キリスト教との出会い
使徒ヨハネ Z・R

私は七月十二日に受洗しました。なぜ私が洗礼を受けるつもりになったのか、その理由をお話しようと思います。

私は入信するにあたって、もちろんパウロのような電撃的な回心を体験したわけではありません。

些細なきっかけらしきものがいくつかあって、それらが重なり合いながら、私を受洗に導いたのだろうと今振り返って思います。

それらの動機の一つは外的なものでした。

私の家族全員が、つまり妻と子供たちがすでに入信して信仰の内におり、私だけがまだ信仰の外にいたという事実です。

信仰は、人が生きていくうえで何を尊いものと考えるか、という価値観へじかに通じています。

人生の終盤を迎える時に、私も家族と同じ価値観のもとで生きたいと――しかし信仰は共有できるものではないと承知しつつ――願ったこと、それが卑近な理由としてありました。
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「枚」の字を持つキリシタン大名
ジョアン 津軽信枚(つがるのぶひら)

「枚方」を正確にヒラカタと呼んでくれる人は、大阪を離れると滅多におられない。大抵はマイカタかマキカタである。

しかし、この字をヒラと読ませるれっきとした大名がいたのである。

桜のシーズンになるといつも名の挙がる青森県の弘前城、その城を創建したのが津軽藩主の津軽信枚である。

信枚は11歳のときに洗礼を受けたキリシタン大名であった。

「枚」をヒラと読むのは、昔は今よりもっとポピュラーだったのかも知れない。キリシタン時代を偲びながら信枚の事績を辿ってみよう。

1590年に豊臣秀吉によって津軽に封ぜられた津軽為信(信枚の父)が大坂を訪れた時、イルマン・ヴィンセンテからキリスト教の話を聞いた。

その時すでに秀吉によってキリスト教は禁じられていたが、それでも京都や大坂ではオルガンティノ神父はじめ数人のイルマンたちが活発な宣教を行っていて、武家の間でも信者は増えつつあったのである。

為信は教理を聞いて受洗の決心を固めていたが、急いで津軽に帰らなければならなかったため、自分の決心のしるしとして、その時11歳であった三男の信枚を大坂に残し、キリスト教の勉強をするようにと命じた。

少年信枚は熱心に勉強して教理に精通するようになり、1596年に洗礼を受け、ジョアンと呼ばれた。 “「枚」の字を持つキリシタン大名
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私と枚方教会の出会い
枚方教会信徒I.K

大阪に居を構えて今年で10年になります。

当初は、当時住んでいた近くに門真教会、今市教会があり、不定期ではありますがミサに参加したのが、大阪での私のカトリック教会での第一歩でした。

カトリック教会のことなどわからないままに40年が過ぎ、正直ただお祈りをするためにだけ、ミサに参加していたような感じでした。

一年後、居を移すことになり家を探している時に、京阪電車から丘の上にある薄緑色の尖頭が2つそびえる枚方教会が目に入りました。

何と美しい教会だろう、遠い昔に夢見たような何か包み込まれるような思いで誘われるままに、春の麗らかな日差しの中で枚方市駅から妻と教会を探しながら歩いて、初めて訪れたのが私と枚方教会の出会いです。

私は、そこで一人の神父と出会うのですが、その神父の話の中で「人は人生なんて思い通りにならない、ということをよく言うけれど、それは違う。

誰もが思い通りになっているのですよ。

例えば、夢が破れ、不本意だけど諦めて仕方なく違う道に進んだとか、もっと良い人と結婚できたけど、あなたみたいな人と結婚してしまったとか、でもそれは他の誰でもなく、あなたが選択したのだから、それはそれであなたの思う通りになっているのですよ。

なぜなら、人は、誰もが『自由と選択』を与えられているのですから、あなたの思う通りになっているのですよ。

だから、こんなはずじゃなかったとか、運が悪かったとか、いつも貧乏くじは私だけとか、不平不満を言うのではなく、命与えられたあなたの人生を大切に思い、また、他の人の人生も同じように大切に思うことが、主の私達に示す愛なのです。」

と言われた言葉が心に残っています。

さて、「出会い」とは何でしょう?

