日本人とキリスト教 - カトリック枚方教会信徒 Y.Aー 河北朝祷会より(2017.2.9 第197回)

2014年のカトリック信徒は43万6千291人で人口比0.34%、ザビエル渡来の宣教師時代は60年余でカトリックへの改宗者は65万とも言われ人口比で今の10倍以上だ。

1549年にザビエルが来日し、約2年間日本に滞在し、島津から瀬戸内海沿いに京都へ上り、信長や秀吉を始め大名に布教の許可を得て宣教をしたが、ザビエルの滞在中の改宗者は少なかった。イエズス会はキリスト教への改宗者を増やし、教理の深化は、その後でもよいという考えに出た。当時の大名は西欧の文化に興味を示し、交易を希望、キリスト教を仏教の一派ぐらいに考えていた。 “日本人とキリスト教 - カトリック枚方教会信徒 Y.Aー 河北朝祷会より(2017.2.9 第197回)” の続きを読む

大阪YMCAの野外活動 ー野外キャンプ事業 事業長ー 河北朝祷会より (2017.1.12 第196回)

仕事内容は毎週日曜に子どもたちと野外活動を行う仕事です。平日は大学生のボランティアとミーティングや打合せ、現地への下見、指導者研修、デスクワークに取り組む日々です。知識の学習だけでなく、体験を持って良い行動を促したり、振り返りをしたり、気づきを持つような教育プログラムを展開しています。

先日、冬休みにも長野県までスキーキャンプに小学生~高校生約170名を引率して参りました。暖冬の影響で12月にも関わらず雨が降り、スキー講習ができない日もありました。またスキー講習を行うにあたり、冷え込んでくるとアイスバーンになったり、逆に暖かさで雪が溶け出したり、またその雪解け水が凍ってアイスバーンになったりと刻一刻と変化する自然と向き合い、キャンプを行なっています。 “大阪YMCAの野外活動 ー野外キャンプ事業 事業長ー 河北朝祷会より (2017.1.12 第196回)” の続きを読む

イエスのたとえ話  ーカトリック枚方教会信徒 T.Kー 河北朝祷会より(2016.12.8 第195回)

私は現役時代マーケティング(市場政策・市場開拓)の仕事をしたことがあります。その頃に読んだ本の中に興味深い話がありました。イエスは歴史上最高の市場開拓者である、イエスはたった3年間の宣教でその教えが2千年も続き、多くの信者を獲得した。

その理由は、「発想の転換」と「たとえを用いた分かり易さ」で、マーケティングの基本はここにあると言うのです。イエスは「人々の聞く力に応じて、多くのたとえで話された」(マルコ4章33)のですから、たとえ話は分かり易くするためであることは疑いありません。 “イエスのたとえ話  ーカトリック枚方教会信徒 T.Kー 河北朝祷会より(2016.12.8 第195回)” の続きを読む

大阪女学院の沿革と精神 ー同学院業務部職員ー 河北朝祷会より(2016.11.10 第194回)

11月10日大阪女学院と言えば、歴史的にも中学校・高等学校が有名ですが、今回は大学・短期大学の教育についてお話しします。今朝の聖書の個所(フィリピの信徒への手紙第1章9~11節、コヘレトの言葉第3章11節)は、礼拝形式で行われる大学・短期大学の入学式と卒業式で読まれる聖書の個所です。特にフィリピの信徒への手紙は、本学のミッションステートメントに定めた教育内容・目標と密接に関連しています。 “大阪女学院の沿革と精神 ー同学院業務部職員ー 河北朝祷会より(2016.11.10 第194回)” の続きを読む

教皇フランシスコとロザリオの祈り ーカトリック枚方教会信徒 M.K- 河北朝祷会より(2016.10.12 第193回)

エレミヤ書1章5節・10節『私はあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた。』『見よ、今日、あなたに諸国民、諸国王に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊しあるいは建て、植えるために。』

ご存知のようにフランシスコパパ様は教皇就任されてから、毎日のように世界の新聞を賑わしておられます。あのような行動の力はどこから頂かれるのでしょうか。 “教皇フランシスコとロザリオの祈り ーカトリック枚方教会信徒 M.K- 河北朝祷会より(2016.10.12 第193回)” の続きを読む

この病は死に至らず ー日本基督教団 森小路教会 牧師ー 河北朝祷会より(2016.9.18 第192回)

エルサレムからそれほど遠くないところにベタニアという村があり、そこにマルタ、マリア、ラザロという兄弟姉妹がいました。イエス様は彼らととても親しくしておられたようです。マルタとマリアについては、ルカによる福音でもその性格の違いが記されているところがあります。

