いがあって、教会やクリスマスパーティーなどに連れて行ってもらう事がありました。
その頃から、クリスチャンとしての興味を持っていました。
そして今から26年前、アメリカ人の友達のお蔭でキリスト教との出会いがありました。
その時その友達は私の誕生日のプレゼントとして、「GOD CALLING」という聖書の言葉を集めた本を贈ってくれました。
この本をいつも読んで心の中に明るい光を感じ、だんだん言葉を理解しながら信じて、自分が一人のクリスチャンとして勉強を始めました。
しかし中々、洗礼の機会がありませんでした。 “神様との出会い
ヨセフS・S・M
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神様との出会い
『ささやかな日々の中で出会った目には見えない大切なモノ』
マリアイレーヌ F・Y
復活祭が終わった夜の御聖堂に静けさが戻る中で受洗者の記念撮影が行われました。
私は祭儀の余韻を感じながら緊張の解けない気持ちのまま撮影に臨み、その後、帰路につきました。
4月とは思えない暖かな夜風に吹かれながら、神様への感謝と共に、この日のためにご準備下さった方々、祭儀を執り行って下さった神父様はじめ多くの方々への感謝の想いが込み上げました。
皆様、ほんとうにありがとうございました。
3月末から4月にかけてコロナウィルスの感染拡大が目を疑うような数字となって現れ、私は言いようのない不安を覚え、日々の行動にも「これでいいのか?」と自問を繰り返していました。
連日、絶えることなく報じられるコロナ関連のニュースは、感染者数だけではなく世界の惨状が戦場のように映し出されて心が痛みました。
大切な人の感染、更には突然の別れ・・・。
世界で毎日1万人を超える人々が亡くなっている現実を知れば知るほど、「私がこの世界に生きること」「出会う人たち」「出来事」、その『一つ一つが奇跡』であると感じるようになりました。 “『ささやかな日々の中で出会った目には見えない大切なモノ』
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「右近と歩む会」
右近の霊性に学び列聖運動を推進する
2月6日(土)玉造のカテドラルで一つの催しが行われる筈だった。
コロナで中止になったが、「ユスト高山右近列聖祈願のつどい」だ。
主催は大阪教区で、教区列聖推進委員会(委員長春名神父)と「右近と歩む会」が協力、前田大司教司式の列聖祈願ミサ、塩見弘子さんの講演その他充実のプログラブが予定されていた。
「右近クラブ」の活躍右近列福運動の頃は「右近クラブ」という信徒の集まりがあって活発な活動を行っていた。
2015年2月3日に神戸文化ホールで行われた「神のしもべユスト高山右近帰天400年記念ミサ」の準備運営には大きく携わり、また2017年2月7日の列福式においても準備運営に大きな役割を果たした。
右近の列聖推進列福式が済むと熱意が急速にしぼみ、「右近クラブ」の会員数も急減。列福に続いて列聖が目標にあるのだが、担当の大阪教区としては教区組織として列聖推進委員会を持ったものの、意識の向上はなかなか進まなかった。 “「右近と歩む会」
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教会の花壇
キリストの復活を祝うように集会の家横の花壇には花が咲き誇っています。
かつてジョルディ神父様は、この花壇の前を通り、集会の家の周囲をよく散歩されておられました。
あなたもいかが。
花への水やりや花壇の手入れにいつもご尽力されている営繕委員の方に感謝

洗礼の恵みに感謝 アグネス T・Y
私の洗礼名は、主人の10人兄弟の長姉でシスターになられたシスターアグネスと同じ霊名をいただきました。
シスターアグネスは、現在は長崎の教会で日々働かれていますが、一昨年まではドイツの教会で働かれていました。
そんな義姉は私にとってあこがれの存在でしたので、洗礼を受けるに当たり同じ霊名にさせていただいたのでした。
洗礼を受けるに際し、代母には主人の従姉になる大東教会のM・S様になっていただき、とても感謝しています。
コロナで大変な時期でしたが、昨年の7月12日に洗礼へと導かれたことを心より感謝いたします。
『神は、すべての人が救われて、真理を認識するようになることを望んでおられます。』
(テモテ一 2章4節) “洗礼の恵みに感謝 アグネス T・Y” の続きを読む
神との出会い 人との出会い
洗礼の恵みに感謝して M・Y
心を尽くして主に信頼せよ、
自分の知識にたよってはならない。
すべての道で主を認めよ、
