メキシコ ザベリオ宣教会 イルヴィン神父

枚方教会の皆様、初めまして。わたしはザベリオ宣教会のイルヴィン・グティエレスと申します。

1988年9月13日にメキシコ共和国グアナファト州レオン市で生まれました。

わたしが長男で、弟が2人います。次男はイヴァン、末っ子はイサック。

イヴァンはエンジニアで、近くにあるアグアスカリエンテス市で働いています。

イサックの方は設計士で、レオン市に暮らしています。

両親ともにみんなが仲良くて、本当に良い家族に恵まれて感謝しています。

わたしは小さい頃からミサに与るのが大好きでした。

なぜかと言うと、主任司祭は信者さん一人ひとりを温かく迎え、とても親切な神父でした。

そのような神父様に憧れて神学校に入ろうと考え始めました。 “メキシコ ザベリオ宣教会 イルヴィン神父” の続きを読む

原罪から解かれたけれど
梅﨑隆一神父

教会の教えでは、人は洗礼の後、原罪から解かれるとあります。

ですからキリスト者は人生のある時からマリア様のように、無原罪になります。

それなのに、教会の中に罪が散見されるのは何故なのか。

原罪の原因はアダムとエバが、「(善悪の知識の木の実を)取って食べるな」という神様の声ではなく、「食べれば神のようになれる」という、この世で作られた最も賢い存在の声に聴き従ったこと。

また神の言葉をないがしろにするという罪を犯したのに、その罪を認めなかったためです。

こうして原罪がアダムとエバから生まれた全ての人に影響を与えています。 “原罪から解かれたけれど
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夏が来れば思い出す♪
主任司祭 竹延真治

「遥かな尾瀬」ではなく、近くのレジデンスでのことを。

東京の神学校に入学した最初の夏休み、わたしはクラレチアン会が担当する教会ではなく、枚方のクラレチアン・レジデンスを帰省先に選んだ。

デ・グランデス神父というアルゼンチン出身の巨体の老神父が一人いる修道院なら、小教区とちがって信者さんは誰もいないので、そこでゆっくり勉強ができるぞ、と思ったからだ。

神学校で使っている教科書や参考図書を段ボールに詰めて東京からレジデンスに送った。

レジデンスに荷物が届き、玄関先でそれを開いていると、デ・グランデス神父が近づいてきて言った。

「竹延、おまえはアホか。夏休みに勉強しようと思てるのか。夏休みは休む時じゃ。勉強なんかするな!」と。 “夏が来れば思い出す♪
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永遠の息吹 梅﨑隆一神父

司祭になったら、少なくとも毎週日曜日は子どもと遊び、一日が終わるという人生を過ごす予定でした。

しかし現在、数か月間子どもと関われないのが当たり前の日々を過ごしています。

毎週日曜日、少なくともミサの中で「どんな人も神に似せて造られ、一人ひとりは価値ある存在です」と教えてもらえるのに、月曜日から土曜日の間「沢山の人が羨むような価値を手に入れている者だけが価値ある人間である」と教えられる。

子どもの頃からそのようなジレンマを感じていたから、少なくとも週に一回、教会が本来の人間らしさを取り戻せる場所になればと思っています。

そして子どもたちは、大人に囲まれて、お友達と楽しく過ごせるだけで良いのではないかと思います。
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わたしのふるさと 竹延真治神父 

表題のテーマで原稿依頼を受けたものの、締切日を迎えて思考がストップしてしまいました。

以前、「河内のクリスマス」という題で大阪刑務所の受刑者向けに書いた文章をそのまま再掲させていただきます。

わたしの実家は河内平野のど真ん中で養豚業とアヒル屋を営んでいた。

大雨になると家も豚舎も水に浸かるような環境や、粗野な河内弁を話す人々の中にあって、わたしの母とその子供たちだけがクリスチャンであることにずいぶんと違和感を持って育ってきた。

クリスマスというのはテレビドラマに出てくるようなもっと上品でハイカラな人々が祝うものだというイメージがあった。

「豚やアヒル(合鴨)がそばにいたり、住む家がすぐ水に浸かったり、河内弁が飛び交うようなところにはキリスト教は向かないのだ。河内にはクリスマスは似合わない!」とわたしは思い込んでいた。

ところが、十数年前にある牧師さんの講演を聴いて、河内地方がキリシタンの聖地であることを知りびっくり仰天した。 “わたしのふるさと 竹延真治神父 ” の続きを読む

更生の道
主任司祭 竹延真治

まだ枚方レジデンスに住んでいたころ、クラレチアン会の会議に参加される外国人の神父様を車で関西空港まで出迎えにいったことがある。

夜の飛行機で関空に到着したその神父様は、握手だけでなくハグまでし、親愛の情を示してくれた。

助手席に乗った彼は、緊張するわたしを和ませるかのように英語で話しかけてきたが、語学が不得手なわたしは早くこのお客様をレジデンスに送り届け、自室で一人になりたいとアクセルを踏んで帰路を急いだ。