行動的、積極的なマルタに対して、静かで話を聞くのが好きなマリアはここでも対比されています。今、この姉妹は兄弟ラザロが重い病気になったので、イエス様に来てほしかったのです。そこで人をイエス様のもとに遣わしました。おそらく彼女たち自身が行くよりも、早く伝えられると思ったからでしょう。それほど早く来てほしかったのです。 “この病は死に至らず ー日本基督教団 森小路教会 牧師ー 河北朝祷会より(2016.9.18 第192回)” の続きを読む

私たちはイエスの弟子でありその派遣に忠実でありたい ー主任司祭ハイメ・シスネロスー 河北朝祷会より(2016.7.14 第191回)

ハイメ神父写真

今日の聖句はマルコ3・13~15です。山に登るイエス、山は神と出会える場所。イエスの祈る姿を現しています。イエスは御父と相談し、12人を使徒として選びました。聖書のほかの個所では72人の弟子が派遣されたとあります。ガリラヤからイエスに従った人々が多かったこと、そのなかに婦人たちもいたことは明きらかです。

私は12歳のころ小神学校に入りカトリック司祭を目指しました。毎日ミサに与り、旧約・新約聖書に触れ、特に福音を読んだときはイエス様の存在を強く感じ、イエスの弟子になる準備が進むという恵みを得ました。信仰のイメージを聖書から得ました。それはアブラハムの神に対する信頼と旅をするイメージであり、モーゼに学んだことは解放を目指す霊性、その霊性による多くの障害や囚われから自由になる過程、サムエルからは主の呼びかけを聴くこと、詩篇からは様々な祈りに触れる精神が欠かせないこと等です。 “私たちはイエスの弟子でありその派遣に忠実でありたい ー主任司祭ハイメ・シスネロスー 河北朝祷会より(2016.7.14 第191回)” の続きを読む

「静 か に」 ー関西学院大学神学研究科前期課程在学生ー 河北朝祷会より(2016.6.9 第190回)

聖書で鍵となる物語、出エジプト記からメッセージを分かち合いましょう。神さまが契約を結んだアブラハムの子孫であるヨセフは兄たちの嫉妬からエジプトに売られました。後にイスラエルの民は400年以上にわたりエジプトで奴隷として働きます。

大国エジプトからどうやって逃げ出し、自由の身になれるでしょう。神さまは、燃える柴の間から、モーセに言われます。「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」。モーセの幾度もの交渉はファラオに聞き入れられず、神さまは様々な災いをエジプトに送られました。 “「静 か に」 ー関西学院大学神学研究科前期課程在学生ー 河北朝祷会より(2016.6.9 第190回)” の続きを読む

隠れた神 ーカトリック枚方教会 信徒 I.O- 河北朝祷会より(2016.5.12 第189回)

聖書百週間という聖書を読み、分かち合う場があります。その週の範囲を最初の一日か二日は知識として読み、その後、言葉を手で触るようにたどっていき、心に響くことを反芻し、温め、それが神様とのお喋り、祈りに、お願いの祈りが感謝の祈りに変わっていきます。毎週、黙想会をしているようなものです。

先日、教会の社会活動委員会で募集した大阪の教会の人達で福島のボランティアに行きました。5年を過ぎ、福島への関心は薄れているような中で、自分の五感で受け止めたいと思っていましたが、結果は恵みとなりました。

福島は復興の入り口に入ったかなという状態です。現地の風評被害の農家の支援、また仮設住宅での孤立死、自死を防ぐ活動なども、こちらではあまり知られていません。それでも被災者として社会に知られた人は、まだましかなと思います。悲しみや苦しみの比較はできません。しかし被災者、障碍者、ホームレスなど、その存在が知られている人達は、そういうものとして扱われます。 “隠れた神 ーカトリック枚方教会 信徒 I.O- 河北朝祷会より(2016.5.12 第189回)” の続きを読む

知恵と知識はキリストのうちに ー日本基督教団 森小路教会 牧師 ー 河北朝祷会より(2016.4.14 第188回)

コロサイの信徒への手紙(2章1~5節)私が遣わされています森小路教会では、毎月聖句を選んで、「今月の聖句」として共に黙想しています。今月の聖句は箴言1章7節の「主を畏れることは知恵の初め」という有名な句です。

そこで特に知恵について黙想しておりましたところ、新約でコロサイの信徒への手紙2章が思い浮かびました。パウロは伝道旅行をしましたが、その際にコロサイやその近くのラオディキヤには寄らなかったようであり、それでも、まだ行ったことがない教会の信徒たちへ獄中から書き送っているのがこの手紙です。

会いたくても会えないもどかしさを感じながら、離れていても彼らの心を励まし、愛を伝え、正しい福音理解を伝えようとしているのです。パウロが伝えようとしているのは神の秘められた計画です。それはキリストに他なりません。少し加えて言いますと十字架の言葉でもあります。 “知恵と知識はキリストのうちに ー日本基督教団 森小路教会 牧師 ー 河北朝祷会より(2016.4.14 第188回)” の続きを読む