キリスト教との出会い
使徒ヨハネ Z・R

私は七月十二日に受洗しました。なぜ私が洗礼を受けるつもりになったのか、その理由をお話しようと思います。

私は入信するにあたって、もちろんパウロのような電撃的な回心を体験したわけではありません。

些細なきっかけらしきものがいくつかあって、それらが重なり合いながら、私を受洗に導いたのだろうと今振り返って思います。

それらの動機の一つは外的なものでした。

私の家族全員が、つまり妻と子供たちがすでに入信して信仰の内におり、私だけがまだ信仰の外にいたという事実です。

信仰は、人が生きていくうえで何を尊いものと考えるか、という価値観へじかに通じています。

人生の終盤を迎える時に、私も家族と同じ価値観のもとで生きたいと――しかし信仰は共有できるものではないと承知しつつ――願ったこと、それが卑近な理由としてありました。
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使徒ヨハネ Z・R” の
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聖堂に除菌・抗菌システム導入

10月12日(日)11時半ミサ後の12時30分からコロナウイルス感染予防対策として、聖堂内にバイオプロテクト CTシステムが導入されました。

このシステムは、うみのほし幼稚園に3ヶ月前に既に導入されているもので、費用を抑えるために幼稚園での更新時に合わせての施工となりました。

教会では15時からもミサが行われるため、幼稚園での作業を中断して12時30分から15時の間に作業をして頂きました。

このバイオプロテクトを素材表面にスプレーすると、オルガノシラン化合物の働きにより対象物に固着します。

乾燥後は素材表面に微細なトゲ状のスパイクを形成します。

このスパイクにより、ウイルスや細菌を物理的かつ電気的な刺激により破壊し、死滅させる効果を発揮します。

化学的に微生物を死滅させる他の殺菌剤や抗菌剤と異なり、これは物理的に死滅させるので、薬剤耐性菌を発生させることがありません。 “聖堂に除菌・抗菌システム導入” の続きを読む

「枚」の字を持つキリシタン大名
ジョアン 津軽信枚(つがるのぶひら)

「枚方」を正確にヒラカタと呼んでくれる人は、大阪を離れると滅多におられない。大抵はマイカタかマキカタである。

しかし、この字をヒラと読ませるれっきとした大名がいたのである。

桜のシーズンになるといつも名の挙がる青森県の弘前城、その城を創建したのが津軽藩主の津軽信枚である。

信枚は11歳のときに洗礼を受けたキリシタン大名であった。

「枚」をヒラと読むのは、昔は今よりもっとポピュラーだったのかも知れない。キリシタン時代を偲びながら信枚の事績を辿ってみよう。

1590年に豊臣秀吉によって津軽に封ぜられた津軽為信(信枚の父)が大坂を訪れた時、イルマン・ヴィンセンテからキリスト教の話を聞いた。

その時すでに秀吉によってキリスト教は禁じられていたが、それでも京都や大坂ではオルガンティノ神父はじめ数人のイルマンたちが活発な宣教を行っていて、武家の間でも信者は増えつつあったのである。

為信は教理を聞いて受洗の決心を固めていたが、急いで津軽に帰らなければならなかったため、自分の決心のしるしとして、その時11歳であった三男の信枚を大坂に残し、キリスト教の勉強をするようにと命じた。

少年信枚は熱心に勉強して教理に精通するようになり、1596年に洗礼を受け、ジョアンと呼ばれた。 “「枚」の字を持つキリシタン大名
ジョアン 津軽信枚(つがるのぶひら)” の
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聖アントニオ・マリア・クラレット司教記念ミサ

10月24日(土)10時から、クラレチアン宣教会の創立者である聖アントニオ・マリア・クラレット大司教の帰天された日を記念するミサが、長崎神父、フリオ神父、フラデラ神父により執り行われました。

ミサには当教会の「クラレット信徒運動の会」メンバーを中心に約30名が参加されました。

例年であればミサ後に集会の家で茶話会が行われるのですが、今回はコロナウィルスの関係で中止となりました。

クラレットの偉大な業績を讃えると共に、クラレットの生き方を少しでも倣うことができますように祈ります。

敬老の日のお祝い
ー 総務委員会ー

例年9月に行われている敬老の集いが中止となり、満75歳以上の方にお祝いカードを贈ることになりました。

イエス様の御絵のカードに長崎神父から「まさきくませ」の言葉とメッセージ、婦人会からは感謝と健康を祈るクジャクのように華やかな折り鶴をセットしプレゼントされました。
  