途中、頭上で何かが赤く光ったことは覚えている。

そのすぐ後、転勤があり、今市教会に引っ越した。

まもなく、これこれのナンバーの車を何月何日の何時頃運転していた者は旭警察署に出頭するようにとの通知が旭区にあるクラレチアン会本部に届いた。

指定日時に交通課に行ったら、おまわりさんがわたしの顔と車のナンバーが写った写真を見せてくれた。

阪神高速を52キロオーバーで走行したとのことで赤切符を切られ、罰金八万円の略式命令と三カ月間の免許停止処分が言い渡された。 “更生の道
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長崎神父しろきたBへ

4月16日(日)のミサを最後に長崎神父が枚方教会からしろきたBに異動されました。

ミサ後に花束と記念品が贈呈され、赤川さんからお礼の言葉が述べられて全員の拍手で感謝の気持ちを伝えました。

不幸の乗り越え方
クラレチアン宣教会 梅﨑隆一

コロナ禍の状態が四年目に入り、ウクライナでの戦争は一年が過ぎ、トルコでの地震で沢山の方が被災されました。

悲しいニュースが遠く離れたものであったとしても、日常の生活を送っている私たち、また子どもたちの心にも大きな影を落としています。

こうして私たちは人が永遠に生きられることがないことを、見せつけられています。

哲学者梅原猛は青年時代、第二次世界大戦中、人生が短いものであると覚悟していた。

そして死を見つめる実存哲学を深めたが、やがてその考えに不満を感じる。

(実存主義には)「二羽の小鳥が、寒い夜に、互いに羽を寄せて、暖めあうような、そんな心がたりないのである。二羽の小鳥が羽を寄せ合って寝るその一瞬に、しばし、死のことを忘れてもどうしてそれが悪いのか、その哲学は、人をあまり冷たい目で見すぎている。」(梅原猛著『学問のすすめ』)

そこから彼は「闇のパトス」という論文を書き、死の哲学から解放され、不安や絶望に変えて笑いを根源的な人間の感情と考え、研究を始めます。 “不幸の乗り越え方
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ふるさと前橋追懐
長崎壮神父

上毛三山のひとつ赤城山の裾野がゆるやかに展けたところに私のふるさと前橋の街は広がります。

群馬県は県の西部に富岡製糸場、東には絹織物で有名な桐生市がありますが、県庁所在地の前橋市も明治のはじめから製糸業で栄えた町で、私が中学を卒業する頃までは街にはまだ製糸工場が残っていました。

生家は前橋市の中心部、近くには詩人萩原朔太郎が「広瀬川白く流れたり」と謳った広瀬川が流れ、その河畔には前橋文学館や美術館があります。

前橋は朔太郎のほかにも伊藤信吉をはじめとする幾人かの詩人のふるさとでもあり、蛙の詩人・草野心平も新聞記者としてこの地に住んでいました。

幼稚園から中学校まで群馬大学附属に通いましたが附属小は制服制帽。

赤城おろしのからっ風の厳しい冬でも半ズボンで、太腿の内側は擦れて痛く私服で通う市立の子たちが羨ましかった。

長兄や当時の人気漫画ドカベンの影響もあって野球好きになりましたが、附属小には少年野球チームはなく、市立の小学校の子供ばかりから成るチームに入れてもらい日暮れまで大声を出して野球に打ち込んだことを懐かしく思い出します。 “ふるさと前橋追懐
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馬小屋の聖家族を見つめて
主任司祭 長崎 壮

長崎神父写真

枚方教会の皆さん、主のご降誕とともに新年の喜びを申し上げます。

主イエス・キリストの誕生をともに祝った降誕祭から教会の暦では降誕節が始まります。

その降誕節には「聖家族」や「神の母聖マリア」、そして「御公現」といった祝日があり、教会の一年の暦の中でも一番家庭的で温かな雰囲気に包まれます。

皆さんも年末年始は帰省などにより普段会えない家族で過ごす機会も増えることでしょう。

そのような家庭的な雰囲気の中にいる皆さんは、馬小屋の情景、そして幼子イエスの無垢な姿から今年あらたに心を動かされるような体験がありましたでしょうか?

毎年暦通りに繰り返される馬小屋への黙想は、ともすれば見飽きた映画やドラマのようにマンネリ化してしまいがちですが、私たちがそこから新たなインスピレーションを受け、年毎に幼子イエスへの親しみが増すとともに、家庭を守るマリアとヨセフの姿に倣い、愛において豊かになっていくことができればと願っています。

この馬小屋の幼子イエスと聖家族について、静養のためクラレチアンレジデンスに移られたフラデラ神父様は特別の思いを持たれていたようです。

経年劣化のため、ところどころ塗料が剥がれた枚方教会のマリアとヨセフを憐れに思われたようで、「枚方教会のマリア様とヨセフ様は関西医大で治療を受けられた方がよい」とおっしゃられ、聖堂の幼子イエスをくるむ布が薄いのを見られると、「イエス様が寒そうで可哀想だ。もっと温かそうなものを」と嘆かれていました。 “馬小屋の聖家族を見つめて
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