両親との出会い、

いたずらをして二人して廊下に立たされた友との出会い、

教科書だけでなく人としてどうあるべきかを教えてくれた恩師との出会い、

切なくて眠れない夜が続いた恋人との出会い、

旅先で二言三言会話をしただけなのに何か記憶に残る人との出会い、

愛らしくいつもまとわりつき心が癒されたペットとの出会い、

私を見守り、私の洗礼を何も言わず、静かに待ち続け、そして、授けてくれた神父との出会い、

書店でふと手にした一生の本、

聖書との出会い、

そして、自分自身の罪を認め、神を信じた日の出会いのように善い出会いもあれば、

不幸にして予期せぬ災害や事故、紛争に出くわした悪い出会い、

目に見えないほんの小さなウイルスが今、日本をはじめ、世界中を脅かしている新型コロナウイルスのような悪い出会いもあります。

私は、「出会い」とは、創世記に出て来る「善悪を知る木」に似ていて、善い出会いは人に感動を与え、悪い出会いは人に試練を与える、そのように思えるのです。

誰もが人生の中で感動し、胸震わせる、幸せな時があります。

また、反対に悲しみや苦しみに打ちひしがれ耐える時もありますが、神はその人が耐えうる試練しかお与えになりません。

私は、私に与えられた時間の中で、一つでも多く感動する出会いを求め、この貴重な一瞬一瞬を私が生きた証として、その日が来るまで、祈り歩き続けたいと思います。

最後に私が壁に当たった時にいつも力を与えてくれる御言葉です。

マタイによる福音書の中から、7章7節「求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見出す。たたきなさい、そうすれば開かれる」。

【神との出会い 人との出会い】
すべての出会いが神様のご計画
枚方教会信徒 U・R

「出会い」とは大きなテーマですが、今までに様々な出会いがあったように思います。

あったように…というと少し変ですが、自分でも気が付かないけど大きな出会いもあると思います。

例えば神様との出会いは生まれるずっと前なのに、私が気付いたのはずっと後のことです。

今までの人生で様々な出会いがありましたが、枚方教会との出会いについて振り返ってみたいと思います。

数十年前、私は京阪電車に乗って京都の学校まで通っていました。

窓から見えるかわいい三角屋根を毎日見ていました。

私の持っていた教会のイメージにピッタリの建物です。

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ヘンデルの「メサイア」
すばらしい演奏会を体験!
枚方教会信徒 T・Y

キリスト教一致祈祷週間最終日の前日(1月24日)午後7時から、マラナ・タ教会主催の「メサイア」が枚方教会聖堂で開催された。

通常「メサイア」は、大編成のオーケストラと200人を超える合唱団で大きなコンサートホールで演奏される。

ベートーベン「第九」と共に年末のクラシック界2大イベントとなっている。

今回はかなりの小編成で、久下牧師によれば「素人の合唱グループ」とのこと、また会場も音楽会にふさわしい場所ではないのかと危惧していた。

しかし本来、メサイア誕生の秘話としては、慈善や慰安のために小編成での合奏合唱が行われたようで、この演奏会はその精神に合致していると合点した。

そしてM・Y氏の指導のもと、半年以上かけられた熱心な練習と、団員がワンチームとなって培われた成果が爆発したような一夜となった。

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ペシャワール会の中村哲医師を偲んで

ペシャワール会支援チャリティーコンサートへのご協力、有難うございました。

会の代表中村哲医師は、昨年12月4日に現地アフガニスタンで銃弾を受け亡くなられました。

キリスト教信者であった中村さんの活動は私たち信徒の模範、中村さんを偲んでその活動を振り返ってみたいと思います。

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教皇フランシスコ来日
長崎・東京でミサ
核兵器のない平和を熱烈にアピール!

