今日、お話しするのは、教会は外の世界が求めるものに通じる言葉をもっているだろうかということです。今、社会活動委員会にいます。主に平和運動、学び、福島原発やフィリピンのストリートチルドレン、あるいはアフガンのペシャワール会の平和的国際貢献の支援、釜ヶ崎の手伝いなど、 社会の福音化、教会の本来の活動の旗振りです。その他に教会の人達が、それぞれのあり方で必要な人の相手をしています。 “「常識。それ本当?」 ーカトリック枚方教会信徒ー 河北朝祷会より (2017.9.14 第203回)” の続きを読む
サムエル記上1章21~28節 ー森小路教会ー 河北朝祷会より (2017.7.13 第202回)
預言者サムエルはイスラエルの歴史において大きな役割を果たした神の人であります。 しかし、少年サムエルが祭司エリのもとで主に仕えていた時は、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれでありました(3・1)。なぜなら、聖なる神様を汚す人間の堕落した行為があったからでした。それにもかかわらず、神様はご自身の業を成すために、人を選び、私たち人間の世界を導いてくださったのです。 “サムエル記上1章21~28節 ー森小路教会ー 河北朝祷会より (2017.7.13 第202回)” の続きを読む
信徒の召命と使命 ーカトリック枚方教会信徒 P.Kー 河北朝祷会より (2017.6.8 第201回)
「沈黙」の映画、高山右近の列福にあたって、いく人かの信者が、心配や失望の気持ちで、「キリスト教はこの国に何の有益をもたらしたか?なぜキリスト教徒は最初と比べて、成長しないか?」と自問しました。
この危機の時に、大切なことはキリスト教の起源に返ることです。私達はイエスの弟子の継承者であることを実感しています。各々の信者は、神を探し求め、キリストに選ばれ、それぞれの立場と状況において、自分の使命を果たす様に呼ばれています。何のためにイエスに呼ばれていますか? “信徒の召命と使命 ーカトリック枚方教会信徒 P.Kー 河北朝祷会より (2017.6.8 第201回)” の続きを読む
求めよ、さらば与えられん マタイ7章7~12節 ー日本基督教団 マラナ・タ教会牧師ー 河北朝祷会より (2017.5.11 第200回)
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」。この御言葉をそのまま受け入れようとして、苦しい状況で、祈りに祈り、願いに願い続けたけれども、必ずしも望んだような結果があたえられなかったということは、よくある経験です。 “求めよ、さらば与えられん マタイ7章7~12節 ー日本基督教団 マラナ・タ教会牧師ー 河北朝祷会より (2017.5.11 第200回)” の続きを読む
「聖書と典礼」の 分かち合いクラス ーカトリック枚方教会信徒 T.Nー 河北朝祷会より(2017.4.13 第199回)
このクラスは、昨年復活祭の受洗者で仕事に就いている新しい信徒を中心に、長崎神父さんが5月から始められた毎週水曜日午後8時からのクラスです。主日のミサのテーマの理解目的は、各主日のミサのテーマをできるだけよく理解し、信徒としてその週の生活目標を立て、 祈りを大切に過ごすことです。そのための方法として、翌週の主日の「聖書と典礼」の公式祈願(特に集会祈願)と3つの聖書朗読箇所をよく読み、そのテーマに各人が思いを馳せ、神父さんの指導のもと、イエスの考えと行動を黙想し、それぞれの考えを分かち合います。 “「聖書と典礼」の 分かち合いクラス ーカトリック枚方教会信徒 T.Nー 河北朝祷会より(2017.4.13 第199回)” の続きを読む