キリスト教との出会い
三位一体のエリザベートF・C

5歳頃までよく泊まりに行っていた祖父母の家で、「旧約聖書物語」を読み聞かせてもらったり、マリア様の御絵をいただいたりしたのが始まりでした。

祖母の実家には立派なパイプオルガンがあったのでクリスマスには教会の皆が集まり礼拝をしていたというのですから、曾祖父母はおそらくプロテスタントだったと思われます。

お墓にも十字架がついています。

そんな曾祖父が祖母のために選んだ学校はカトリックの学校でした。

祖母は殉教者ゲオルギオのフランシスコ修道会の寄宿舎で大学に入るまでの一二年間を、終末以外はドイツ人シスターとともに過ごしたそうです。

ただ神道の家の跡継ぎに決められていたため洗礼は許されませんでした。

母も聖母被昇天修道会の中学校で過ごしたにもかかわらず神道のままでした。

それでも母も私自身も思い悩むと聖書を読み、その中の御言葉にいくどとなく助けられてきました。

大学院を出て結婚をしたのですが結婚式当日に発覚したとんでもない嘘の数々によって継続困難な婚姻生活にどう終止符を打つか悩んでいる最中のことでした。

ちょうどその時ウィーン国立音大の講習会のためにウィーンに滞在していました。

カプツィーナ霊廟を訪ね聖堂でお祈りをしていたときに、一人の修道士に話しかけられました。 “キリスト教との出会い
三位一体のエリザベートF・C” の
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「クラレット信徒運動の会」へのお誘い

枚方教会を司牧するクラレチアン宣教会の創立者聖アントニオ・マリア・クラレットは幼少のころから信仰が篤く、少年時代から父親の紡績工場を手伝っていましたが、福音宣教への想いを捨てがたく司祭となりました。

そのクラレットの福音宣教者としての信念は、「神の愛に燃えた宣教者はいかなる困難にもめげず、貧しさにおいても満足し、みずから労苦を担い、犠牲を抱擁し,中傷の中にあっても喜んでいる。いつも神のみ栄の為に、また人々の救いの為に、イエス・キリストにならってどのように働き苦しみ、努力するのみを考えている」という、聖クラレットによって描かれた宣教師の理によく表れています。

彼はこの宣言通り、あらゆる方法を探り、そして疲れを知らずに村から村へとみことばを宣べ伝えました。

名誉や昇格を望まなかった彼の思いに反して、キューバの大司教、スペインのイザベル女王の贖罪司祭としてカトリック教会の位階の上層まで登りましたが、本人はあくまでも人々の間で福音を宣べ伝えることに自らのカリスマを自覚していたようです。

このクラレットの精神を信徒の立場で生きようとするのがクラレット信徒運動の会です。 “「クラレット信徒運動の会」へのお誘い” の続きを読む

祈りの中での出会い ロザリアH・M

今回グァダルペの原稿依頼を受けて、何を書いたらいいかとても悩みました。

神様と出会い、導かれて洗礼を受けたという経験がないので、難しいのですが、私なりの神様との出会いを書かせていただきます。

私は、神奈川県横須賀市の病院で、カトリック信者の両親のもとに生まれました。

幼児はいつでも洗礼を受けることが出来たので、退院した日に併設する修道院の聖堂で洗礼を受けました。

母はよく祈る人でした。

うれしい時、悲しい時、困った時、探し物も祈りながらするほどでした。(母曰く、必ず見つかると言っていました。)

