三ヶ月にわたるスペイン研修での最初の滞在先、ヴィックの街は様変わりしていました。六年前に初めて訪れた時にはあまり見かけることのなかったアフリカからの移住者が増え、日曜日に目抜き通りで開かれる市場の露店主も約半数がアフリカ出身のムスリムの経営者のようでした。 “外国人になる 長崎壮神父” の続きを読む
聖母の被昇天 フラデラ神父
8月15日は聖母の被昇天の祝日。1950年にピオ十二世教皇は、聖母が霊肉共に天に上げられたことを教義として宣言されました。この祝日の集会祈願には次の言葉があります。「全能永遠の神よ、あなたは、御ひとり子の母、汚れないおとめマリアを、からだも魂も、ともに天の栄光に上げられました。信じる民がいつも天の国を求め、聖母と共に永遠の喜びに入ることができますように。」 “聖母の被昇天 フラデラ神父” の続きを読む
相応しい信者への成長の秘訣 主任司祭 シスネロス・ハイメ
考え方により自分を成長させ得ることを知ったアントニ・デ・メロ神父の著書を読んで感じました。ある有名なラビ(先生)が大勢の弟子を熱心に指導していたときのことで、弟子たちは、その指導を受ける際、ありのままの自己評価を述べる中で、適切なアドバイスを受けるのでした。
ある日、一人の弟子が『自分の限界』を嘆いて先生の指示を待っていました。『確かに君は限界を感じているが、約15年前に、無理だったことが今出来るようになった。どうしましたか』とラビは訊ねた。『わたしの才能が変りました』と弟子が答えると、ラビは『いいえ。あなた自身に変化があったのです。』『同じことです』と弟子が言ったのに対してラビは次のように教えました。 “相応しい信者への成長の秘訣 主任司祭 シスネロス・ハイメ” の続きを読む
『イエスのみ心』の月 日々のことばでイエスの愛を深めよう 主任司祭 シスネロス・ハイメ
有名な人なら、その人の日々のことばの書物を誰でも興味深く読みます。カトリック教会は毎日のように、イエスの福音を伝えて、信者の心の隙間にある渇きを満たすのです。
6月は、大自然の観点からみれば、春が終わり夏が始まる時でもあります。典礼的な側面の豊かな月です。例えば、六月はイエスのみ心の月と呼ばれるだけではなく、イエスのみ心の祭日は六月に当たります。その祝いはキリストの聖体の祭日の次の金曜日と定めています。 “『イエスのみ心』の月 日々のことばでイエスの愛を深めよう 主任司祭 シスネロス・ハイメ” の続きを読む
救い主の母マリアと共に祈る フラデラ神父
マリアは神の永遠のご計画によって他の人より先に救われた方です。
世を救おうと望んでおられた神と密接に協力した方です。福音が神から来るものと信じ、救い主は母マリアが承諾した上でこの世に遣わされました。
恵みに満たされ、神と共に生き、神の仰せのとおりに身を任せました。
聖母マリアは、神の特別な計らいによって、悪の全ての影響から守られています。 “救い主の母マリアと共に祈る フラデラ神父” の続きを読む
主イエスの受難と復活を祝って 主任司祭ハイメ・シスネロス
教会は、復活祭を迎える前に、聖週間と過越の聖なる三日間の典礼を捧げます。それはキリストの生涯の主な出来事を記念し、キリストの救いの恵みに与ります。年に一度しかない大切な典礼であって、今年も新たな感動を覚えさせる恵みに出会いたいと思います。 “主イエスの受難と復活を祝って 主任司祭ハイメ・シスネロス” の続きを読む
ファチマで沐浴 長崎壮神父
昨年12月12日、枚方教会の保護聖人であるグァダルーペの聖母の記念日にポルトガルのファチマに聖地巡礼に行ってきました。実は前の週に五日間、インドネシアに会議のために滞在していました。温暖なインドネシアから枚方修道院へとひとまずきびすを返し、その2日後に寒い冬のヨーロッパに行くことを思うと体力的にも厳しく正直なところ気乗りがしませんでした。 “ファチマで沐浴 長崎壮神父” の続きを読む
輝かしい永遠の光を受け取ろう フラデラ神父
2月2日は「主の奉献」の祝日です。聖母マリアが幼子イエスを腕に抱いてエルサレムの神殿に行き、神にささげられたことを祝います。ルカ福音書によれば、その時エルサレムにいた信仰厚いシメオンが、イエスを抱き神を讃えて言いました。「わたしはこの目であなたの救いを見ました。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(ルカ2章30~32) “輝かしい永遠の光を受け取ろう フラデラ神父” の続きを読む
主のご降誕と新年のお慶びを申し上げます 主任司祭ハイメ・シスネロス
『新年に新しい決心』との諺があります。どこでも誰でも、期待しながら何かに取り組みますが、わたしはこの際、二つの言葉を思い出しました。1つは、『精一杯生きる日がもう一日与えられているとは、なんと幸いなことだろう』。(心の歌、アントニー・デ・メロ著より)。もう一つは、『愛する人たち、このことだけは忘れないで欲しい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。』(ペトロの手紙2:3-8) “主のご降誕と新年のお慶びを申し上げます 主任司祭ハイメ・シスネロス” の続きを読む
いつくしみいつまでも 長崎 壮神父
めぐみ深い神のいつくしみの特別聖年が幕を下ろしました。この一年間、教皇フランシスコは折に触れて神様のいつくしみのさまざまな側面についてお話をされてきましたが、 神様のいつくしみの姿として私の心に深く染み透ったのは私たちひとりひとりを探し出してくださる姿でした。
特別聖年の間、主日の福音ではルカ福音書が読まれ、その中で「放蕩息子のたとえ」や「見失った羊のたとえ」といった、 見失ったものを見つけて喜ぶ神様の心を表すたとえをあらたな心で読み返し黙想する機会が与えられたこともありますが、 それとともに忘れかけていた家族とのごく小さな出来事を鮮明に思い出す恵みをいただけたことも一助となりました。 “いつくしみいつまでも 長崎 壮神父” の続きを読む