ときには急いで、ときにはゆっくり
-今までの学びを活かして-
クラレチアン宣教会  フリオ神父

日ごとに寒さが増しています。枚方教会の皆様、いかがお過ごしでしょうか。

年末を含め新しい年も、これまでの出来事を振り返り、気持ちを新たにして、一人ひとりに寄り添いながら過ごしていきたいものであります。どうぞよろしくお願い致します。

2020年は、本当に大変な年でした。至るところで、新型コロナウイルスの感染症を防ぐために、換気や手洗い、公式ミサを再開する際にも気を配り、祭壇、朗読台、ベンチ、ミサ道具の一個ずつまで毎回消毒する日が続きました。

感染防止の措置だけでなく、小教区の現場で感染が発生した場合、国から各地方自治体(保健所)に通達・指導が入ります。

結局は、教会全体から個々まで、日々の生活の中で、多くの業務に加えての細やかな感染対策に追われ、頭が下がる思いでいっぱいです。

信徒の皆様の、心も体もコロナ疲れでいるのではと心配しています。

しかし、こんな状況でも、私には、これまでの歩みからの学びがたくさんあった年です。
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-今までの学びを活かして-
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聞いて寄り添う 特別な年の待降節に
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

今年は敬老の日にフリオ神父とともに車で奈良県の飛鳥に小旅行をしてきました。

稲穂が揺れる風景に包まれ、古代日本の原風景とはこうであったのだろうと想像しながら飛鳥寺、橘寺、川原寺跡、石舞台古墳と巡りましたが、最初に訪れた飛鳥寺では日本に現存する最古の仏像である飛鳥大仏がありました。

北魏様式という中国の影響を受けているこの仏さんの表情はいかにも福々しい東大寺の大仏とはだいぶ違い、細面でより人間的なお顔です。

興味深いことは、今まで見たどの仏像も共通しているのは耳が縦に長いことです。

耳が象徴的に大きく造られたことには、「自分の苦しみを聞き、わかっていただきたい」という仏さんへの人々の素朴な願いが投影されているように感じます。

聖徳太子の十人の話を同時に聞き分けたという逸話もこういった人々の思いから生まれたのかもしれません。 “聞いて寄り添う 特別な年の待降節に
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丁寧に生き、丁寧に死ぬように
-コロナの時代に自分と向き合う為のひと時-
クラレチアン宣教会 フリオ神父

毎日、セミの声が聞こえ、真夏を輝かせる太陽が続いています。

枚方教会の皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

気温の上昇と共に、マメに水分補給をして、自己管理に努めながら、感染リスクを減らし健やかに過ごされていることを願っています。

さて、9月の巻頭言の担当に当たりまして、新型コロナウイルスのこの時代に、お気に入りの神学者ヘンリー・ナウエン「今日のパン、明日の糧」の本から一つの記事を参考にして、「丁寧に生き、丁寧に死ぬように」について、共に振り返ってみたいと思います。

私たちはみな、何らかの原因でいつの日かこの世を去ります。

死は、私たちが確かなこととして知っている数少ないものの一つですが、本当に丁寧に死ぬことができるでしょうか。

それは、あまり確かではありません。

しかし、私にとって、「丁寧に死ぬ」とは、先ず、「丁寧に生き」、そして他の人々のために命を懸けて死ぬこと、後に残る人々に対して、私たちの生涯を実りあるものとすることだと思います。

したがって、重要な問いは、「残りの年数で何がまだできるか」ではなく、「私の後に続く世代の人々の間で、私の人生が、実をもたらし続けるために、どのような生活や生き方を送り自分の死を準備するか」ということでしょう。

つまり、何よりも先ず、人の為に「丁寧に生きる」ことですね。

主イエス・キリストは、良く死ぬことができたと思います。

というのもその死によって、イエス様は、「愛の霊」をご自分の弟子たちに送られたからです。

イエス様の弟子たちは、聖霊によって、よりよい生涯を送ることができました。

私たちが、家族や友人たちから離れる時、「愛の霊」を送ることができるでしょうか。

それとも私たちは、まだ何ができるかを思い込み心配しているでしょうか。

もし丁寧に死ぬための準備をするつもりなら、「死」は、私たちの最も素晴しい贈り物となるでしょう。

親愛なる皆さん、いつくしみ深い神の命に生かされていることに気付き、実り豊かな日々を送り続けることができますように。

アーメン

祈り、祈られ、支え合う
主任司祭 長崎壮

長崎神父写真

枚方教会の信者の皆さん、長い自粛生活を本当にお疲れさまです。

今年は私たちキリスト信者にとって最大の祝いである復活祭をはじめ、四旬節から復活節のほぼ全ての典礼と行事が空白となる異例の事態となりました。

信者さん同士の交わりの機会も失われ、心細さを感じながらの日々であったと思います。

そのような期間を耐え忍ばれた皆様に対してお掛けしたい言葉はやはり心からの「お疲れさま」です。

自粛期間中、教会に入る信者さんからの問い合わせではミサへの参加を待ちわびていることがひしひしと伝わってきましたが、ミサの中止が始まって間もなくの頃、電話でひとりの信者さんから「神父さんは、教会に行かない私のことを怒っていませんか」と問われました。

