「常識。それ本当?」 ーカトリック枚方教会信徒ー 河北朝祷会より (2017.9.14 第203回)

今日、お話しするのは、教会は外の世界が求めるものに通じる言葉をもっているだろうかということです。今、社会活動委員会にいます。主に平和運動、学び、福島原発やフィリピンのストリートチルドレン、あるいはアフガンのペシャワール会の平和的国際貢献の支援、釜ヶ崎の手伝いなど、 社会の福音化、教会の本来の活動の旗振りです。その他に教会の人達が、それぞれのあり方で必要な人の相手をしています。 “「常識。それ本当?」 ーカトリック枚方教会信徒ー 河北朝祷会より (2017.9.14 第203回)” の続きを読む

外国人になる 長崎壮神父

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三ヶ月にわたるスペイン研修での最初の滞在先、ヴィックの街は様変わりしていました。六年前に初めて訪れた時にはあまり見かけることのなかったアフリカからの移住者が増え、日曜日に目抜き通りで開かれる市場の露店主も約半数がアフリカ出身のムスリムの経営者のようでした。 “外国人になる 長崎壮神父” の続きを読む

聖母の被昇天 フラデラ神父

フラデラ神父

8月15日は聖母の被昇天の祝日。1950年にピオ十二世教皇は、聖母が霊肉共に天に上げられたことを教義として宣言されました。この祝日の集会祈願には次の言葉があります。「全能永遠の神よ、あなたは、御ひとり子の母、汚れないおとめマリアを、からだも魂も、ともに天の栄光に上げられました。信じる民がいつも天の国を求め、聖母と共に永遠の喜びに入ることができますように。」 “聖母の被昇天 フラデラ神父” の続きを読む

サムエル記上1章21~28節  ー森小路教会ー 河北朝祷会より (2017.7.13 第202回)

預言者サムエルはイスラエルの歴史において大きな役割を果たした神の人であります。 しかし、少年サムエルが祭司エリのもとで主に仕えていた時は、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれでありました(3・1)。なぜなら、聖なる神様を汚す人間の堕落した行為があったからでした。それにもかかわらず、神様はご自身の業を成すために、人を選び、私たち人間の世界を導いてくださったのです。 “サムエル記上1章21~28節  ー森小路教会ー 河北朝祷会より (2017.7.13 第202回)” の続きを読む

相応しい信者への成長の秘訣  主任司祭 シスネロス・ハイメ

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考え方により自分を成長させ得ることを知ったアントニ・デ・メロ神父の著書を読んで感じました。ある有名なラビ(先生)が大勢の弟子を熱心に指導していたときのことで、弟子たちは、その指導を受ける際、ありのままの自己評価を述べる中で、適切なアドバイスを受けるのでした。

ある日、一人の弟子が『自分の限界』を嘆いて先生の指示を待っていました。『確かに君は限界を感じているが、約15年前に、無理だったことが今出来るようになった。どうしましたか』とラビは訊ねた。『わたしの才能が変りました』と弟子が答えると、ラビは『いいえ。あなた自身に変化があったのです。』『同じことです』と弟子が言ったのに対してラビは次のように教えました。 “相応しい信者への成長の秘訣  主任司祭 シスネロス・ハイメ” の続きを読む

信徒の召命と使命 ーカトリック枚方教会信徒 P.Kー 河北朝祷会より (2017.6.8 第201回)

「沈黙」の映画、高山右近の列福にあたって、いく人かの信者が、心配や失望の気持ちで、「キリスト教はこの国に何の有益をもたらしたか?なぜキリスト教徒は最初と比べて、成長しないか?」と自問しました。

この危機の時に、大切なことはキリスト教の起源に返ることです。私達はイエスの弟子の継承者であることを実感しています。各々の信者は、神を探し求め、キリストに選ばれ、それぞれの立場と状況において、自分の使命を果たす様に呼ばれています。何のためにイエスに呼ばれていますか? “信徒の召命と使命 ーカトリック枚方教会信徒 P.Kー 河北朝祷会より (2017.6.8 第201回)” の続きを読む

『イエスのみ心』の月 日々のことばでイエスの愛を深めよう  主任司祭 シスネロス・ハイメ

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有名な人なら、その人の日々のことばの書物を誰でも興味深く読みます。カトリック教会は毎日のように、イエスの福音を伝えて、信者の心の隙間にある渇きを満たすのです。

6月は、大自然の観点からみれば、春が終わり夏が始まる時でもあります。典礼的な側面の豊かな月です。例えば、六月はイエスのみ心の月と呼ばれるだけではなく、イエスのみ心の祭日は六月に当たります。その祝いはキリストの聖体の祭日の次の金曜日と定めています。 “『イエスのみ心』の月 日々のことばでイエスの愛を深めよう  主任司祭 シスネロス・ハイメ” の続きを読む

求めよ、さらば与えられん マタイ7章7~12節  ー日本基督教団 マラナ・タ教会牧師ー 河北朝祷会より (2017.5.11 第200回)

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」。この御言葉をそのまま受け入れようとして、苦しい状況で、祈りに祈り、願いに願い続けたけれども、必ずしも望んだような結果があたえられなかったということは、よくある経験です。 “求めよ、さらば与えられん マタイ7章7~12節  ー日本基督教団 マラナ・タ教会牧師ー 河北朝祷会より (2017.5.11 第200回)” の続きを読む

救い主の母マリアと共に祈る フラデラ神父

フラデラ神父

マリアは神の永遠のご計画によって他の人より先に救われた方です。
世を救おうと望んでおられた神と密接に協力した方です。福音が神から来るものと信じ、救い主は母マリアが承諾した上でこの世に遣わされました。
恵みに満たされ、神と共に生き、神の仰せのとおりに身を任せました。
聖母マリアは、神の特別な計らいによって、悪の全ての影響から守られています。 “救い主の母マリアと共に祈る フラデラ神父” の続きを読む

「聖書と典礼」の 分かち合いクラス  ーカトリック枚方教会信徒 T.Nー 河北朝祷会より(2017.4.13 第199回)

このクラスは、昨年復活祭の受洗者で仕事に就いている新しい信徒を中心に、長崎神父さんが5月から始められた毎週水曜日午後8時からのクラスです。主日のミサのテーマの理解目的は、各主日のミサのテーマをできるだけよく理解し、信徒としてその週の生活目標を立て、 祈りを大切に過ごすことです。そのための方法として、翌週の主日の「聖書と典礼」の公式祈願(特に集会祈願)と3つの聖書朗読箇所をよく読み、そのテーマに各人が思いを馳せ、神父さんの指導のもと、イエスの考えと行動を黙想し、それぞれの考えを分かち合います。 “「聖書と典礼」の 分かち合いクラス  ーカトリック枚方教会信徒 T.Nー 河北朝祷会より(2017.4.13 第199回)” の続きを読む