教皇フランシスコは2019年11月23日から26日まで、日本を司牧訪問された。

教皇の来日は、聖ヨハネ・パウロ2世教皇以来38年ぶり。

教皇フランシスコは長崎・広島を訪れて、「核兵器は、安全保障の脅威から私たちを守ってくれるものではない。」と、世界に対して強いメッセージを発せられた。

日本に対して共感と愛着を抱き、やっと日本を訪れることが出来たと語る教皇フランシスコ。

その司式のミサが、11月24日に長崎県営野球場、25日に東京ドームで行われた。

枚方教会の参加者から3人の方の感想を頂いた。

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グァダルペの聖母その祭日に寄せて
レジオマリエ K・M

12月12日はグァダルペの聖母の祭日、枚方教会では10時からミサがあり、その後の祝賀会の中で、聖母出現の様子を小さな劇にして披露し、皆で分かち合いました。

10年前にフリオ神父様に連れられてメキシコを旅し、「グァダルペ大聖堂」のあるテベヤクの丘を訪れた時に、「GUADALUPAN」という本を買いました。

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北地区福島訪問 福島巡礼で見たもの 社会活動委員会  O・I

6月8日~11日、今回は南相馬、飯館村、二本松などを訪問した。参加者は、ハイメ神父(社活担当)、ブラッドリー神父(梅田B協力)、ナン助祭と各教会信徒の計10名。

前向きに生活を取り戻す人がいる
避難解除の日は、他人が住所や生活を決めるのではなく、自分で選び決められるようになった日。泣いている町ではなく、楽しい喜べる町に人は来る。小高は0から4千人、日本で一番人口が増えた町だ。

取り残された人がいる
避難解除は人の切り捨て。補償も打ち切り。復興住宅に移っても生活できない。伴侶を亡くした人などが孤立する。 
低額の年金で畑で半ば自給していた人が、お金を使っての生活になり、行き詰まっている。仕事を奪われたのに生活費がいる。家を直すにも数百万かかる。畑も一から作り直し。農機もなくし、老齢で再建できない。希望がなく、生活が荒れる。自死、孤独死、うつ、アルコール依存、引きこもりが増えている。
今も柵で隔てられた無人の町が動物に荒らされ、山に飲み込まれていくのを見るだけ。家が見えるのに入れない。来るごとに針を刺される気持。

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スペイン・ルルド巡礼 グァダルーペ列福式と 聖ホセマリア・エスクリバーの足跡を辿る巡礼 寄稿者O.H

グァダルーペの列福式

私の家族の歴史は巡礼の歴史です。父と母は新婚旅行で4週間のヨーロッパ巡礼をしました。私が生まれ、妹が生まれ、家族の喜びは大きくなりました。と同時に、困難に出会った時、大病をした時、別れを経験した時、いつも祈りの中で物事を見て、うまく乗り越えられたあとは必ず巡礼に出かけました。マリア様に感謝の祈りを捧げるためです。


今回、酒井補佐司教様と一緒にスペイン・ルルドへの巡礼に出かけようと思ったのも家族の節目にしたかったからです。


2年半前に52歳で急逝した父と共に、「日常生活の聖人」聖ホセマリアの足跡を辿りながら、この世の真只中で聖性を求める生き方を探したいと思いました。

全ての人が聖性に召されているとはどういうことなのか。修道者でない、殉教者でもない、一般信徒が本当に聖人になれるのか。

その答えは、マドリードで参加したグァダルーペの列福式で見つけました。グアダルーペ・オルティスという女性は、聖ホセマリアから様々なことを学んだそうです。神様の望まれるように生きる、深い信仰と豊かな内的生活を基盤として、女性たちや困窮している家族の教育と発展に力を注ぎました。

彼女は化学者でもありました。1975年に59歳で亡くなるまで、日々の生活の中でキリストと出会い、自分の仕事を聖化し、病気を超自然的に捉え、もう一人のキリストになる戦いをした人です。ごくごく普通の信徒でした。


列福式には世界中から何万という人が集まりましたが、深い家族的一致が感じられ、喜びにあふれていました。沢山の信徒がゆるしの秘跡にあずかっていました。老若男女、職業や立場の違う人達が皆家族を大切にし、熱心にごミサにあずかり祈る姿に感銘を受けました。

全ての人が日常生活の中で聖人になる方法をこの目で「見た」ような気がします。例えば、人の悪口を言わない、朝決まった時間に起きる、守護の天使と深く付き合う、こんな小さな戦いが聖性の道の一歩になるのだとわかりました。


恵みをたくさんいただきました。父はもうこの世にいませんが、これからも家族の巡礼の旅は続きます。