そんな環境で育ったので、物心ついた時から神様は身近な存在でした。

特に、祈りの時に、神様を感じることが出来ました。

私の一番古い祈りの記憶は、幼い頃、家の祭壇のろうそくに火をともし、部屋の明かりを消して、家族全員で祈る、夜の祈りの場面です。

とても静かで、神様に温かく包まれているようでした。

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教会との出会い
幼きイエスのテレジア S・S

私が初めて教会を訪れたのは小学校2年生のクリスマスのことでした。

その前年に妹が亡くなり、母は心を病んで自分を責めて泣いてばかりいました。

時々、幼い弟だけを連れて一日家を空ける日が何度もありました。

死んだ人が乗り移るという人の所へ通っていたそうです。

そんな日は、私は一人で、ただ母の帰りを待っていました。

あのクリスマスの日も私は一人ぼっちでした。

子供達がサンタさんの話をする輪から離れてポツンとしていると、近所のおばあさんが声をかけてくださいました。

私が悪い子だから、昨年からサンタさんが来ないと言うと、教会にサンタさんが来るから会いにいこうと誘ってくださいました。

母が許可したと嘘をついて、私は初めて教会という所に行きました。

温かい灯が、小さな弱い私を優しく包み込んでくれました。

今でも目を閉じると鮮やかに蘇るその灯は、私の信仰の原点であったように思います。

子供達の劇を見て、涙があふれでてきました。

あの赤ん坊は皆にあんなに愛されているのに、自分は誰からも必要とされていないように思えたのです。

おばあさんが私の頭をなでて「さとちゃんはえらいね。いっぱい我慢しているものね」と言ってくださった瞬間、私は「嘘をついて、ごめんなさい」「おかあさん、おかあさん」と声をあげて泣いてしまいました。

おばあさんに連れられて帰宅すると、私を心配して近所中大騒ぎになっていました。

母が走りよってきて、私を痛いほど強く抱きしめてくれました。

サンタさんに会う前に教会を急いで出たし、やっぱりプレゼントは届かなかったけれど、私が欲しかった本当に大切なただ一つのものは、最初からいつもそばにあったのです。
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幼きイエスのテレジア S・S” の
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レジオ・マリエの紹介

★レジオ・マリエの由来

レジオ・マリエは今から約90年前、アイルランドのダブリンで始められました。

昼間に働いていた若者達が、聖母のご像を囲んでロザリオを繰り、この世で神から愛されるにはどうすればいいかと話し合った、そんな単純な集まりから始まったのです。

★レジオ・マリエとは

レジオとは軍団という意味です。聖母マリアの軍団です。

現代世界憲章の第1部第1章には、人間の生活が善と悪、光と闇の劇的な戦いの様相を呈しており、その解放には主だけが人間を内部から解放されることを明記しております。

この主の霊的な戦いに第一に強く親しく参与されているのが聖母マリアです。そしてその聖母の総指揮のもとに召されたレジオ・マリエ会員は、霊的な戦いのために召された兵士といわれています。

★レジオ会員の活動

レジオは第一に会員の霊性の向上を目的としていますが、教会公認の信徒使徒職の共同体ですから、主任司祭と指導司祭の意向に従って教会のいろいろな活動に奉仕します。

枚方教会には二つのレジオがあります。

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平和旬間の取り組み 社会活動委員会

今年の平和旬間行事は、コロナの関係で中止になりましたが、ペシャワール会の活動をDVD視聴を通じて取り上げる予定でした。

その目的を知っていただきたいと思います。

ペシャワール会中村哲さんのアフガニスタンでの仕事は平和活動を目的にしたものではなく、それを平和旬間で取り上げることに違和感を持たれる方もあったかもしれません。

ペシャワール会の活動は、大げさなスローガンを掲げるのではなく、人としての素朴な思いから始まりました。

人々が普通に生きられるように衛生状態の改善から取り掛かるという医師の立場からなされたのです。

先ず水の確保、農地を回復させれば生活が出来、人々のコミュニティーが復活します。

戦争に行きたい人などいません。

皆、喜んで農民になります。

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各委員会活動の紹介と会員募集
-教会は私たちの家、皆さんの援助を必要としています-

枚方教会はこれまで多くの方の善意の協力のもと歩んできました。

聖パウロは、『コリントの教会への第一の手紙』十二章の中で教会を手や足をはじめ、様々な部分からなるひとつの体にたとえています。

枚方教会も以下に紹介するように様々な委員会や活動があり、それらによって枚方教会というひとつの体をつくっているのです。

しかしながら、近年では社会同様に枚方教会でも少子・高齢化が進んでいます。

今まで教会活動を支えてくださった方々には心より感謝の気持ちをお伝えしたいと思いますが、ここに枚方教会の明るい将来のために「自分にも何かできることは…」と思ってくださる若い世代の方(自分はまだ若いとお思いの方)の御協力をお願いする次第です。

