回想 助任司祭 昌川 信雄

6年ぶりに枚方に戻り、レジデンスで老神父と共同生活。

枚方教会の助任司祭として、主日ミサとレジオ・マリエの奉仕を承ることになりました昌川です。

皆さんとの対面で、顔は見覚えがあるのですが、名前が出てこない身の程を思い知らされています。

「まだ何も知らないのが18歳、もう何も覚えていないのが81歳。」と言われる老いを得た私ですが、司祭館のベランダに立った時、かつて共同生活をした今は亡き神父との懐かしい思い出が蘇った「回想」を記します。

かつて秋日和のある日、ベランダの植木鉢をずらした時、出てきた一匹のシデ虫を側で見ていた学識高い太っちょの神父さんが反射的に足の下にしてしまいました。

私は「エーっ神父さん、あれも神様が創ったんだよっ」と叫んだら「余分に造ったんでしょ」と私を見下ろしながら、こうも言いました。

「だいたい地球上の生物の90%は、他の生物の餌になるんだよ。人間もその例外ではない。ウイルスや癌の餌だ」と。

生物を互いの餌にするという初めて耳にした「計りがたい神さまのやり方」に困惑圧倒された私でした。

しかし「他の餌になる」という亡き神父さんのこの解釈は、その後、降誕祭をむかえるたびにキリストの生涯の黙想に、良いヒントを私に与えてくれました。

「飼い葉桶の幼子」は、牛や馬がご飯を食べる茶碗の中で「私を食べてください」と身を差出し、十字架の死で私たちの完全な餌(ご聖体)になってくださった主でした。

ちなみに子供の頃、母から聞いた「タニシの話」も思い出しました。

タニシのお母さんは子供をお腹の中に生んで、ご飯を食べさせることが出来ないので、自分の肉を子供に与え、与え尽くして空っぽになって川を流れて逝くとき、子供たちはお母さんに向かって「僕たちのお母さんはお嫁に行くんだよーっ」て、見送る話です。

川下でお母さんの殻を拾い上げたイエス様は、復活のからだと血でお母さんのからだをよみがえらせます。

我が子の餌となって川を流れて逝く「タニシの殻」は、餌と食われてキリストの手の中で復活する、世のお父さん、お母さん、の姿でした。

私も、人を活かす餌となったイエス様の似姿に変えられるよう日々、ご聖体を戴くとき、み母マリア様のとりなしを願っている一人です