私はその人の心の清さに打たれましたが、「あなたをはじめ、教会に来ることができない全ての信者さんに代わって祈りますから、お辛いでしょうけれど今しばらく御自宅で辛抱してください」と答えるのがやっとでした。

専門家でさえも意見が割れる新型コロナウイルスの脅威を前にして牧者として全くの無力さを感じた瞬間です。

その一方で、公開ミサ自粛の間、個人的なお祈りで訪れる信者さんと話す機会もあり、「ミサの自粛を通じて、ミサの力の大きさにあらためて気づきました」という声や「これほどよく祈った期間はありませんでした」という声を聞いた時には私も勇気づけられました。

さて、目に見えない新型コロナウイルスの蔓延が私たちに示した〝時のしるし〟から私たちは色々なメッセージを読み取ることができます。

そのひとつ、この自粛期間中に私が度々思い出したのは昨年来日された教皇フランシスコが私たちに投げかけられた「すべての命を守るため…」ということばです。

神様からいただいた賜物である命、自分の命はもちろんのこと、大切な人の命を守るためには神様からのお恵みと同時に私たちの方からも会いたい人に会うこと、平常時であればできたであろう楽しみを犠牲として捧げる協力をしなければなりませんでした。
 
いまだ予断をゆるさない状況が続く中、私たちキリスト信者は互いに祈り、祈られ、支え合いたいものです。

相手のために祈ることも大切ですが、自分も祈られていることを感じる体験は信者の集まりである教会の絆を強固にします。

健康に不安を抱え教会に来ることができない方も沢山いますが、その方々の分までよく祈りましょう。

そして来られない信者さんの側も、枚方教会には自分のためにお祈りしている兄弟姉妹がいることを信じ、キリスト信者の連帯感を感じていただきたいと思います。

主日ミサ再開とミサ参加の地区割制導入についてのお知らせ

♰ 主の平和が皆さんとともに


カトリック枚方教会ではこのたび新型コロナウイルス感染症予防のための措置としての公開ミサ中止を解除し、主日の公開ミサを6月13日(土19:00)より再開することを決定いたしました。

しかし、この決定の後、各地でのクラスター(集団)感染の発生等、予断をゆるさないことに変わりがないため、信徒の皆様ひとりひとりの健康と安全を鑑み、一回のミサの参加者数を限定する必要に迫られ、急遽各ミサの参加者を地区割制にさせていただくことになりました。

なお、基礎疾患をお持ちの方、健康に不安をお持ちの方は、公開ミサ中止期間と同様に感染拡大が完全収束するまで主日ミサに参加する義務は免除されます。

引き続き健康に御留意のうえ、家庭でみことばの黙想や祈祷書を用いた祈り、ロザリオ等を通じて祈り下さい。

★土曜日19時からの主日ミサには地区割制を導入しておりませんので自由にご参加ください。

★6月16日より平日の火曜日と木曜日の10時よりミサを再開いたします(6月)が、このミサは主日ミサに参加できなかった人のためのものとします。

★第三主日9時から行われていたこどもミサは、場所をうみのほし幼稚園講堂に移して従来通り9時から行います。

★主日の外国語のミサ、ポルトガル語(第1主日15時)、英語(第2主日15時) ミサには変更がありませんが、スペイン語ミサのみ第4主日の15時と16時の二回行います。

※なお教会に行くことに不安をお持ちの方で諸秘跡をご希望の方は、司祭にご連絡を頂けましたら、ご家庭まで聖体を奉持するほか、病者の塗油、赦しの秘跡などもお授けすることができますので是非教会までご一報ください。