特にここ十年以内に洗礼を受けられた方や他教会から転入して来られた方で、まだ委員会に入られていない方は、おためしとしていずれかの委員会や活動の扉を叩いて、自分に合った委員会や活動を探してみることをお勧めいたします。

信仰生活は祈りと活動の両輪によって一層豊かで実りあるものとなります。

(主任司祭  長崎壮)

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-教会は私たちの家、皆さんの援助を必要としています-” の
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『ささやかな日々の中で出会った目には見えない大切なモノ』
マリアイレーヌ F・Y

復活祭が終わった夜の御聖堂に静けさが戻る中で受洗者の記念撮影が行われました。

私は祭儀の余韻を感じながら緊張の解けない気持ちのまま撮影に臨み、その後、帰路につきました。

4月とは思えない暖かな夜風に吹かれながら、神様への感謝と共に、この日のためにご準備下さった方々、祭儀を執り行って下さった神父様はじめ多くの方々への感謝の想いが込み上げました。

皆様、ほんとうにありがとうございました。

3月末から4月にかけてコロナウィルスの感染拡大が目を疑うような数字となって現れ、私は言いようのない不安を覚え、日々の行動にも「これでいいのか?」と自問を繰り返していました。

連日、絶えることなく報じられるコロナ関連のニュースは、感染者数だけではなく世界の惨状が戦場のように映し出されて心が痛みました。

大切な人の感染、更には突然の別れ・・・。

世界で毎日1万人を超える人々が亡くなっている現実を知れば知るほど、「私がこの世界に生きること」「出会う人たち」「出来事」、その『一つ一つが奇跡』であると感じるようになりました。 “『ささやかな日々の中で出会った目には見えない大切なモノ』
マリアイレーヌ F・Y” の
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神様との出会い
ヨセフS・S・M
マリアガブリエラN・K

私はイラン出身でS・S・Mと申します。

現在57歳で、家族と共に日々生活を送っています。

私はイスラム教の家に生まれ、学校でもイスラム教の授業があって勉強しました。

しかし幼い頃から近所のクリスチャンの人と付き合いがあって、教会やクリスマスパーティーなどに連れて行ってもらう事がありました。

その頃から、クリスチャンとしての興味を持っていました。

そして今から26年前、アメリカ人の友達のお蔭でキリスト教との出会いがありました。

その時その友達は私の誕生日のプレゼントとして、「GOD  CALLING」という聖書の言葉を集めた本を贈ってくれました。

この本をいつも読んで心の中に明るい光を感じ、だんだん言葉を理解しながら信じて、自分が一人のクリスチャンとして勉強を始めました。

しかし中々、洗礼の機会がありませんでした。 “神様との出会い
ヨセフS・S・M
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「右近と歩む会」
右近の霊性に学び列聖運動を推進する


2月6日(土)玉造のカテドラルで一つの催しが行われる筈だった。

コロナで中止になったが、「ユスト高山右近列聖祈願のつどい」だ。

主催は大阪教区で、教区列聖推進委員会(委員長春名神父)と「右近と歩む会」が協力、前田大司教司式の列聖祈願ミサ、塩見弘子さんの講演その他充実のプログラブが予定されていた。

「右近クラブ」の活躍右近列福運動の頃は「右近クラブ」という信徒の集まりがあって活発な活動を行っていた。

2015年2月3日に神戸文化ホールで行われた「神のしもべユスト高山右近帰天400年記念ミサ」の準備運営には大きく携わり、また2017年2月7日の列福式においても準備運営に大きな役割を果たした。

右近の列聖推進列福式が済むと熱意が急速にしぼみ、「右近クラブ」の会員数も急減。列福に続いて列聖が目標にあるのだが、担当の大阪教区としては教区組織として列聖推進委員会を持ったものの、意識の向上はなかなか進まなかった。 “「右近と歩む会」
右近の霊性に学び列聖運動を推進する” の
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