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
箴言3章5―6節
『聖書 口語訳』
私は母がプロテスタントのクリスチャンであったため、キリスト教が常に生活の中にある環境で育ちました。
そしてそこには常にどんな困難も、生活苦もすべてを受け入れて祈る母の姿がありました。
先の聖書の言葉は母の聖書の表紙裏に書かれていた言葉です。
幼い頃から罪のないキリストが十字架にかかって死んでくださったのは、この私の罪のためであることは聞かされていました。
この頃の私は神様を素直に受け入れ、いつも神様がそばにいてくださることが自然なことでした。
中学を卒業すると同時に名古屋にある美容院にお世話になり、美容師の勉強を始めましたが、それは修行の一言でした。
厳しい修行の中で、感謝することや神様のみことばに耳を傾けることをせず、神様の存在を忘れて、自分中心な生活を送るようになっていきました。
そのような時も母は家族の救いのために、また、遠く離れた私のためにも祈り続けてくれました。
仕事が忙しく、とても長く教会を離れていました。
それでも誰かに宗教はと問われると何の抵抗もなくキリスト教と答えていました。
これまでの歩みの中で、困難な出来事がたくさんありました。
大きな病も経験しました。
今振り返ると、神様によって試練を乗り越えるための知恵や力が与えられ、守られ、神様のご計画の内に導かれてきたということが80歳を前にしてようやくわかり、すべての不安から解放されました。
私はこれまで神様からどれだけ多くの赦しと恵みをいただいてきたことでしょうか。感謝につきません。
入門講座の学びを通して、洗礼へと導かれたことを感謝いたします。
代母を引き受けてくださいましたNさんは、かつて私の美容室のお客様でした。
クリスマスにはカードを送ってくださり、ミサやバザーへのお誘いなどその時々にカトリック枚方教会へと導いてくださいました。
Nさんに出会わせてくださったことも洗礼に至る神様のお計らいであったと、ただただ感謝で一杯です。
神様は私が自らの力で生きようとするのではなく、神様の愛に応える生き方を示してくださいました。
神様はいつでもどこにいても私と共にいてくださり、どのような困難に出会っても歩むべき道を備えてくださいます。
これからも神様に信頼し、祈りつつ感謝して歩んでいきたいと思います。
キリスト教との出会い
使徒ヨハネ Z・R
私は七月十二日に受洗しました。なぜ私が洗礼を受けるつもりになったのか、その理由をお話しようと思います。
私は入信するにあたって、もちろんパウロのような電撃的な回心を体験したわけではありません。
些細なきっかけらしきものがいくつかあって、それらが重なり合いながら、私を受洗に導いたのだろうと今振り返って思います。
それらの動機の一つは外的なものでした。
私の家族全員が、つまり妻と子供たちがすでに入信して信仰の内におり、私だけがまだ信仰の外にいたという事実です。
信仰は、人が生きていくうえで何を尊いものと考えるか、という価値観へじかに通じています。
人生の終盤を迎える時に、私も家族と同じ価値観のもとで生きたいと――しかし信仰は共有できるものではないと承知しつつ――願ったこと、それが卑近な理由としてありました。
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「枚」の字を持つキリシタン大名
ジョアン 津軽信枚(つがるのぶひら)
「枚方」を正確にヒラカタと呼んでくれる人は、大阪を離れると滅多におられない。大抵はマイカタかマキカタである。
しかし、この字をヒラと読ませるれっきとした大名がいたのである。
桜のシーズンになるといつも名の挙がる青森県の弘前城、その城を創建したのが津軽藩主の津軽信枚である。
信枚は11歳のときに洗礼を受けたキリシタン大名であった。
「枚」をヒラと読むのは、昔は今よりもっとポピュラーだったのかも知れない。キリシタン時代を偲びながら信枚の事績を辿ってみよう。
1590年に豊臣秀吉によって津軽に封ぜられた津軽為信(信枚の父)が大坂を訪れた時、イルマン・ヴィンセンテからキリスト教の話を聞いた。
その時すでに秀吉によってキリスト教は禁じられていたが、それでも京都や大坂ではオルガンティノ神父はじめ数人のイルマンたちが活発な宣教を行っていて、武家の間でも信者は増えつつあったのである。
為信は教理を聞いて受洗の決心を固めていたが、急いで津軽に帰らなければならなかったため、自分の決心のしるしとして、その時11歳であった三男の信枚を大坂に残し、キリスト教の勉強をするようにと命じた。
