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~私は行くところがある~
第1講話 竹延真治神父
第2講話 松浦信行神父
6月3日に北地区春の養成講座が今市教会にて行われました。
今回から指導司祭が梅田教会の松浦信行神父に交代され、新型コロナ感染症に対する規制が緩和されていくことを考えながら今年初めから準備を進めておりました。
4月の末から募集を開始したところ、枚方教会では16名の申し込みが有りました。
北地区全体では100名ほどの申し込みとなり、日々通常の活動が出来る様になって来ている事を実感する事が出来ました。
第1講話は竹延真治神父の「私はなぜ教会に惹かれたのか?」という題ではじめられました。
すぐに「私は、人と会うのが怖いです。」と仰られ、如何に自分が人と付き合う事が怖いかを赤裸々に語られました。
その講話を受けて、10の小グループに分かれ分かち合いの時間が持たれました。どのグループも大いに盛り上がっておりました。
更にその分かち合いを受けて松浦信行神父の「私と教会」と題した講話があり、各グループの分かち合いの共有が殆どで、それをまとめられるという展開となりました。
新型コロナ下で人との接触が減った後だけあって、参加者の方々が積極的に発言している姿が印象深い講座となりました。
(宣教委員会 S)
長崎神父と共に 巡礼の旅によせて
5月29日~6月1日まで、今市教会2名、枚方教会7名で長崎神父と共に平戸・外海・長崎・神ノ島・伊王島へと巡礼の旅に出発しました。
一日目は上五島出身の大工の棟梁、鉄川与助氏が建てた田平(たびら)教会訪問。
レンガ造りで、八角形の屋根は鐘楼を構える重厚な教会で、信徒の墓地が隣接する珍しい教会です。
次に焼罪(やいざ)史跡公園へ、ここは1622年イタリア人カミロ・コンスタンツォ神父が火刑に処せられた地で「殉教の碑」があり、海に向かって建てられています。
上神崎(かみこうざき)教会、平戸ザビエル記念教会を訪問。ここで旅の最初のミサを捧げました。 “長崎神父と共に 巡礼の旅によせて” の続きを読む
初聖体の報告
6月11日(日)【キリストの聖体】の9時ミサにおいて、梅﨑・竹延 両神父司式のもと、小学四年生のD・M君が初聖体を受けました。
前日の打合せには、お父さんも参加して頂き、梅﨑神父がたくさんのお話しをして下さいました。
帰る時にM君は、「緊張してきたけど、明日がとっても楽しみになった!」と言っていました。
勉強の期間中にお祖父様が体調を悪くされて、お母さんがブラジルに行かれた中での、ちょっと寂しい初聖体でしたが、当日はお父さんが携帯で写真を撮り、すぐにブラジルに送って、喜びを分かち合うことができました。
教会学校からのお知らせ
毎月第3日曜日の9時ミサ後に教会学校の活動をしています。
対象は、幼児(保護者の方もご一緒に)・小学生です。
中学生以上の方は、是非リーダーとして参加してください。
お知らせ(5月)
◎クラレチアン宣教会
司祭の黙想会 4月30日(日)午後から5月6日(土)夕方まで
神父様は不在となりますので信徒が交代で留守番をします。
・この間のミサはありません。
◎初金ミサ
・6月2日(金)10時
◎婦人会
・5月5日(金)10時~掃除、定例会
・6月2日(金)ミサ後~掃除、定例会
・婦人会は第3、4、5金曜日も10時から掃除をしております。祝祭日の場合はミサがあり、掃除はその後になります。ご協力をお願いします。
◎壮年の集い
・5月13日(土)
・6月10日(土)
午後5時から掃除と定例会。どなたでも、途中からでもお気軽にご参加ください。
◎初聖体
・6月11日(日)9時ミサにて。
ご希望の方は司祭・青少年委員会まで。
◎教会学校始まりました
第3日曜日9時ミサ後集会の家にお集まり下さい。 “お知らせ(5月)” の続きを読む
本当の家を探し求めて
マリア・テレサ・ベネディクタ N・N
物心ついた頃から、突然、世界から完全に自分が切り離され「私は誰なのか、この世界は一体何か」という迷子の様な感覚に度々陥っていた私が、これを哲学的に被投性と呼ぶと知ったのは随分後の事です。
名前すら持たないこの内奥からの問いかけに対して、答えを見出せないまま家族や学校の一員として存在する、あくまで仮象の「私」に戻るしかないということに次第に気づく瞬間、それはとてつもなく重たく感じ「この私を生きなければいけない」という逃れられない現実に呆然としながらも、自己一致を揺るがす一種の不安からは解放されるのでした。
大学進学で故郷を離れ、大阪へ。
恩師の導きによってシモーヌ・ヴェイユのキリスト教思想を通して贖罪の概念に惹かれ、留学中はユダヤ人哲学者レヴィナスの思想に導かれて、キリスト教との対話にも開かれていたユダヤ教の恩師との出会いもありました。
二人のユダヤ人哲学者における私の関心は、不幸を受け入れる過程での魂の完全な受動性の中でのケノーシスの型取りとして自己の魂の変容でした。
しかし、当時の私はまだ摂理としての父である神の存在を本当には知りませんでした。 “本当の家を探し求めて
マリア・テレサ・ベネディクタ N・N” の続きを読む
癒しのメシアニズム M・H
3年前の2月15日、脳性麻痺に起因する頚髄損傷で倒れ、救急搬送されて半年あまり入院していた。
無理な手術を回避し、車椅子に乗れるようになること、iPadをタッチペンで入力できるようになることを理学・作業療法の目標にしたリハビリを受けて退院し、以来在宅生活を送っている。
入院中に外でコロナ禍が広がり、どこの病院・施設でも面会が制限された。
入院したおかげでコロナ禍から守られていたとも思うが、手が動かなくなり、iPadの入力もままならなくなったうえに、マスクの装着が常識となり、聴覚障害がある私には読唇が難しくなったため、外部とのコミュニケーションが途絶してしまった。
これらのことが精神的にもっとも辛いことだった。
コロナ禍はいのちのみならず、人間の絆をも断ち切ってしまうことを実感している。
今日、24時間介護体制での在宅生活を支えてくれるのは週延べ25名ほどのヘルパーである。
食事、洗濯、通院、そして紙オムツの交換、外出時の付き添い。(入浴は週2回、デイサービスセンターに通っている)。
幸いなことに、彼らのうち何人かはキリスト者であり、その中にカトリックのKさんがいる。
退院して2週間ほどたった土曜日の夕方のこと、私のiPadが突然鳴った。 “癒しのメシアニズム M・H” の続きを読む
聖週間の典礼と行事
受難の主日「枝の主日」 4月2日(日)9時・11時
ミサの始めに、「主のエルサレム入城の記念」が行われた。長崎神父が入堂する際に、各自それぞれ枝を持った信徒を祝福された。
第2朗読の後、「マタイによる主イエスキリストの受難」がキリスト、語り手、登場人物、及び群衆に分かれて朗読された。
聖木曜日「主の晩餐」 4月6日 午後7時
キリストの聖体制定を記念するこの夕べ、ミサの中で洗足式が行われた。キリストが弟子たちの足を洗い、「仕える者」の模範を示された姿に因むもので、長崎神父が6人の信徒の足を洗われた。

拝領祈願の後、ご聖体は司祭館の仮安置所に移され、祭壇上の全てが取り除かれた。 “聖週間の典礼と行事” の続きを読む