キリストの復活を祝うように集会の家横の花壇には花が咲き誇っています。
かつてジョルディ神父様は、この花壇の前を通り、集会の家の周囲をよく散歩されておられました。
あなたもいかが。
花への水やりや花壇の手入れにいつもご尽力されている営繕委員の方に感謝

大阪府枚方市のカトリック教会
キリストの復活を祝うように集会の家横の花壇には花が咲き誇っています。
かつてジョルディ神父様は、この花壇の前を通り、集会の家の周囲をよく散歩されておられました。
あなたもいかが。
花への水やりや花壇の手入れにいつもご尽力されている営繕委員の方に感謝
復活の主日のミサが、午前9時と11時に行われました。
9時ミサにはボーイとガールのスカウトも参加され、聖堂も集会の家も満席状態で、この日の参加者は約200名でした。
ことばの典礼、説教の後、洗礼式が行われました。
3人の洗礼志願者が代父母と共に紹介され、諸聖人の取次ぎを願って参列者による連願が唱えられました。
長崎神父により聖霊の働きを祈って洗礼水が祝福されました。
志願者による信仰宣言の後、長崎神父により志願者それぞれに洗礼が授けられました。
受洗者それぞれに洗礼名が与えられ、続いて堅信の儀が行われました。
受洗者それぞれが司祭から塗油と按手を受けました。受洗者の皆さん、おめでとうございます。
私の洗礼名は、主人の10人兄弟の長姉でシスターになられたシスターアグネスと同じ霊名をいただきました。
シスターアグネスは、現在は長崎の教会で日々働かれていますが、一昨年まではドイツの教会で働かれていました。
そんな義姉は私にとってあこがれの存在でしたので、洗礼を受けるに当たり同じ霊名にさせていただいたのでした。
洗礼を受けるに際し、代母には主人の従姉になる大東教会のM・S様になっていただき、とても感謝しています。
コロナで大変な時期でしたが、昨年の7月12日に洗礼へと導かれたことを心より感謝いたします。
『神は、すべての人が救われて、真理を認識するようになることを望んでおられます。』
(テモテ一 2章4節) “洗礼の恵みに感謝 アグネス T・Y” の続きを読む
12月24日(木)に夜半ミサが例年通り午後4時30分と午後7時30分に行われました。
最近は高齢者も含めて午後4時30分のミサへの参加者が増えてきています。
聖堂前にはフィリピン共同体による馬小屋が飾られ、夜はライトアップされてクリスマス・ムードを盛り上げました。 “主の御降誕ミサ” の続きを読む
◎元日のミサと車の祝別
新年を迎えて、元日のミサが例年通り0時、10時、12時に行われました。
この元日は「神の母聖マリア」を讃える祭日であり、併せて世界平和が祈願されました。
ミサ後に車の祝別が行われ、運転者、同乗者の安全を祈願して、神父様から祝福して頂きました。
◎新成人のお祝い
1月10日(日)11時30分のミサ中で新成人の祝福が行なわれました。
ミサ後の祝賀会は、残念ながらコロナの影響で行われませんでしたが、ミサの中で神父様から新成人の紹介があり、記念品が手渡されて、ミサ参加者全員が温かい拍手でお祝いしました。
ミサに参加できなかった新成人からメッセージがありましたので一部紹介します。
『大人の仲間入りをしたという実感はあまりありませんが、今まで以上に発言と行動に責任をもって成長していきたいと思います。コロナが落ち着き、いつもの日常に戻ることを祈っております。』
新成人の皆様おめでとうございます。
日ごとに寒さが増しています。枚方教会の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
年末を含め新しい年も、これまでの出来事を振り返り、気持ちを新たにして、一人ひとりに寄り添いながら過ごしていきたいものであります。どうぞよろしくお願い致します。
2020年は、本当に大変な年でした。至るところで、新型コロナウイルスの感染症を防ぐために、換気や手洗い、公式ミサを再開する際にも気を配り、祭壇、朗読台、ベンチ、ミサ道具の一個ずつまで毎回消毒する日が続きました。
感染防止の措置だけでなく、小教区の現場で感染が発生した場合、国から各地方自治体(保健所)に通達・指導が入ります。
結局は、教会全体から個々まで、日々の生活の中で、多くの業務に加えての細やかな感染対策に追われ、頭が下がる思いでいっぱいです。
信徒の皆様の、心も体もコロナ疲れでいるのではと心配しています。
しかし、こんな状況でも、私には、これまでの歩みからの学びがたくさんあった年です。
“ときには急いで、ときにはゆっくり
-今までの学びを活かして-
クラレチアン宣教会 フリオ神父” の続きを読む
心を尽くして主に信頼せよ、
自分の知識にたよってはならない。
すべての道で主を認めよ、
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
箴言3章5―6節
『聖書 口語訳』
私は母がプロテスタントのクリスチャンであったため、キリスト教が常に生活の中にある環境で育ちました。
そしてそこには常にどんな困難も、生活苦もすべてを受け入れて祈る母の姿がありました。
先の聖書の言葉は母の聖書の表紙裏に書かれていた言葉です。
幼い頃から罪のないキリストが十字架にかかって死んでくださったのは、この私の罪のためであることは聞かされていました。
この頃の私は神様を素直に受け入れ、いつも神様がそばにいてくださることが自然なことでした。
中学を卒業すると同時に名古屋にある美容院にお世話になり、美容師の勉強を始めましたが、それは修行の一言でした。
厳しい修行の中で、感謝することや神様のみことばに耳を傾けることをせず、神様の存在を忘れて、自分中心な生活を送るようになっていきました。
そのような時も母は家族の救いのために、また、遠く離れた私のためにも祈り続けてくれました。
仕事が忙しく、とても長く教会を離れていました。
それでも誰かに宗教はと問われると何の抵抗もなくキリスト教と答えていました。
これまでの歩みの中で、困難な出来事がたくさんありました。
大きな病も経験しました。
今振り返ると、神様によって試練を乗り越えるための知恵や力が与えられ、守られ、神様のご計画の内に導かれてきたということが80歳を前にしてようやくわかり、すべての不安から解放されました。
私はこれまで神様からどれだけ多くの赦しと恵みをいただいてきたことでしょうか。感謝につきません。
入門講座の学びを通して、洗礼へと導かれたことを感謝いたします。
代母を引き受けてくださいましたNさんは、かつて私の美容室のお客様でした。
クリスマスにはカードを送ってくださり、ミサやバザーへのお誘いなどその時々にカトリック枚方教会へと導いてくださいました。
Nさんに出会わせてくださったことも洗礼に至る神様のお計らいであったと、ただただ感謝で一杯です。
神様は私が自らの力で生きようとするのではなく、神様の愛に応える生き方を示してくださいました。
神様はいつでもどこにいても私と共にいてくださり、どのような困難に出会っても歩むべき道を備えてくださいます。
これからも神様に信頼し、祈りつつ感謝して歩んでいきたいと思います。