少年信枚は熱心に勉強して教理に精通するようになり、1596年に洗礼を受け、ジョアンと呼ばれた。 “「枚」の字を持つキリシタン大名
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私と枚方教会の出会い
枚方教会信徒I.K
大阪に居を構えて今年で10年になります。
当初は、当時住んでいた近くに門真教会、今市教会があり、不定期ではありますがミサに参加したのが、大阪での私のカトリック教会での第一歩でした。
カトリック教会のことなどわからないままに40年が過ぎ、正直ただお祈りをするためにだけ、ミサに参加していたような感じでした。
一年後、居を移すことになり家を探している時に、京阪電車から丘の上にある薄緑色の尖頭が2つそびえる枚方教会が目に入りました。
何と美しい教会だろう、遠い昔に夢見たような何か包み込まれるような思いで誘われるままに、春の麗らかな日差しの中で枚方市駅から妻と教会を探しながら歩いて、初めて訪れたのが私と枚方教会の出会いです。
私は、そこで一人の神父と出会うのですが、その神父の話の中で「人は人生なんて思い通りにならない、ということをよく言うけれど、それは違う。
誰もが思い通りになっているのですよ。
例えば、夢が破れ、不本意だけど諦めて仕方なく違う道に進んだとか、もっと良い人と結婚できたけど、あなたみたいな人と結婚してしまったとか、でもそれは他の誰でもなく、あなたが選択したのだから、それはそれであなたの思う通りになっているのですよ。
なぜなら、人は、誰もが『自由と選択』を与えられているのですから、あなたの思う通りになっているのですよ。
だから、こんなはずじゃなかったとか、運が悪かったとか、いつも貧乏くじは私だけとか、不平不満を言うのではなく、命与えられたあなたの人生を大切に思い、また、他の人の人生も同じように大切に思うことが、主の私達に示す愛なのです。」
と言われた言葉が心に残っています。
さて、「出会い」とは何でしょう?
両親との出会い、
いたずらをして二人して廊下に立たされた友との出会い、
教科書だけでなく人としてどうあるべきかを教えてくれた恩師との出会い、
切なくて眠れない夜が続いた恋人との出会い、
旅先で二言三言会話をしただけなのに何か記憶に残る人との出会い、
愛らしくいつもまとわりつき心が癒されたペットとの出会い、
私を見守り、私の洗礼を何も言わず、静かに待ち続け、そして、授けてくれた神父との出会い、
書店でふと手にした一生の本、
聖書との出会い、
そして、自分自身の罪を認め、神を信じた日の出会いのように善い出会いもあれば、
不幸にして予期せぬ災害や事故、紛争に出くわした悪い出会い、
目に見えないほんの小さなウイルスが今、日本をはじめ、世界中を脅かしている新型コロナウイルスのような悪い出会いもあります。
私は、「出会い」とは、創世記に出て来る「善悪を知る木」に似ていて、善い出会いは人に感動を与え、悪い出会いは人に試練を与える、そのように思えるのです。
誰もが人生の中で感動し、胸震わせる、幸せな時があります。
また、反対に悲しみや苦しみに打ちひしがれ耐える時もありますが、神はその人が耐えうる試練しかお与えになりません。
私は、私に与えられた時間の中で、一つでも多く感動する出会いを求め、この貴重な一瞬一瞬を私が生きた証として、その日が来るまで、祈り歩き続けたいと思います。
最後に私が壁に当たった時にいつも力を与えてくれる御言葉です。
マタイによる福音書の中から、7章7節「求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見出す。たたきなさい、そうすれば開かれる」。
【神との出会い 人との出会い】
すべての出会いが神様のご計画
枚方教会信徒 U・R
「出会い」とは大きなテーマですが、今までに様々な出会いがあったように思います。
あったように…というと少し変ですが、自分でも気が付かないけど大きな出会いもあると思います。
例えば神様との出会いは生まれるずっと前なのに、私が気付いたのはずっと後のことです。
今までの人生で様々な出会いがありましたが、枚方教会との出会いについて振り返ってみたいと思います。
数十年前、私は京阪電車に乗って京都の学校まで通っていました。
窓から見えるかわいい三角屋根を毎日見ていました。
私の持っていた教会のイメージにピッタリの建物です。
すべての出会いが神様のご計画
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