     2020年6月1日
 枚方教会主任司祭 長崎壮

主日ミサの地区割


6月14日より当面の間、以下の地区割に従ってミサに御参加ください。

A地区の方は8:30開始のミサ、 B地区の方は10:00開始のミサ、 C地区の方は11:30開始のミサにそれぞれ御参加ください。

皆が安全にミサに参加できるように、指定された地区以外のミサへの参加はお控えいただきますようお願いいたします。

【A地区】 8:30開始
枚方中央 枚方公園 牧野 招堤 片鉾・田口 御殿山 中宮・禁野

【B地区】 10:00開始
交野西 交野東 茄子作・釈尊寺 山之上・香里 宮之阪・村野 寝屋川・市外

【C地区】 11:30開始
八幡 松井山手 樟葉 長尾・津田・国道東 長尾西

四旬節 《本当の幸せを求めて》
助任司祭昌川信雄

よく耳にする疑問や質問があります。

*「人類を救うために来られた神様は、敵に身を任せて自分の命を捨てて逝きました。この方を『救い主』と崇めていますが、どのように私たちを救ったというのですか?」

*「苦しいとき、『祈りなさい。神さまとお話しなさい』と勧められますが、神様からは一向に返事がありません。ネット検索の方が手っ取り早いです。」

*「『許しなさい、自我に死になさい』と言われても、私には無理。どうしてそんなことが出来るのでしょう?」

座席99・9%の乗客がスマホと向き合っている昨今。

このような質問に言葉を尽くして名解答を与えたとしても、おそらく世の人々に体で納得してもらえないもどかしさを感じます。

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御名を慕って歩み始めよう
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

駆け出しの会社員時代、仕事相手の人に名前を覚えていただいていることを知ったときはとても嬉しかったことを思い出します。当時の私にとって相手の名前をできるだけ早く覚えることが仕事のひとつでしたが、最近その能力が落ちてきているようでしきりに反省しています。

名前は人格の入口だと言われ、名前を知ること、相手を名前で呼ぶことでその人との親しさはグッと増します。

その意味で外国から宣教師として来られた司祭で日本人の名前を早く覚えられる司祭からは宣教師としての熱意が感じられ偉いなあと思います。

カトリック国と言われる国では洗礼名がそのまま社会の中の公の名前にもなりますが、日本をはじめ宣教国では多くの方が公の名と霊名(洗礼名)とふたつの名前をいただくことになります。

親は自分の子供に名前をつけるとき、我が子の将来の幸せを願い、期待を込めて名づけますが、信者の家庭であれば洗礼名をつけるときも同じ思いでしょう。

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キリストと結ばれ古傷に別れを告げよう
ー新年を迎えて前向きに生きるためにー
クラレチアン宣教会フリオ・トレス神父

〈いよいよ本格的な寒さとなってきました。枚方教会の皆さん、お元気でしょうか。新しい年も、この私は心を新たにして一人ひとりに寄り添い、温かい心で関わっていきます。どうぞよろしくお願い致します。〉

新年を迎えたこの頃、病気であっても、不自由な体になっても、どんな時でも、前向きに生きるためには、最も大切なことが何かと考え、神学者ヘンリ・ナウエンの智恵を借りて、皆さんと一緒にいろいろと振り返ってみたいと思います。(参照:「今日のパン、明日の糧」、BreadfortheJourneyヘンリ・ナウエン1997年)

先ず、私たちが、心を新たにするのに最も難しいことの一つは、やはり過去についた心の傷を癒すことだと思います。

「あなたが、私や家族、先祖、友人にしたことは、絶対忘れません。絶対許しません。あなたは、いつか後悔するに違いありません。」と言ったり、少なくとも心に思ったりするものです。

時には、私たちの記憶は何十年も、場合によっては、何世紀もの年を経てまた復讐を呼び続けてしまいます。

過ちについて、ある人を責め続けているうちに、かたくなな心の壁が築かれてしまうことがよくあります。

けれども、使徒パウロのコリントの教会への手紙では、こう語られています。

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ー新年を迎えて前向きに生きるためにー
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木を捜して登る
ーザアカイ、急いで降りてきなさいー
助任司祭 昌川 信雄

この度、38年ぶりの教皇の日本訪問は、信仰者ばかりでなくメディアも巻き込んでの大行事でした。

『教皇のお通り』を一目見たさに、長崎へ、広島へ、東京へと先回りして木に登った「ザアカイ」たちには、真に恵みの場となったことでしょう。

一か月後には、教皇に代わって、主ご自身が全世界の一人ひとりを訪問される『降誕祭』です!

世界はこぞって「イエスのお通り」を一目見よう(?)と、それぞれの木に登る準備でしょうか。

街と商店はイルミネーションの、若者たちは恋人への、大人たちはパーティの、両親たちは子どもへのプレゼントの準備に心はずませるようですが、私たち信仰者は「待降節」の木に登るための準備なのです!

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人を生かす死 いのちの伝達
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

カトリック教会の典礼暦では十一月を死者の月としています。

日本では死者をお盆の期間に追悼しますので、枚方教会でも日本の習慣に合わせてお盆の期間に当たる聖母被昇天の祭日に死者追悼祈念ミサをお捧げしましたが、教会の死者の月も大切にしていただきたいと思います。

今年の八月は例年以上に暑さが厳しく枚方教会では葬儀が多く行われ、私たちの信仰の先輩方を天上の教会へと送り出したことは悲しいことですが、天国に旅立った親を見送ったご家族からは故人への感謝とともに、故人から引き継いだ信仰を大切にしていこうという気持ちが強く感じられました。

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