初代教会の「信仰に生きる」 具体的な形を示した聖書の言葉があります。『信者たちは皆一つになって、すべての物を共有し、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心を持って一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。』(使徒言行録2:44ー47)。 “隠遁者の知恵にふれて 主任司祭 ハイメ・シスネロス” の続きを読む
マイ スウイート ホーム 長崎壮神父
昨年の待降節に修室の書架の埃を払って何年ぶりかでC・ディケンズの名作『クリスマスカロル』を読んでみました。それまで頑な心であった主人公スクルージがクリスマスの夜に不思議な体験をしてそれまでと生きかたが変わったという物語です。 “マイ スウイート ホーム 長崎壮神父” の続きを読む
新年を迎えて思う 主任司祭 ハイメ・シスネロス
主の降誕・新年のお慶びを申し上げます。
年の始めには、皆様は元旦ミサに与り、『初もうで』の祈りを唱えて、今年も神の祝福のうちに過ごせると確信したと思います。平安な心を持ちながら、一年中、感謝、喜び、霊的な生き方に新たな挑戦が出来るような気がします。
イエス様、散らかっていますがどうぞ・・・・ 長崎壮神父
修道院の食事のときなど、各自の部屋の中にものが多過ぎやしないか整理整頓されているかどうか等、ときおり司祭同士の部屋の状態が話題になることがあります。アヴィラの聖テレジアにも心を部屋にたとえて説明する『霊魂の城』という著作もある通り、確かに人の心の状態というのは個々の部屋に反映されるのかもしれません。 “イエス様、散らかっていますがどうぞ・・・・ 長崎壮神父” の続きを読む
『死は信仰と希望』 アントニオ・フラデラ神父
カトリック教会では、11月1日「諸聖人の日」の翌日、2日を「死者の日」、11月を「死者の月」と定め、死者の霊魂があらゆる罪の汚れから清められ、永遠の幸福に与るように祈りを捧げる習慣があります。私たちはこの祈りによって死者を助けるだけでなく、死者が私たちのために執り成して下さることも信じています。
枚方教会は最近、信徒の葬儀がとても多くなってきました。 “『死は信仰と希望』 アントニオ・フラデラ神父” の続きを読む
『わたしたちの教会』祈りと喜び 主任司祭ハイメ・シスネロス
敬老の祝いが済んだ後でも毎年行われる「敬老の祝い」が、9月17日に盛大に行われました。
案内を往復葉書で行なって、164名から返事を頂いた中、95名が欠席との知らせでした。しかし、何かを伝えたいと思い、出席出来なかった兄弟姉妹にお祝いの言葉を送ることにしました。少しでも祝いの内容に触れて、共に祈り共に喜んで頂けるのではないかと思います。祝いのミサから霊的な面を、食事とレクレーションから楽しい面を味わってもらえれば幸いです。 “『わたしたちの教会』祈りと喜び 主任司祭ハイメ・シスネロス” の続きを読む
外国人になる 長崎壮神父
三ヶ月にわたるスペイン研修での最初の滞在先、ヴィックの街は様変わりしていました。六年前に初めて訪れた時にはあまり見かけることのなかったアフリカからの移住者が増え、日曜日に目抜き通りで開かれる市場の露店主も約半数がアフリカ出身のムスリムの経営者のようでした。 “外国人になる 長崎壮神父” の続きを読む
聖母の被昇天 フラデラ神父
8月15日は聖母の被昇天の祝日。1950年にピオ十二世教皇は、聖母が霊肉共に天に上げられたことを教義として宣言されました。この祝日の集会祈願には次の言葉があります。「全能永遠の神よ、あなたは、御ひとり子の母、汚れないおとめマリアを、からだも魂も、ともに天の栄光に上げられました。信じる民がいつも天の国を求め、聖母と共に永遠の喜びに入ることができますように。」 “聖母の被昇天 フラデラ神父” の続きを読む
相応しい信者への成長の秘訣 主任司祭 シスネロス・ハイメ
考え方により自分を成長させ得ることを知ったアントニ・デ・メロ神父の著書を読んで感じました。ある有名なラビ(先生)が大勢の弟子を熱心に指導していたときのことで、弟子たちは、その指導を受ける際、ありのままの自己評価を述べる中で、適切なアドバイスを受けるのでした。
ある日、一人の弟子が『自分の限界』を嘆いて先生の指示を待っていました。『確かに君は限界を感じているが、約15年前に、無理だったことが今出来るようになった。どうしましたか』とラビは訊ねた。『わたしの才能が変りました』と弟子が答えると、ラビは『いいえ。あなた自身に変化があったのです。』『同じことです』と弟子が言ったのに対してラビは次のように教えました。 “相応しい信者への成長の秘訣 主任司祭 シスネロス・ハイメ” の続きを読む
『イエスのみ心』の月 日々のことばでイエスの愛を深めよう 主任司祭 シスネロス・ハイメ
有名な人なら、その人の日々のことばの書物を誰でも興味深く読みます。カトリック教会は毎日のように、イエスの福音を伝えて、信者の心の隙間にある渇きを満たすのです。
6月は、大自然の観点からみれば、春が終わり夏が始まる時でもあります。典礼的な側面の豊かな月です。例えば、六月はイエスのみ心の月と呼ばれるだけではなく、イエスのみ心の祭日は六月に当たります。その祝いはキリストの聖体の祭日の次の金曜日と定めています。 “『イエスのみ心』の月 日々のことばでイエスの愛を深めよう 主任司祭 シスネロス・ハイメ” の続きを読む