駆け出しの会社員時代、仕事相手の人に名前を覚えていただいていることを知ったときはとても嬉しかったことを思い出します。当時の私にとって相手の名前をできるだけ早く覚えることが仕事のひとつでしたが、最近その能力が落ちてきているようでしきりに反省しています。
名前は人格の入口だと言われ、名前を知ること、相手を名前で呼ぶことでその人との親しさはグッと増します。
その意味で外国から宣教師として来られた司祭で日本人の名前を早く覚えられる司祭からは宣教師としての熱意が感じられ偉いなあと思います。
カトリック国と言われる国では洗礼名がそのまま社会の中の公の名前にもなりますが、日本をはじめ宣教国では多くの方が公の名と霊名(洗礼名)とふたつの名前をいただくことになります。
親は自分の子供に名前をつけるとき、我が子の将来の幸せを願い、期待を込めて名づけますが、信者の家庭であれば洗礼名をつけるときも同じ思いでしょう。
“御名を慕って歩み始めよう主任司祭 長崎 壮” の続きを読む