9月6日、13日の各ミサの後、集会の家の前で長崎神父が一人一人に声をかけて渡されました。

ミサに来られなかった方には敬老の日に間に合うように郵便と、ご近所の信徒により届けられました。    

受洗おめでとうございます

7月12日(日)18時から、延期されていた洗礼式が長崎神父とフリオ神父により執り行われた。

ご家族とその関係者に見守られての、厳かな素晴らしい洗礼式だった。

イエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた聖書個所が長崎神父により朗読されて「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と告げられた父である神の声が、自分に対しても告げられているとかみしめて頂きたいと話され、また信者になられた皆様は、ご家族にとっても教会にとっても喜ばしいことと激励された。

聖母被昇天と死者追悼ミサ
-壮年会-

先ず、この状況下でも聖母被昇天と死者追悼ミサが行われた事に感謝します。

6月のミサ再開後、お互いの接触を少なくするため、毎年対面でしている追悼ミサの申込を今年は案内と封筒をセットにし、2千円を封筒に入れて献金箱に入れて頂くようにしました。

ミサに来られない方も多い事から、どれ程の申込があるか不安でしたが、最終126件の申込がありました。

当日は翌日の主日のミサがあるにも関わらず、神父様方に3回のミサを行って頂き、密にならぬよう無事終える事が出来ました。(S・S)

平和旬間の取り組み
-社会活動委員会-

今年の平和旬間はコロナにより北地区の合同行事は中止、各小教区での活動となり、祈りを深める良い機会になりました。

枚方教会は8月6日のミサで平和旬間の祈りを開始し、8月9日(日)には、国連難民高等弁務官として人間の安全保障を打ち出された緒方貞子さんのDVD「すべての人々に尊厳を・・緒方貞子が遺したもの」を視聴、四十数人が参加されました。

カトリック信者である緒方さんの現場からの言葉「見てしまったからには、何かをしないとならないでしょう?できることから始めよう。」この緒方さんの思いがいろいろな形で拡がることを祈願します。(O・I)

丁寧に生き、丁寧に死ぬように
-コロナの時代に自分と向き合う為のひと時-
クラレチアン宣教会 フリオ神父

毎日、セミの声が聞こえ、真夏を輝かせる太陽が続いています。

枚方教会の皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

気温の上昇と共に、マメに水分補給をして、自己管理に努めながら、感染リスクを減らし健やかに過ごされていることを願っています。

さて、9月の巻頭言の担当に当たりまして、新型コロナウイルスのこの時代に、お気に入りの神学者ヘンリー・ナウエン「今日のパン、明日の糧」の本から一つの記事を参考にして、「丁寧に生き、丁寧に死ぬように」について、共に振り返ってみたいと思います。

私たちはみな、何らかの原因でいつの日かこの世を去ります。

死は、私たちが確かなこととして知っている数少ないものの一つですが、本当に丁寧に死ぬことができるでしょうか。

それは、あまり確かではありません。

しかし、私にとって、「丁寧に死ぬ」とは、先ず、「丁寧に生き」、そして他の人々のために命を懸けて死ぬこと、後に残る人々に対して、私たちの生涯を実りあるものとすることだと思います。

したがって、重要な問いは、「残りの年数で何がまだできるか」ではなく、「私の後に続く世代の人々の間で、私の人生が、実をもたらし続けるために、どのような生活や生き方を送り自分の死を準備するか」ということでしょう。

つまり、何よりも先ず、人の為に「丁寧に生きる」ことですね。

主イエス・キリストは、良く死ぬことができたと思います。

というのもその死によって、イエス様は、「愛の霊」をご自分の弟子たちに送られたからです。

イエス様の弟子たちは、聖霊によって、よりよい生涯を送ることができました。

私たちが、家族や友人たちから離れる時、「愛の霊」を送ることができるでしょうか。

それとも私たちは、まだ何ができるかを思い込み心配しているでしょうか。

もし丁寧に死ぬための準備をするつもりなら、「死」は、私たちの最も素晴しい贈り物となるでしょう。

親愛なる皆さん、いつくしみ深い神の命に生かされていることに気付き、実り豊かな日々を送り続けることができますように。

アーメン